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天才量子魔術師の事件簿

『このままだと、クビだぞ』


 上司の言葉を引きずって、その日、私はめずらしく市場で酒瓶を手に取った。地元、ヘルシンゲでつくられた老舗のウィスキー。度数が高くてこれなら簡単に酔うことができる。


「あら、お兄さま。お酒を飲まれるのですね?」


 振り向くと五つ下の妹、キルコが制服姿で立っていた。ブロンドの長髪にスラリとしたシルエットはガス灯の灯りで照らされた市場の中でもひときわ目を引く。


「あぁ、今日はサミュのところに行こうと思ってるんだ」


 サミュという単語を聞いてキルコの顔がパアッと明るくなる。


「あら、素敵。ぜひ、わたくしもご一緒いたします!」


 私は通りの時計を確認した。夜十時。


「ダメだ。もう夜遅いだろう。そもそもどうしてこんな時間まで。学校か?」

「はい。生徒会の仕事で地元の魔術振興会に参加していました」


 キルコはヘルシンゲ第一高等学校で生徒会長を務めている。容姿端麗で成績もよく人望も厚い。加えて()()()()()()()()なのだから、神様というのはつくづく不条理な存在だ。


「そうだったのか。じゃあ気をつけて帰るんだぞ」

「待って、お兄さま」


 キルコは私の前に立ち塞がる。


「わたくしを差し置いてサミュエル様の元へ行くつもり?」

「そのつもりだけど?」


「いけません。ぜひ、わたくしも連れていってください」

「ダメだ。子供はお家に帰る時間だよ」


「子供ではありません。立派な大人です!」


 ムスーッと膨れた顔を近づけてくる妹。こうなった彼女を説得することは難しい。


 ……仕方ない。


「そんなにサミュに会いたいっていうけど、あいつのどこがいいんだ? お前ならもっと良い男がいるだろう」


 キルコはその完璧さからこれまで数多くの殿方から言い寄られてきた。中には魔術界でも五本の指に入る名家の子息から求婚されたらしい。しかし、彼女はことごとくその全てを跳ね返していた。


 乙女の頬が赤く染まる。


「それは……、もう全て、ですわ。赤みがかかった髪に、丸メガネから覗くお茶目な瞳。スラリとしたスタイルにチャーミングな笑顔。もちろん外見だけではありません。誰よりも頭脳明晰で————」


 私の幼馴染に一途な彼女は彼のことを語らせると止まらない。かつて朝日が昇るまで喋り続けたことさえある。あまりの熱中ぶりに周囲が見えなくなるのが致命的な欠点なのだが、今回はそれを利用させてもらった。


 私は彼女が話している間に、そっとその場をあとにした。キルコは少なくとも三十分は虚空に向かって熱弁をふるうに違いない。私がいないと気づいたときには「やられた」と思うだろう。


 悪く思わないでほしい、我が妹よ。これは、これから晒す醜態を愛する妹に見せまいとする兄なりの「見栄」なのだ。




   * * *




 妹が追ってこないよう痕跡を消しながらヘルシンゲの街を歩く。彼女はサミュエルの家を知らない。おそらく知っているのは私ふくめて数人だろう。そこまで彼は人付き合いがいい方ではない。


 向かった先はヘルシンゲの南、イェーカー街。赤や黄色などさまざまな建物がガス灯に照らされていた。


 22番地の建物に向かう。小麦色の五階建てのアパート。ここの一階に稀代の量子魔術師、サミュエル・トーバルは住んでいる。


 このアパートはもともと商社を営んでいたとある男爵一家が住んでいたものらしい。彼らが販路拡大を狙って首都に引っ越すときに、今の大家が買取り、賃貸用にリフォームしたそうだ。


 ワンルームで風呂、トイレ、キッチンは共用。

 住むには不便かもしれないが、魔術の使用が許可されているだけまだマシだろう。


 世間にとって魔術は、奇術や手品と同じ扱いを受けている。実際は全くの別物なのだが、胡散臭いものには蓋をするのが世の常だ。ゆえに、魔術の練習や研究をすることのできる賃貸物件は圧倒的に少ない。サミュエルもここに決まるまで半年ほど放浪生活をしていたほどだ。


