第78話 転勤通知、難航中
その日の午後、陽太はいつも通り訓練を続け、さらにプラズマボールを70球投げ込んでいた。
家に帰ると、糸世から聞かされた「予言」が心に引っかかっていた。陽太も陽菜も、その内容が気になって仕方なかったが、互いに親には話さないと約束したわけではなかったものの、何となく胸の内に秘めたままにしていた。
ときどき二人で情報交換はしていたが、周囲には特に変わった様子もなかった。そうして、何事もなく二日が過ぎていった。
新東京の空には、今日も無数のマシンが航路を描きながら飛び交っている。果てしなく続く軌道は青空に巨大な図形を描き出しているようだった。
そんな混雑した空の下、辰昭が勤務するスポーツ用品メーカーの本社ビルがある。
その日、辰昭は社長室に呼ばれ、何やら重要な話があるようだった。
大きな事務机の向こう側、柔らかな陽光が差し込む窓辺に、60代を超える痩身の男性が座っていた。派手すぎないが鮮やかなポロシャツと落ち着いたズボンを着こなしており、シャツを着崩しただけとは思えぬ、どこか自然体で威厳ある佇まいだ。
「私を福岡に転勤させるなんて……社長、急な人事異動ですが、私、何か不手際でも?」
社長はにこやかに首を横に振った。
「いや、違う。日野くん、君は会社に大きな貢献をしてくれた。その実績を見て、今回の昇進のチャンスを与えようと考えたんだ。福岡支部には今、部長職に適任者がいない。あちらの舵取り役が不在なのは、経営としても心配の種でね。今のように君を頻繁に往復させるのは、さすがに酷というものだろう?」
「……ですが、私より年次の長い先輩方もいます。その方々を差し置いて、私が昇進の対象となった理由は?」
社長はやや穏やかな笑みを保ったまま続けた。
「理事会としては営業方針に則った判断だが、個人的には年次よりも実力重視でいきたいと考えている。何より、君が福岡に入ってからというもの、業務の効率が格段に上がった。社員たちの評価も高く、現場の雰囲気がとても良い。まさに“辰っちゃん選手”は、チームの雰囲気を変える力を持っているというわけだ」
「ですが……」
「突然の話で戸惑う気持ちは理解している。家庭の事情もあるだろうしね。だから、一週間ほど猶予を与える。よく考えてから、返事を聞かせてくれ」
社長の言葉を受け、辰昭は硬い表情のまま、ゆっくりと頷いた。
「……承知いたしました」
いきなりの昇進の話は、嬉しくもあった。社長や同僚から信頼されている実感もあった。
だが、この転勤が家族にどう影響を与えるのか――それを思うと、胸の奥にざわめく不安が止まらなかった。
*
翌日、放課後。陽太は太陽観測の自由研究を終えたあと、公園のフェンスに背を預けながらMPディバイスを弄っていた。最近は一日中、低周波マップアプリを何度も確認するのが癖になっている。
糸世から告げられた予言が頭から離れず、誰かが襲われる――そんな未来を防ぐために、ケンファクニードスを誰よりも早く見つけたいという焦りが、胸の内に渦巻いていた。
「低周波の異常はあっても、兆候がない……。ケンファクニードスが現れるための条件がまだ満たされていないのか……」
そう呟きながら、陽太は瀧生にメッセージを送信した。
<近所の公園で待機中。今のところ異常なし。もう帰宅時間だから、そろそろ帰るよ>
すぐに瀧生から返信が届く。
<了解。俺は21時までパトロールを続ける予定だ。家に帰っても気を抜くなよ。ジャドマイラはどこにでも現れる可能性があるからな>
瀧生がそう警戒しているのは、先日、糸世の「予言」を陽太から聞いたためだった。
瀧生は糸世本人を知らないが、警察やUCBDにたびたび有用な情報を提供してきたことで、「ジャスティスキーパー」内では彼女の存在は知られていた。
