第73話 虎本道場 ⑤
「黒川さん、やっぱり腕前が素晴らしいですね」
妃緒莉が声をかけたのは、少年・黒川銀士。道場に通い始めてわずか一年でA級と鑑定され、黒腕章へと昇格した実力者のひとり。寡黙な微笑を絶やさず、感情の起伏も少ない彼の声は頼もしくも冷たく、どこか人間としてのピースが欠けているようだった。
「本格的な戦場を幾度も経験した自分にとっては、こうしたパターン化されたシミュレーション訓練は、やや物足りない部分があります」
驚いた様子で、妃緒莉が口元に手を当てて尋ねる。
「こんなに多彩な攻撃パターンを……すべて覚えているんですか?」
「はい。この剣術訓練プログラムには、全5000種のパターンがあります。出題は一見ランダムに見えますが、実際には一定の法則があります。それを10パターン目までに見極めれば、残りの攻撃はすべて予測できます」
「……それはすごい。お父さんにパターンデータの更新を頼んでおきますね」
銀士は視線を逸らし、無愛想な面を見合わせて静かに答える。
「恐縮です。私のためにわざわざ更新していただくのは、設備への追加投資となるでしょう。それは虎本コーチに対して、少々申し訳ないです」
妃緒莉はあたたかく微笑んだ。
「遠慮しなくていいんですよ。お父さんは、教え子たちのための投資は、すべて未来の平和に繋がる意義あることだと常に言ってます。黒川さんが初めてこのシミュレーターを使ったとき、楽しそうに笑っていた顔、今でも覚えていますよ。まるで、おもちゃで遊ぶ子供のようでした」
銀士は僅かに視線を落とし、相変わらず控えめな笑みを浮かべながら言う。
「そのようなことを覚えておられるとは……面目ありません。自分は、もう子供ではありませんから」
「黒川さん、人間なんですから、感情を見せるのは恥ずかしいことじゃありませんよ」
一瞬だけ笑みを失い、銀士はしっかりとした首を少しうなだれさせて呟く。
「……そうですか。ですが、自分はどんな顔をすればいいのか、よく分からないんです。戸惑います」
「焦らなくていいと思います。迷っても大丈夫、ゆっくりでいいんですよ」
「そこまでだよ」
ふいに割り込んできたのは、松原心桜だった。二人の間に立ち、小柄な体で銀士を庇うように両手を広げる。
「虎本さん、その言い方、銀ちゃんを余計に混乱させてない?」
「松原さん……私はただ、黒川さんに少しでも役立てればと思って……」
「コーチ代理とはいえ、本来の指導者じゃないのに、その立場を不純異性交遊関係を築こうとするのは、正直よくないと思います」
その言葉に、妃緒莉は顔を真っ赤にして、怯えたように言う。
「不純異性交遊なんて、違います……そんなつもりじゃ……」
場の空気が急に重くなり、妃緒莉は銀士の方へ視線を向け、申し訳なさそうに頭を下げた。
「黒川さん……もし気分を害してしまったなら、本当にごめんなさい。これで失礼します」
そう言って、妃緒莉はそっと背を向け、静かに去っていった。
「心桜、お前……今のはちょっと言いすぎじゃないか?」
「私はただ、銀ちゃんの気を乱す原因を取り除いただけだよ」
「でも、どうして彼女が逃げるように去っていったんだ?」
「そりゃあ、悪いことがバレたから、逃げたんでしょ?」
「彼女、何も悪いことしてなかったよな?むしろ好意でアドバイスしてただけじゃないか?」
「そんな細かいこと、どうでもいいの」
銀士はその言い合いを聞きながら、無言のまま視線をそらした。
*
約70球を投げ終えた陽太が、レール式の訓練設備から降りてきた。ナックルカーブの投球感覚が掴め、両手で小さくガッツポーズを作る。
「……これなら、いける」
――力やスピードに頼りすぎてたんだ。力を抜けば、もっと狙いやすくなる……
陽菜が駆け寄ってくる。
「お兄ちゃん、稽古終わった?」
「午前の部はね。でも僕が選んだのプランは午後にも稽古があるから、一度休憩して、昼飯食べたらまた戻るよ」
「近くにおすすめのお店ある?」
「和食の定食屋もあるし、隣のホームセンターの中には洋食屋やフードコートもある」
「じゃあ、見回ってから決めようかな。お腹ペコペコだし!」
近くにいた心桜が銀士の腕を取り、うるんだ瞳でお願いする。
「銀ちゃん、私の射撃シミュレーションの挑戦、観てくれなかったの?」
「結果は分かってる。観る必要はない」
熱心な心桜に対し、銀士は冷たく突き放した。
それを聞いていた陽菜が思わずつぶやく。
「……うわ〜、それはショックだね〜」
二人の会話を聞きながら、陽菜は複雑な表情を浮かべた。
「黒川先輩、何かあったのかな……」
「三角関係ってやつ?ちょっとドロドロしてそうだけど……微妙な空気だね」
妹の比喩表現に苦笑しつつ、陽太は首をかしげる。
「そうなのか……」
二人の関係に疎い陽太は、銀士の方を見てつぶやいた。
「今日は松原さんも来てたんだな」
「お兄ちゃん、あの二人のこと知ってたの?」
「うーん、あまり。黒川先輩が来てる時、彼女が外からよく見てるのは知ってたけど、あまり道場の外では話してないしな」
「でも、松原さんって可愛い子だったよ。黒川さんのこと、すごく気にしてたみたい」
「さすが陽菜、もう友達できたのか?」
「ちょっとだけね。でも……あの二人、きっと何かあるよ。深い事情とか」
「虎本コーチも言ってたよ。この道場に来る人は、みんな何かしら悩みを抱えてるって。黒川先輩は、改人で、実戦経験も豊富だから」
そのとき、銀士が静かに陽太の方へ歩み寄る。
「日野くん。君の訓練、終わったのか?」
陽太は顔を銀士に振り迎え、軽くお辞儀で応じる。
「はい、ちょうど今終わりました。お疲れ様です」
「一緒に昼を食べに行かないか?」
「はい、ぜひご一緒したいです」
「なら、場所は君が決めてくれ」
「僕が……いいんですか?」
「ああ。俺は食にこだわらない。腹が満たされれば、それで十分だ」
「分かりました!」




