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第72話 虎本道場 ④

 陽太の投球練習が続く一方で、陽菜はベンチに座ってその様子を見守っていた。しかし途中からは、ディバイスを操作して学校の友人たちとメッセージのやり取りに夢中になっていた。


 そんな陽菜の隣に座っていた小柄な少女が、じっと彼女を睨むように見つめていた。桃色に近いピンクの髪を高いツインテールにまとめ、肩をすぼめて威嚇する猫のように「ぐぬぬぬ〜〜」と唸っている。


「銀ちゃんから離れろよ!この泥棒猫女!!」


 突然の罵声に、陽菜は目を丸くして視線を上げる。訓練室の斬撃設備の方を見ると、先ほど陽太を指導していた妃緒莉が、灰色の髪を持つ少年と談笑していた。

どうやらその少年を「銀ちゃん」と呼ぶらしい。


「あなた、あの黒い腕章の男の子の関係者ですか?」


 突如話しかけてきたその少女は、富士額のように整えられた前髪、童顔で小柄ながらも、むっちりとした太ももをさらけ出し、上半身はジップを開けたジャージとフィットしたボディスーツという競泳選手のような格好。まるでエネルギーが詰まったツンデレ幼女そのものだった。


「ん?あなたは何者ですか?まさか何処かで銀ちゃんのお知り合いですか?」


陽菜はやや戸惑いながらも、少し身を引いて首を横に振る。


「いえ、違います。たまたま今日、お兄ちゃんの稽古を見学しに来ただけです」


「……ふーん、じゃあ銀ちゃんに助けられた《《例の泥棒猫女》》じゃないってこと?」


またしても疑いの目を向けられた陽菜は、苦笑を浮かべながら否定する。


「ち、違いますってば……」


 ようやく勘違いに気づいたのか、少女は恥ずかしさに顔を真っ赤にし、頭から湯気が立ち上りそうな勢いでパニックになっていた。


「ご、ごめんなさいっ!勘違いして、失礼なことを……っ」


「大丈夫ですよ。そんなに気にしなくても、お嬢ちゃんは……その背高お兄さんのご家族ですか?」


 少女は、まるで自分の中の妄想劇を楽しむかのように両手で頬を押さえ、目を細めて笑みを浮かべながら答えた。


「私は銀ちゃんのパートナーですのよ。でも、いつかは本当に“家族”になれると思ってます。あたしと銀ちゃん、きっとね?」


――うわ……年齢差すごくない?でもこの子、見た目とは違って実は私より年上だったりして……?


少女はふと鼻をくんくんと動かすと、小首をかしげながら言った。


「ちょっと、お待ちくださいね」


恐縮した様子の少女は、自分のリュックを開けてごそごそと中を漁り始める。ベンチの上に饅頭、どら焼き、三色団子などの駄菓子が次々と溢れていく。


ようやく見つけたのは棒状チョコクッキー一ケを陽菜に差し出して言った。


「これ、謝罪の印として受け取ってください」


陽菜は両手を挙げて、止めようと言う。


「え?いいですよ、そんなの……」


「好きじゃないですか?チョコクッキー」


「好きだけど、なんでそれが知っているの……?」


「匂いで分かります。甘いものが好きな人は、そっち系の香りを纏ってるんです」


「へぇ、すごい……」


「それに、私は人に迷惑をかけたら、ちゃんと謝って償うようにって、お父さんに教わってるので」


その言葉を聞いて、陽菜の中で何かがふっと和らいだ。


確かに、さっき自分が迷惑をかけたことを思い返していた。それを見抜かれたことに、陽菜は思わず驚いてしまう。


――まさか……この子、人の考えるが読めるの……?