 私は共用玄関を上がり、一階のB号室に向かった。


 扉の横にあるベルを鳴らす。反応がない。いつもなら二、三回鳴らせば「セールスはお断りだよ」という文句とともに開けてくれるのだが、この日は出てくる気配がしなかった。


「サミュ、俺だ。いるのか?」


 私はドアをノックしながら部屋の様子を窺おうとした。扉に耳を近づけると物が散らかる音と、


「頼むからやめてくれって!」

 と喚く幼馴染の声が聞こえた。


「おい、大丈夫か?」


 ドアノブに手をかけたところで

「アイタタタタタ」


 今度は苦しむ声が聞こえる。


「サミュエル、入るぞ。いいな」


 私はドアを強くノックしてから返事がないことを確認すると、一度大きく下がった。そして、意を決すると————


 勢いよく扉に向かって蹴りをくらわせた。木造の扉は建て付けが緩いせいもあって一瞬で真っ二つになる。


「大丈夫か!?」


 部屋に駆け込んだ私は目を丸くした。


 本が所狭しと並べられた彼の部屋は羽毛まみれになっていたのだ。


「こら、落ち着けって!」


 部屋の中では七羽のフクロウと格闘する幼馴染がいた。生え際が後退した赤茶色の髪には羽毛とフンがこびりつき、指先は血が滲んでいた。とても妹が心酔する紳士には見えない。もしかしたらキルコなら無事だった丸メガネ一つで三時間は語ってくれるだろう。いや、その前に手当してやれよ。


 なんて脳内セルフツッコミを入れていると、サミュエルがこちらを向いた。


「やあ、タケル。どうしたんだい、こんな()()に。仕事じゃなかったのか?」


 暴れるフクロウをなんとか取り押さえる彼は間が悪そうに苦笑いを浮かべていた。




   * * *




「よし、これで落ちることはない。ほら、さっさと行って」


 フクロウの足に巻物を硬く結びつけると、サミュエルはフクロウをアパートの窓際に立たせた。部屋に他のフクロウはなく、彼(もしくは彼女)で最後になる。


 彼が飛び立てば万事解決なのだが、これがうまくいかない。フクロウはじっとサミュエルを見つめたまま微動だにしない。


「なあ、あと君が飛ぶだけで僕は久しぶりに固い床から固いベッドで寝ることができるんだ。だから頼むよ、えっと……」


 フクロウの首には「エロル」と書かれた首飾りが下げられていた。


「エロルくん? さん? どっちでもいいけど早く飛んでくれないか?」


 しかしエロルはつまらなそうな視線をサミュエルに向けるだけで動く気配はない。


 無言で睨み合うこと一分。


「あぁ、わかったわかった!」


 降参と言わんばかりにサミュエルは両手を振った。


「君の飼い主のミス・ベンジャミンにネズミを一匹追加で差し入れておくよ。もちろん君宛に。これでどうだい? これ以上は無理だぞ?」


 エロルは二、三度、外を見やると白い羽を広げて飛び立っていった。


「このクソフクロウが……」


 捨て台詞とともに窓を閉めた幼馴染は私のほうを向いた。


「いやぁ、助かったよ。ありがとう」


「どういたしまして。それにしても、すごい数のフクロウだったな。誰に何を送っていたんだ?」

()()()()()()()。でもきっと素晴らしい魔術師に届けられると思うよ」


 彼がなに言っているのか、理解できなかった。しかし、サミュエルから受け取った手紙の元本を読んで目を丸くした。


『親愛なる魔術師さま


 私はヘルシンゲ魔術高等学院応用量子魔術研究科修士二年のサミュエル・トーバルです。


 いま、私は〝小型魔術陣〟——通称MINICの改良を行っています……』


 そこから彼はこの魔術陣の概要と現状の課題をつらつらと述べていた。詳細は高卒の私には理解できなかったが、最後の方に


『もし、解決方法がわかったら教えてください』と彼の住所と電話番号が書かれていた。


「まさか、皇国全土の魔術師に無差別に送ったのか?」

「シモンだけじゃないよ。フクロウたちが行けるところならどこまでも、最も魔力が高い魔術師に届けるよう指示をしたからね」


 それはフクロウもためらうわけだ。


「何通おくったんだ?」

「う~んと、一週間前から書き始めて、たぶん百通くらいじゃないかな。大変だったんだよ。寝る間も惜しんで手紙を書いてはフクロウにくくりつけていたからさ、もう右腕の感覚がないよ」


