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第90話 親友四人、それと五人の食卓 ①

 家に戻った陽太は、玄関に並んだ靴を見て驚いた。陽菜のもの以外に、革靴が三足揃っている。

「ただいま」

 エプロン姿の陽菜が、料理の手を止めて顔を出した。

「おかえりなさい。ちょうど夕食を作っているの」

「そうか。差し入れのキャラメルプリンだ。陽菜の友達の分も買ってきたよ」

 靴を脱いで廊下に上がると、陽菜が箱を受け取る。その拍子に、陽太のシャツとズボンの泥や煤の汚れに気づき、怪訝そうに尋ねる。

「ありがとう……って、お兄ちゃん、その制服、すごく汚れてるけど……何があったの?」

「これか。シャドマイラを退治したときについた汚れだろうな」

「……えっ!?また近所に現れたの?」

「帰り道でアラームが鳴ってな。すぐ現場に駆けつけたんだ」

「それで……お兄ちゃんが倒したの?」

「ああ。今度は逃さずに全部片付けた」

「そう……。なら、よかった。夕食はもうすぐできるから」

「分かった。じゃあ僕は着替えてくるよ」


 リビングには伸長式の食卓が用意され、五人分の食器が並んでいた。

ポテトサラダ、三種の漬物、角切りの人参とコーン、ブロッコリーの温野菜。

そして保温用の大皿には、肉厚のハンバーグが五人分以上盛られている。

 キッチンでは唐揚げの音がジュワジュワと響き、秘伝のソースの香りが部屋いっぱいに広がっていた。陽菜が鶏肉を揚げ、もう一人――猫の形のヘアピンを付けた三上静琉が、具材を丁寧に分けながらポタージュを作っていた。

 一方リビングでは、テレビがつけっぱなしの中、二人の少女がチェスに夢中になっている。ローテーブルには開きかけの教科書やノート、文房具が散らかり、勉強会の途中であることが伺えた。