その瞬間、少女の表情が少し硬くなった。


陽菜は、そんな雰囲気をほぐすように明るく笑って言う。


「ははっ、すごい能力ですね。でも、そんなに気にしなくて大丈夫ですよ。私はもう平気ですし、ちゃんと謝ってくれたんですから、もう許します。……もし、どうしても補償したいって言うなら、一つだけで十分ですよ?」


陽菜の優しい笑顔が、張りつめていた空気をやわらかく溶かしていく。少女もほっとしたように笑みを浮かべ、眉をゆるめてこう言った。


「じゃあ……一緒に食べましょう?」


陽菜が頷くと、少女はカサッと音を立ててパッケージを開け、光を反射するプラスチックの袋を広げて中身を見せた。


陽菜はその中から一本のクッキーを取り、ぱきっと音を立てて口に運ぶ。


「ありがとうね」


すると、少女は不意に尋ねた。


「あなたは日野さんの……恋人ですか?」


その言葉に、陽菜の頬が一気に赤く染まった。


――えっ!?私って、そんなふうに見えるの……?


「いえ、妹です。どうして恋人だなんて?」


「日野さんを見たときのあなたの表情と、心拍の変化パターンが……私が銀ちゃんを想うときと、そっくりだったんです。つまり、それは嫉妬です」


「へ、そこまでわかるんですか……」


――この子……匂いだけで人の好みが分かるなんて、とんでもない感覚を持ってる。やっぱり彼女も異能者か……でも、ここまで人を相手にしてここまで拘るを持つなんか、まるで擬人人形みたい……もしかして、彼女は【改人サイボーグ】?それとも……


「私の名前は心桜こころと言います。15歳です。あなたが思った通り、私は【改人サイボーグ】ですよ。でも……ある意味では、人間よりロボットに近い存在なのかもしれませんね」


そう言って心桜は、どこか甘酸っぱく、少し切なげな笑顔を見せた。

その笑みの奥に、なにか辛い記憶がよぎったのかもしれない。陽菜はそれ以上踏み込まないように、気遣うようなやわらかい声で言った。


その気配を敏感に感じ取った陽菜は、彼女の気持ちをそっと和らげるように、優しい声で話しかけた。


「……そうなんですね。でも、心桜さんも腕章を付けてるけど、最初からずっと稽古に出てないですよね?サボってるんですか?」


「ううん、私、別に弟子として通いたいわけじゃなくて。銀ちゃんと一緒にいたくてこの道場に来てるだけなの。コーチからは、「見学でも遊んでもいい」って言われてるの。だから、気が向いたら参加するだけ」


「へぇ……心桜さん、銀ちゃんのことすごく大事に思ってるんですね。でも、そんな感情があるってことは、あなたは決して機械なんかじゃないって、私は思いますよ」


陽菜のまっすぐな言葉に、心桜はどこかほっとしたように笑みを返した。


「ありがとう。心桜って呼んでいいよ。」


その後、心桜と一緒に斬撃訓練室を見守る陽菜。そこでは、銀髪の少年が木刀を片手に我流の構えで訓練機に向き合っていた。


左右のスロットから5本ずつ、ランダムな角度でゴム棒が襲いかかってくる。彼はそれらを軽やかに受け流し、正確に反撃していく。さらに30センチのゴム棒が正面から発射されると、それも見事に払い落とした。


彼の動きには無駄がなく、的確で美しい。打ち払う、受け流す、斬り返す。その一連の動作には、理屈ではなく、身体に染み付いた習慣のような滑らかさがあった。


「でも、あれだけ動けるのに、彼はなんのために道場に通ってるんでしょうか?」


陽菜の問いに、心桜は少しだけ表情を曇らせながら答えた。


「銀ちゃんはね、強さを求めてるわけじゃないの。技や力を磨くのが目的じゃない。彼には……別の理由があるの」


そう言った心桜の視線の先には、銀髪の少年に話しかける妃緒莉の姿があった。彼女が柔らかく微笑むと、少年も応えるように微笑んだ、がその表情はどこかぎこちなく、そして、目がまったく瞬きをしていなかった。


その光景を見つめる心桜の眉がぴくりと動き、表情が一変する。


「……ダメ。銀ちゃん、そんなに近づいちゃ……!あの泥棒猫、私の銀ちゃんを本気で奪うつもり!?」


苛立ちを噛み締めるように、心桜は唇を噛みしめてベンチに座り直した。

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