 笑いながら右腕を振るサミュエルの腹がぐうと鳴る。


「もしかして、この一週間まともに飯を食ってないのか?」

「まあね。フクロウのレンタル代で貯金はほとんど使っちゃったから、共用キッチンにあるじゃがいもが友達だったよ」


 私は大きくため息をついた。

 空腹の体に酒は悪い。


「仕方ない。俺がなにか作ってやるか」

「その言葉を待ってた!」という幼馴染の声を聞きながら私たちは共用キッチンに向かった。


 キッチンはかつて富豪一家が住んでいただけあって豪華な設備が揃っていた。


 肉挽き機に豆挽き機、流しは大理石でできており、普通の家庭ではまだ珍しい冷蔵庫もあった。そして、煉瓦造りの薪ストーブが壁一面を覆うように設置されていた。


 共用棚から食材を見繕う。じゃがいも、玉ねぎ、小麦粉、ディル、冷蔵庫からバターを見つけた。


(あと肉があれば完璧だが……)


 私は自分のバックから燻製サーモンの切り身を取り出した。酒のつまみとして買ったものだが、どのような形であれ食われるのであれば本望だろう。


 じゃがいもと玉ねぎ、鮭を一口大に切る。鉄鍋にバターを溶かして玉ねぎを炒め、透き通ってきたらじゃがいもを加えて軽く混ぜる。


 小麦粉と水を加えながらとろみをつけて、じゃがいもが柔らかくなるまで煮込んだら燻製サーモンとディルを加える。


 最後に塩と胡椒で味を整えたら————

 サーモンとじゃがいものスープの完成だ。


「う~ん、うまい!」


 スープを頬張ったサミュエルは舌鼓を打った。


「燻製サーモンとハーブの香りが絶妙に混ざり合って、バター風味のスープに溶け込んでいる。じゃがいもはホクホクで玉ねぎはトロトロ。何杯でもいけるよ!」

「そいつはどうも」


 あっという間に彼は二杯、そして三杯とおかわりした。


 私は美味しそうにスープをかき込む幼馴染を肴に、市場で買ってきたウィスキーを瓶から直接口に含んだ。


 高密度な麦芽の香りと甘く重たい味わい。アルコールは胃を通る前に直接、私の脳髄を叩いて快楽物質を飛散させた。


「はぁ~~ぁ~」


 一口飲んだだけで私は食卓にうつ伏せになった。私は元来、酒に弱い。それに飲むと何を口走るかわからない。ゆえに私は気心知れた友人——すなわちサミュエルの前でしか酒を飲まないことに決めていた。


「ひさびさだね、キミが酒を飲むなんて。またフラれたのかい?」


 これまで私が酒を飲むときはだいたい恋愛関係が多かった。もっぱら上手くいかない時に飲んでいたのだが、それも今は昔。仕事に就き、社会のために働く私にとって酒を飲む口実は色恋だけではない。


「ちがう……」

「じゃあなんなんだ?」




『このままだと、クビだぞ』




 上司の言葉がアルコール漬けの脳内でハウリングする。


 私は顔が熱くなっているのを自覚しながら

「別に……」と呟いた。


 サミュはため息をついて眉を上げた。


「ダンマリかい? ストレスを溜め込むのはよくないぞ。


 大学院を辞めていくやつらはみんなストレスが原因だ。魔術は秘匿すべき、なんてよくわからない妄想に囚われて人に相談することができずにね。


 一人で悩んだって始まらないよ。辛いことは吐き出しな。


 あっ、でも物理的に吐くのはやめてね。つられてせっかくのスープをぶちまけたくないからさ」


 私は食卓に顎を乗せながら考えた。


 私は魔術警察という警察組織で刑事事件を担当している。捜査に関することは機密事項で、いかなる理由があろうと一般市民に話してはならない。


 けど、このときの私はどうしても話したくてたまらなかった。私よりも賢い幼馴染が、私が抱えている問題に対してどのような回答を示すのか、気になって仕方なかった。その想いは、彼の端麗とはいえない顔を見てより強まっていた。


 私はウィスキーをもう一杯あおった。


「ある事件が、解決しそうで解決しないんだ」


 サミュが両目をパチクリさせる。


「面白い言い方だね。どういう意味だい?」

「犯人はわかってる。犯行の最中を現行犯で逮捕された。けど、その犯行方法がわからないんだ」


「犯人がわかってるならいいじゃないか。〝Why Done It〟が魔術警察の鉄則だろ?」

「自然科学の進歩で魔術警察も〝How Done It〟に変わりつつあるんだ」


 かつて魔術は神秘だった。ゆえに、魔術を用いた犯罪は〝|How Done Itどうやったか〟ではなく、〝|Why Done Itなぜやったか〟に焦点が当てられてきた。


