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第93話 意志を示す、考慮、それと推薦者 ②

三人が接客室で話し合っている最中、その外の廊下には、一人の老人が忍び寄っていた。

 白衣を羽織った六十代ほどの男。鼻の下から顎にかけて無骨な髭が伸び、真っ白な眉は濃く、無造作に伸びた髪の中から二本の毛が触角のようにピンと立っている。年齢は中年から老境に差しかかっているが、その立ち姿には妙な執念と覗き見の癖が滲んでいた。彼は耳をドアに押し当て、こそこそと中の会話に聞き耳を立てている。


 「お疲れさまです」


 低い声が廊下に響く。振り返った老人の前には、事務室から出てきた細身の青年が立っていた。無造作に刈られたベリーショート、動きやすいズボン姿に、腰には木刀を一本差している。その名は沖田純一、「神雷」と呼ばれた男である。


 エレベーターホールへ向かおうとした純一は、接客室の前でこそこそと立ち聞きしている白衣の老人に気づき、思わず眉をひそめた。老人は彼に気づくと、まるで子どもが秘密を共有するように細い声で手招きする。


 「お〜い、沖田くん、こっちに来てくれ」

 「……大原博士? こんなところで何をしているんですか?」

 「しぃ〜〜……静かにせい。今な、リー君と話しているのは、この前お前が実力テストを担当したあの少年じゃ。どうやら大事な話をしているようでな……」

 純一は博士の言葉に目を細め、接客室の扉の方へ視線を向ける。

 「……まさか、あの少年のことですか」


瑤妤は真剣な眼差しを兄妹に向けた。

陽太は背筋を伸ばし、まっすぐに瑤妤を見つめる。

「瑤妤姉さん……僕はUCBDのヤングエイジェントになりたいんです!」

突然の決意表明に、陽菜は驚いたように目を丸くした。

「お兄ちゃん……?」

瑤妤は知性を宿した瞳を細め、静かに問い返す。

「陽太、今はジャスティスキーパーとして活動するだけでも十分よ。それなのに、どうしてヤングエイジェントになりたいの?」

陽太は言葉を選びながら、力強く答える。

「僕の力は、人間同士の犯罪を止めるために使うより、シャドマイラを退治するためにこそ役立てたい。UCBDの傘下に入れば、もっと効率的に人を救えるはずです」

瑤妤は真剣に耳を傾け、さらに促す。

「続けて、あなたの本当の気持ちを話して」

「……僕は、お父さんとお母さんに何度も心の中で誓ったんです。二人を失った痛みを、もう誰にも味わわせたくない。経験は浅くても、自分の力で人を守りたい」

その言葉に、瑤妤の瞳が一瞬揺れる。しかし彼女は保護者として、冷静に問いを重ねた。

「気持ちは分かる。でも、ヤングエイジェントになるには条件があるわ。力と経験、そして推薦人が必要なのを知っている?」

「はい。力と実績、それとUCBD関係者三人の推薦が要ると聞いています」

「あなたには確かに稀な力がある。でも、経験はまだ浅いわね。実績も限られている。その上で、自分の命を犠牲にしてまで務める覚悟はあるの?」

陽太は少しだけ言葉に詰まるが、やがて苦笑いを浮かべて答える。

「僕はただ……力をもっと有効に使いたいんです」

瑤妤は畳み掛けるように告げる。

「天文観測が好きだったわよね?もしエイジェントになれば、部活や趣味を捨てて、UCBDの任務を最優先に動くことになる。それでも構わないの?」


陽太は苦笑しつつも、静かにうなずいた。

「それは……もし誰かがシャドマイラに襲われ、命の危機にあるなら、何よりも優先して救うのは当然だと思います」

瑤妤は穏やかに、しかし真っ直ぐな声で続ける。

「この前、お姉さん(陽太の母)から相談を受けたの。彼女は、あなたが“組織で働くような生き方”をすることに反対していたわ。あなたの力が、仕事のために消費されるのが嫌だったの。普通の人のように健やかに生きてほしい。たまたま人助けをするのはいい。でも“何かを倒すための武器”として扱われるのは嫌だ、って」

「……お母さんが、そんなことを」


「力と想いだけで、すべてが思い通りになる世界じゃないわ。異能を恐れる人もいるし、陽太は異能者の中でも稀有なタイプ。存在そのものを“人類社会のリスク”だと誤解する人だっている。人のために貢献したい、その気持ちは素晴らしい。でも焦ってはいけない。あなたが有名になればなるほど、あなた自身だけじゃなく、周囲も巻き込むかもしれないの」


大人の社会は、ときに掌握できないものを恐れ、理不尽な行動に走る。

“自分が他人から強い力を持っているをどう見えるか”を、陽太はあまり意識してこなかった。俯き、唇を結んでから、もう一度まっすぐ瑤妤を見る。


「だったら、僕は行動で証明します。人類全体に受け入れられなくても構わない。シャドマイラを退治して、少しずつ信頼を築いていきます」


 瑤妤はUCBDの研究員として、上層部から「日野家の血筋」に関する研究プロジェクトを任されていた。陽太の力が暴走した場合に備え、その制御や対処手段を準備することが目的であり、立場上、陽太にとっては必ずしも味方とは言えない役割を担っていた。

 彼女は不要なトラブルを絶対に避けたいと考えていた。研究員としての責務だけでなく、保護者として陽太の人権や身元の安全を守らなければならない。だからこそ、陽太がヤングエイジェントになることには強く反対の思いを抱いていたのだ。


「陽太、将来はUCBDのエージェントになりたいの?それとも天文研究者?」


人混みに紛れ、正体を隠す、それはもう耐えられない。

虎元道場の先輩や仲間が堂々と異能者として人を守る姿に、陽太もまた心を決めていた。


「将来のことは、まだ分かりません」

「なら、今決めるのは早いわ。ジャスティスキーパーとして地道に実績を積みなさい。焦らず、シャドマイラ退治の経験を重ねてからでも遅くない」

「将来はまだ見えません。でも今は、人間として、僕の力を人のために使いたい。それを増やしたいんです」


覚悟の宿る瞳に、瑤妤は小さく息を呑む。


“やらせてやりたい”けれど、その道は思っている以上に険しい。簡単には頷けない。


「……お兄ちゃん」


そばで聞いていた陽菜の表情は複雑だった。

兄の決意を応援したい半面、瑤妤の懸念ももっともだ。いま信頼できる身内は瑤妤だけ。急いで結論を出すより、慎重に考えるべき。そう思う自分と、努力を続けてきた兄の背を押したい自分。どちらの側にも寄れず、陽菜は小さな声で息を吐いた。


そのとき、接客室の扉がノックをしたから自動開いた。

入って来たのは大原啓道、続いて沖田純一、瑤妤は目を見張る。


「大原所長に沖田さん……どうしてここに?」

「たまたま通りかかっただけじゃ。だが、どうやら大事な話の最中のようだな、リー君」

「……盗み聞きしていたんですか?」


沖田を見るや、陽太の背は自然と正された。

「沖田さん……!」

「やあ、日野くん。元気そうで何よりだ」

「はい、皆さんのおかげです」


ニュース等で英雄として何度も見た顔に、陽菜は思わずささやく。

「お兄ちゃん、神雷さんって、あの……?」

「この前の実技テストを担当してくれたのが沖田さんだよ」

「そうなんですか。沖田さん、この度は兄がお世話になりました」

「はは、私はたいしたことはしていないよ」

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