 田中悠乃はサイドポニーテールを揺らしながら思案し、やっとのことで駒を進めた。だが即座にクイーンを奪われ、対面の少女に静かに笑われる。

「この流れなら、もうチェックメイトよ」

「え〜っ!? もうゲームオーバー!?」

 黒髪のストレートを白いヘアバンドで束ねた武田光玲が、涼やかな口調で告げる。彼女は十歳でチェス世界3位に入賞した才媛だ。

「クイックチェスは最初の駒の配置から勝負が始まっているの。考えなしで突っ込んだら、こうなるのよ」

 悠乃は大げさに頭を抱えて叫ぶ。

「もう一局!今度こそ1分だけ持ち時間を伸ばして!」

「ふふ……何局でも付き合うわ」


 着替えを終えた陽太がリビングに戻ると、食卓に並んだ料理の数々に目を見張った。

「陽菜、今日は随分ごちそうだな」

「夏休みの始まりのお祝いだよ。ちょっと贅沢にね」

「いいね、それは」

 三上静琉が照れくさそうに微笑みながら挨拶する。

「こんばんは、日野先輩」

「三上さん、料理を手伝ってくれたんだね。ありがとう」

「いえ……夏休み中お世話になりますし、せめて台所くらいは力になりたくて」

 横から陽菜が笑って口を挟む。

「謙遜しないでよ。しーちゃんのおかげで、母さんの味が完璧に再現できたんだから」

「そんな……大したことじゃないです」

 頬を赤らめる静琉に、陽太も思わず微笑む。

「ありがとう。よろしく頼むよ、三上さん」

 リビングに戻った陽太は、卓上に並ぶ料理を眺め、ふとチェス盤に目をやった。そこでは悠乃が三連敗を喫し、頭を抱えていた。


「ダメだ……また自爆した……!」


「今回は攻め急ぎすぎね。後方の守備がまるで考えられていなかったわ」


 黒髪をバンドで留めた光玲が、冷静に指摘する。盤面を見やれば、その通りだ。悠乃はクイーンを失い、盤上に残った駒でどう足掻いても逆転の余地はなかった。


「もう……光玲ちゃんはテレビ見ながら手加減モードなのに、四連敗なんて……!」

「ゆゆが考えている間に、私はすでに十手先まで想定しているの。残りの時間はテレビで暇潰しよ」

「完敗だよ……勝てる気がしない。光玲のチェスセンスはまじでプロ級だ……」

「単純に、ゆゆの思考回路が甘すぎるのよ。手筋がわかりやすすぎるから」

「うぐっ……」


 悠乃が頭を抱えていると、陽太の姿に気づき、ぱっと顔を明るくする。


「おお! 陽菜の兄ぎじゃないか! 久しぶり!」

「田中さん、お久しぶり。武田さんも、一緒に勉強会に来るなんて珍しいね」

「ええ。彼女たちの偏差値を底上げするために、ね」


 光玲がわずかに口元を緩める。その落ち着いた様子に比べ、悠乃は相変わらず元気いっぱいで、場を賑やかにする。

 陽太にとって、陽菜の親友三人と顔を合わせるのは両親の追悼会以来だった。

「そうか……陽菜の勉強を、よろしく頼むよ」

「ええ、この夏は任せて。それにしても、日野さんは今日、英雄になったんじゃない?」

「えっ!? 先に陽菜から聞いたのか?」

「違うわ。私の観察眼で分かったの」


 光玲がそう告げると、悠乃が勢いよく食いついた。


「なになに!?光玲ちゃん、何を分かったの!?」

「ニュースを見なさい。地元でシャドマイラが退治されたと報道されていたわ」


 テレビ画面には、空から撮影された公園の映像。赤文字で「シャドマイラ退治成功」と大きくテロップが出ている。


「UCBDの重装特務隊と地元ジャスティスキーパーの協力で、とある少年が撃退に関わったと――」

「その“地元のジャスティスキーパー”って、日野さんのことよね?」

「ニュースには名前が出てないのに、どうして分かった?」

「簡単よ。持ってきたプリンの箱の底は泥で汚れているし、プリン自体も揺れた痕跡がある。それに服は着替えたみたいだけど、微かに焦げた匂いが残っている。加えて……前回も日野さんは家を襲ったシャドマイラから陽菜を救ったわよね」


 悠乃が目を丸くする。


「えっ……ほんとに!?陽太兄ぎ、あんたが倒したの!?すっごいじゃん!憧れるわ!」


 大はしゃぎする悠乃に対し、光玲は控えめに微笑むだけ。その眼差しは、宝石を眺めるかのように冷静で、それでいてどこか温かみがあった。

 褒められた陽太は、照れくさそうに頭を掻いた。

「い、いや……僕はただ、できることをしただけだよ」


――武田さん、洞察力が鋭すぎる……チェスの腕前といい、観察眼といい、やっぱり只者じゃないな……


「日野さん、チェスを一局やってみる?」

「いや、詳しくないから……時間もかかるんじゃ?」


「クイックチェスなら三分以内で決着するわ。6x6以内のスペースに、駒は8つ以下に少なめに使い、配置も自由よ」


「なるほど……でも僕はボードゲームが苦手でね。勝負にならないと思う」


 光玲は小さく笑みを浮かべ、言葉を重ねる。


「陽菜ちゃんだって最初はゼロから教えたの。今では私に勝つこともあるのよ」


「えっ……陽菜がチェスに強いなんて、知らなかった」


「陽菜ちゃんより頭の回転が速い日野さんなら、きっとできるわ。戦う力だけじゃなく、戦略を学ぶのも大切よ」


 説得力あるその言葉に、陽太は少し考え、肩をすくめて笑った。


「……わかった。それなら、お手柔らかにお願いするよ」


 ちょうどそのとき、キッチンから陽菜の声が響いた。


「お兄ちゃん、ゆゆちゃん、光玲ちゃん!ご飯、できたよ!」


「ついに出来たか!お腹ペコペコだよ!」

 悠乃が立ち上がり、食卓へ駆け出していく。

「武田さん、続きは後でしようか」

 陽太は布石を見つめ、深く考え込んでから小さく頷いた。

「ええ、続きは楽しみにしてるよ」

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