 しかし、自然科学の台頭により魔術の仕組みが解明されてきたことで、物的証拠重視の捜査方針に変化してきた。


 物的証拠が事件をひっくり返したこともある。一年前の某公爵殺人事件だ。


 当初、魔術警察は〝Why Done It〟の観点から、公爵に日頃から暴力を振るわれていた公爵夫人を犯人として逮捕した。しかし当時、彼女は公爵の弟と寝室におり、犯行は不可能であることが判明。さらに、現場に落ちていた髪の毛から公爵の義理の父親が犯行に及んでいたことが明らかになった。


 この誤認逮捕で世間は魔術警察の捜査を痛烈に批判した。以来、魔術警察は物的証拠重視で捜査が行われるようになった。


 確かに、物的証拠重視の捜査でより確実な立証を行うことができるだろう。しかし、かつて簡単に片付くはずのものが片付かなくなってしまうこともある。


 まさに、今回の事件がそれだ。


「事件は一昨日の夕方、市内のレイモンド・パークで起きた。被害者はヘラケウルス・ピット。知ってるだろ?」

「誰それ?」サミュは首を傾げた。


(これだから研究バカは……)私はため息をつく。


「〝イスラーン十傑〟のひとりだよ。南部のイスラーン族との戦いで活躍した十人のうちの一人」

「あぁ、そんな人いたっけ」


 私は重たい頭を転がした。


「忘れたのかぁ? 子供のころいっつも話題だったじゃないか」


 ヘラケウルス・ピット。


 三十四年前に始まり、二十一年前に終結した南部イスラーン族との紛争。その終結の立役者となった一人。


「炎を操る魔術師」と書けば可愛いもので、文字からは想像もできないほどの圧倒的な火力で要衝を次々と制圧していった。


 視界に入った大地を灰にする。

 鉛を溶かす炎を纏う。


 ついた通り名が————




   獄炎のヘラケウルス




「彼が日課のウォーキングをしているところを襲われて重症を負ったんだ」

「獄炎のなんとかとあろうお方が? 相手は相当な手練れだね」


「いいや、彼の戦闘力は全盛期ほどじゃない。イスラーンの戦い自体二十年以上まえのことだし、その戦いで彼は左腕をなくしている。今の俺でも勝てるよ」

「君は現役軍人だって勝てるだろう?」


 私はテーブルに寝そべりながら幼馴染を見上げた。ぼーっとした視界には「違うかい?」と問いかける彼の瞳があった。


「買い被りすぎだよ」


「そうでもないさ。——それで? 歴戦の勇者様を倒した犯人は、どうして犯人だと確定しないんだ?」

「凶器になりうるものが見つからないんだ」

「ほう」


「名前はサラディン・スカー。日雇いのバイトで食い繋いでいる、いわゆるプータローだ。たまたま近くをパトロールしていた警官に被害者を暴行しているところを目撃されて現行犯逮捕されたんだ」