未来を予知する異能を持つ者は稀に存在する。だが、提供される情報の正確性は個人差がある。その点、紅糸世の言葉は、限りなく実現する確率が高く、瀧生はその価値を認めていた。
「やっぱり、突然現れるのを待つしかないのか……でも、僕の身近な人って、一体誰なんだ……」
そう呟きながら、陽太は帰宅途中、自宅から約300メートル離れた駐車場の脇を歩いていた。
「やあ、少年?」
どこかで聞いたことのある女性の声が耳に届き、陽太が声の方に顔を向けると、10メートルほど先のパーキングスペースにUCBDのパトロールマシンが停まっていた。窓が開き、顔を見せたのは青紫の輝く武装スーツをまとった女性――数ヶ月前、陽太を助けてくれた重装特務隊の副隊長、赤星瑠衣だった。助手席にはもう一人、無言の男性隊員が乗っており、陽太の様子をじっと見ている。
「あなたは……あのときの、重装特務隊のお姉さんですね?今日は何か任務中なんですか?」
陽太の問いに、瑠衣は静かに頷いた。
「ええ。私たちはこの定点エリアの監視を担当しているの」
「もしかして……ケンファクニードスの討伐任務ですか?」
「よく知ってるわね。私たち、重装特務隊486小隊は、八王子市全域を駐屯地として待機しているのよ」
UCBDは、警察や消防署のように、都市はもちろん、山間部や離島の集落にも拠点を構えている。通常は警察のようにパトロールエージェントが市街を巡回しているが、重装特務隊のように部隊全体を地域ごとに密集配置させるのは、重大事件への備えとしての特例である。
瑠衣はそう説明しながら、かつて力を持たなかった陽太が、シャドマイラを引き付けて人命救助に貢献したことを思い出し、やや目を細めて問いかけた。
「まさか、また勝手に動いたりしてないでしょうね?」
「いえ、今回は違います。この前の連続殺傷事件の件で、シャドマイラの情報処理を行うジャスティスキーパーの先輩と協力してるんです」
「へえ……どんな子?まさか、力を持っていない人に協力を頼まれてるわけじゃないでしょうね?」
「実は……この前の件で、僕は突変異能者になりました」
「えっ?本当に?それは一体どういうこと?」
UCBDの関係者である彼女になら話しても問題ないと判断した陽太は、新型ゴラーテルトンγの退治作戦に巻き込まれたことから、自身の変異の経緯を一通り説明した。
「そう……その件で異能に目覚めたのね」
言葉を慎重に選びながら、瑠衣は一度遠くを見るように視線をそらし、そして再び陽太に視線を戻して続けた。
「それは、神からの祝福か、あるいは呪いか……人それぞれ捉え方は違うけれど、もしその力を、人間だけじゃなく、この星全体のために使えるなら、きっと誰もが認めてくれるわ」
「はい。そのためにも、今は力を制御できるように、しっかり鍛錬しています」
「上手くやれてるみたいね。……ところで、ケンファクニードスについて何か知っていることは?」
陽太は、民間人として知っている限りの情報を提供する義務があると感じ、この数日間の行き詰まりや、紅糸世から聞いた“身の回りの誰かが襲われる”という個人予言のことも包み隠さず伝えた。
「ふむ、面白い話ね。私は個人的な予知にはあまり信を置かないけれど、集められた情報から導かれた予測なら、それなりに信憑性はあると思うわ。その話、一応参考として記録させてもらうわね」
「お願いします」
「それとね、本当にヤツが現れたとしても、無理に一人で立ち向かおうとしないで。異能者って、自分の力に自信を持ちすぎる傾向があるから、単独行動で命を落とす人も少なくないの。なお、急に起こった事は、君、自身が判断できない場合、信頼できる目上人の指示を素直に受け入れください。リスクが抑えできるでしょう」
「……分かりました」
「そうだ、チャンネルアカウント、交換しようか?あくまで任務用だけど、何かあったらすぐに連絡して。これは約束よ」
「はい。心強いです」