「ならいいじゃないか。凶器は拳。いや、この場合は脚かな」


 私はウィスキーをもう一杯あおった。一秒と経たずにアルコールがガツンと脳を横殴りする。


「問題は、ヘラケウルスが()()()重症を負った、ということなんだ」


 サミュエルがスープをすくう手を止める。彼の口にはかすかに笑みが浮かんでいた。


「それで?」

容疑者(サラディン)の所持品に可燃性のものはなかった。なら、魔術を使ったんじゃないかと俺たちが呼ばれたんだ」


「けど彼は炎を出せる魔術師ではない、だろう?」


 彼を一瞥してから私は食卓の木目調を眺めた。


「そう。彼は『強化型』の体質で『変化型』の魔術師じゃない」


 魔術は大きく六つの型に分けられる。


 肉体や物質を強化する強化型、

 魔力を放出する放出型、

 周囲の形質を変化させる変化型(炎を操る魔術はこれに該当する)、

 生物を操る操作型、

 物体を錬成する創造型、

 そして、それらに区分けすることのできない特殊型。


 人間は基本的にどれか一つの型しか持つことができず、それは遺伝によって決められる。


「まれに他の型の魔術を行使できる人もいるけど、できたとしても小規模なものでヘラケウルスの証言とは食い違うんだ」

「生きてたの、獄炎の人?」


「あぁ。今日の夕方、意識が戻ったんだ。で、話を聞いたら『犯人は全盛期のワシと同じくらいの炎に身を包んで襲ってきた』というんだ。

 全盛期の彼ほどの変化型魔術を身につけるなんて、変化型の魔術師ですら難しいっていうのに、他の型の魔術師ができるなんて……」


「なるほど。被害者は『犯人は変化型の魔術師だ』と言ってるのに、捕まえたのは強化型の魔術師で矛盾が発生してしまってるのか」

「そうだ。しかもサラディンのやろう、ふざけたことを抜かしやがって……『俺はあくまで介抱していただけで暴行はいっさい加えてない』とか言って現行犯逮捕すら不当逮捕だと主張するんだ」


 私は再びウィスキーに口をつけた。


「あいつが犯人であることは間違いない。でも、犯行方法がわからない限り、裁判では不利になって有罪にできないかもしれない。そしたら俺たちは冤罪をでっちあげたって世間から後ろ指をさされる。かといって証拠不十分で見逃すわけにはいかない」


 私は大きなため息をついて上半身をテーブルと一体化させるように脱力させた。


 サミュは残ったスープを綺麗にすくい始めた。


「被害者の人は毎日おなじルートを散歩してたのかい?」

「あぁ、そうだな。近所では必ずおなじ時間、おなじ場所を歩くことで有名だったよ」


「容疑者の服は燃えていた?」

「ああ、燃えていたよ。本人は被害者の炎が燃え移ったって言ってたけど……」


「なら、犯人を捕まえた警官が何か言ってなかったかい?」


 緊急逮捕したのは若い一般の男性警察官だった。すなわち、魔術に対する知識はそこまで持っていない。


「何も言ってなかった気がするな……」

「臭いとか、熱とかは?」

「うん? 特に聞いてない」


 幼馴染は口をへの字に曲げた。


「じゃあ、事件直後に周辺で火災が起きなかったかい?」

「火災~?」


 私はとろけた脳を回転させた。


「……そういえば、事件が起きてから一時間後におなじ公園の植栽で不審火があったな。タバコの不始末が原因って聞いたけど、事件と何か関係あるのか?」


 私はサミュエルのことを見た。幼馴染は私には目もくれず、残ったスープをかき集めている。


「その現場から瓶のような入れ物が発見されなかったかい?」

「まあ、タバコの燃えかすの近くにビール瓶が落ちてたけど……」


 そこまで言って私は体を起こした。


 目の前の幼馴染を見る。


「サミュ、もしかして、わかったのか?」


 彼は嬉しそうに笑みを浮かべると最後の一口を頬張った。



「まあね。考えてみれば難しいことはない。簡単な頭の体操だよ」



 そしてカランとスプーンを皿に落とした。


「教えてほしい?」

「ぜひとも!」


 即答した。普段の私だったらプライドが邪魔して拒んでいただろう。そもそも酔わなければこんな話、口が裂けても話さない。


 探偵は椅子の背もたれに寄りかかった。


「本題に入る前に現代魔術について再確認しておこう。

 魔術には六つの型があるのは知ってるよね。強化、放出、変化、操作、創造、そして特殊。


 じゃあタケル、強化型がどんな魔術か説明してごらん」


「自分を強化する魔術だろ? 筋力が上がったり、俊敏になったり。自分の身につけているものの強度をあげたりすることもできる」


 サミュはフフッと笑った。


「間違ってないけどそれでは中学生レベルだ」

「中学生!?」


「もっと原理的に説明するなら、強化型魔術は『体内もしくは物質内に存在する()()()()()()の動きを活発化ないしは固定化させる魔術』のことを指す」


 モナドニウム。


 すべての魔術を発動するために媒介される根源単位。


 体内、木々、空気に至るまであらゆるところに存在し、人類はこれを操ることで魔術を行使することができるという。魔術師の間で言われる「魔力」とは、この「モナドニウム」の体内保有量のことを指すのだ。


「そういえば、高校の先生がそんなことを言ってたっけ……」

「つまり、強化型魔術を使えば体内の温度を上げることができるし、炎の熱に耐えうる皮膚を錬成することだってできる」


 私は眉をひそめた。


「けど、強化型では炎を出すことはできないだろ?」

「そりゃそうだ。だって犯人は()()()()()()()()()()んだから」


 私は彼が何を言ってるのか理解できなかった。


「魔術で炎を出してない……?」

「『二硫化炭素』という物質を聞いたことは?」


 首を横に振る。


「木炭と硫黄の蒸気を集めた液体で、少々おもしろい特性があるんだ。それは……




 ()()()()()()()()()()ってところ」


 


 私は目をパチクリさせた。先ほどまで頭の中で踊っていたアルコールが迷惑客のように追い出される感覚がした。


「もしかして……」


 探偵はニヤニヤしている。


「ここからは僕の想像も入るけどね、犯人はなんらかの方法で二硫化炭素を手に入れ、事件現場となる公園を訪れた。お偉いさんがいつもおなじ時間にその公園に現れることを知っていたんだろう。犯行直前にビール瓶に入っていた二硫化炭素を体に浴びた。


 あとは彼の得意分野さ。強化型魔術で皮膚に耐火性を付与して、体内の温度を上昇させる。体内の温度が九十度になれば体に付着した二硫化炭素は発火するから全身炎まみれの男の完成だ。


 証拠となる瓶は植え込みに隠したんだろう。まさかおなじ場所にタバコがポイ捨てされるとは知らずにね。……いや、もしかすると証拠隠滅のためにわざと発火させたのかもしれないけど、それは僕の預かり知らぬところだ」


 私はズキズキと痛む頭を押さえながら絞り出すように言った。


「確かに筋は通っているが……証拠はあるのか? 物的証拠がないと殺人未遂として裁判にかけることは……」


 言いかけて我に返った。つい部下とおなじ調子で聞いてしまったが、彼が答えられるはずがない。彼は部外者で、いまさっき事件の概要を知ったばかりなのだ。


「いや、すまない。君に聞くことじゃなかったな」

「そうだね。僕は警察官じゃない。君から聞いた話に妄想も混ぜて線を引いただけだ。でも、決定的な証拠なら一つだけあると思うよ」


 私は目を丸くした。


「冗談だろ?」

「冗談なものか。犯人の衣服は残ってるよね?」


「あ、あぁ。上着はほとんど燃えてしまったが、ズボンは残ってるぞ」


「なら上々……彼の服をよく調べてみるといい。普通の火災なら検出されることのない硫黄化合物が検出されると思うから。

 僕も大学で二硫化炭素の実験をした後に服の袖に黄色い固形物がついていてね。きっとおなじ物質が見つかるはずだ」




   * * *




 その後、犯人と被害者の衣服から硫黄化合物が検出された。公園内で発生した不審火の燃焼残渣からも同様の化合物が見つかった。


 犯人(サラディン)を問い詰めるとあっさり白状した。


 方法は概ねサミュが考えた通りで、犯行の動機は私の予想通りだった。


 彼はイスラーンの戦いの生き残りだった。難民としてシモン皇国に逃れたものの、そこで待っていたのは迫害。


 イスラーン人は赤みがかかった髪に褐色の肌、そして琥珀色の瞳が特徴的だ。紛争終結当初は身体的特徴が原因で企業が採用を取りやめたり、道端を歩いているだけで通りすがりの人から蹴られるなど差別が平然と横行していた。


 残飯を漁る日々。そんな中、仲間むつまじいクラスヘラケウルス一家を見かけたという。


 自分は絶大な苦しみの中でもがいているのに、彼らは笑みを浮かべている————。それが許せなくなったそうだ。




 つくづくバカなヤツだな、と私は思う。




 シモン皇国では昨年、人種平等法が成立した。人種による差別や迫害を禁じたものだ。この法律の成立には多くの人権活動家が関わっている。


 怒りを覚えたとき、どうして彼らと一緒に行動しなかったのだろう。どれだけ苦境に立たされていようと、手を差し伸べてくれる人はどこかにいる。それを無視して他人を傷つけるなんて、法律を犯すなんて、許されていいわけがない。


「なんて、勝者(こちら)側の言い分か」


 事件は幕を閉じたが、謎は残っている。二硫化炭素の入手経路だ。


 しかし、犯人からそれを聞き出すことはついぞ叶わなかった。

 サラディン・スカーは尋問中に突然暴れだし、〝封印指定〟になったからだ。






————

 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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 そのほかにも作品を公開しておりますので、よければどうぞ。

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 それではまた、別の物語で。

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