第69話 虎本道場 ①
次の土曜日、陽太はいつも通り、辰昭を安房郡にある虎本桐哉の道場に連れて行った。今日は陽菜も同行している。
五人乗りの広い車。運転席には辰昭。後部座席で陽太はディバイスをいじりながら、どこか浮かない表情を浮かべていた。連続殺人事件が報道されて以降、新たな被害は確認されていない。陽太は毎日エネルギーレーダーアプリで異常反応を探っていたが、まるで深海に潜む怪獣のように、ケンファクニードスもシャドマイラも姿を全く見せない。
この高性能なアプリは、特別な所属名義がないと使用できない。陽太は三日前に陵星高校のジャスティスキーパー名義で登録され、表向きだけのメンバーになっていた。
低周波反応は150~10まで、緑―黄―橙―赤―紫―紺―黒七級段階を分けられて、紫以下のレベルが偶発的に現れる程度。長期的かつ広範囲の反応は確認されていない。陽太は事件の黒幕が本当にシャドマイラなのか疑念を抱いていたが、瀧生は直感を信じて捜索の継続を求めていた。
その様子を覗き込んで、陽菜が尋ねる。
「お兄ちゃん、そのアプリって何?最近よく使ってるよね?」
「これはエネルギーレーダー。シャドマイラの出現を予測できるんだけど……」
興味津々の陽菜は目を輝かせて言う。
「へぇ〜、そんな怪獣も探せるんだ?」
「うん。でも最近、全然反応がない。妙に静かで変よね……」
「まさか、三度目に出会ったら凡人ではない噂、本当なのかな?」
今更その噂、そして今自分の立場を考え見たら、弄された気分に、陽太は渋味の笑みを浮いた。
「はは……もしそれは本当の実話ならば、プロの方が仕事に手を伸ばせたばっかりアマチュアに対する突っ込み話じゃないの?それって、三度目会うと……確かに……もう凡人じゃないってことよね?」
しかめ面を見せた陽太に対して、陽菜は明るく笑って言う。
「あっ、でも、それってヒーローになってく逸話じゃないの?」
運転席から辰昭がバックミラー越しに二人を見て、口を開いた。
「陽太、あまり物騒な話を妹に聞かせるな」
「……ごめん、気をつける」
「別にいいじゃん。お兄ちゃんのことが心配で聞いてるだけだよ?」
「陽菜は特別な力を持っていない。軽々しくミッションの話を聞かせれば、妹だけでなく周囲にも危険を招くかもしれない」
「でも家族なのに、お父さんやお母さんは瑤妤お姉さんからお兄ちゃんの話を聞いてるのに、私だけダメってアンフェアじゃない?」
「俺が言ってるのは安全を考えてのことだ」
陽菜は不満そうに顔をそむけた。
「先ほどの話、まさか現場に行ったのか?」
「いや、まだ戦いには行ってない。ただ情報収集だけだよ」
「父さんやコーチとの約束、覚えてるか?」
「うん。身を守る以外で現場には行かない。他の異能者とも極力衝突を避けること。ちゃんと守ってるよ」
辰昭は一息吐き、続ける。
「フォームは改善されたが、ピッチングはまだ不安定だ。今のお前にはまだ早い。検査を終えてから一ヶ月は過激な行動は控えるようにと瑤妤さんも言っていた。それもお前を思ってのことだ」
「……分かってるよ。掟は守ってる」
しばらくして、車は虎本道場に到着した。
道場は虎本家から少し離れた私有地にあり、隣にはホームセンターが隣接している。敷地は約3000平方メートル、駐車場付きの5階建ての建物は、高さよりも横幅が強調された堂々たる構え。上階は民宿としても活用され、近隣の学校が合宿で利用することもある。
陽太と陽菜は車から降りる。陽菜は車内の重たい空気を振り払うように大きく伸びをし、深く息を吐いた。
辰昭が窓越しに声をかける。
「陽菜、本当にここに残るつもりか?」
「そのために来たんじゃない?」
「長居して、道場の人たちに迷惑をかけるなよ?」
「分かってるってば」
陽菜は兄がどんな環境で修行しているのか、どんな人々と出会っているのか興味があった。また、さきほど車内で説教を受けて機嫌を損ねた彼女は、父と二人きりで過ごす時間を避けたかったというのもあるだろう。
「じゃあ、午後5時に迎えに来る。陽太、今日の鍛錬、頑張れよ」
「うん」
車が空に浮かび上がり、そのまま静かに飛び去っていった。
陽太が先頭に立ち、二人で館内へと入っていく。
受付カウンターの壁には、道場の大きなロゴが掲げられている。四角いフレームの中に、守備の姿勢を取る虎が描かれたデザイン。いつでも先制攻撃できるように構えつつ、冷静な知性を感じさせる意匠だ。
陽菜の見学について説明すると、受付スタッフは快く了承してくれた。
「えっ?今日はコーチ不在なんですか?」
「はい。道場を通っている弟子が起こったトラブルを関わって、コーチは今朝早く出かけました。本日は娘の妃緒莉さんが代理師範を務めます」
「妃緒莉さんが代理師範に……わかりました」
「お兄ちゃん、あの妃緒莉お姉さんも道場の弟子だったの?」
受付を離れた陽太が陽菜に顔を向ける。
「一応、彼女はA級異能者に認定されてるって話だけど……代理師範までやるとは思わなかったな」
白いワンピース姿でピアノに専念していた優雅な印象の妃緒莉。その彼女が格闘訓練を受けていたとは、陽太には想像しがたいことだった。
陽太は腕章をつけて道場へと向かった。
道場は広さ80帖。床は畳と木板が半々に敷かれており、隣の部屋とはガラスで仕切られている。そこには射撃用のコントロール施設があり、バッティングマシンのようなレールが7基並んでいた。正面には9割の的が配置され、最大200メートルまでの距離に設定可能。さらに奥には斬撃訓練用の施設も備わっている。
ここは小学生から成人まで、異能者に限って通う本格的な道場である。小学校4年生以下を除いて、年齢ではなく段位ごとにグループ分けされており、集中力を鍛える座学から、フルコンタクト式の格闘術、レスリングやプロレス技の指導まで幅広い。一般の武道場と異なるのは、対戦相手が異能者であることを前提に、力の属性や特性に応じて個別の訓練メニューが組まれる点だった。
陽菜は陽太の後をついて道場に入る。弟子たちは動きやすい私服姿で、それぞれ段位と評価等級を示す腕章を身につけていた。陽太の腕章は、何も記号のない白地に道場のロゴが刺繍されたもの――最下位のE級を表していた。
先頭には桐哉コーチの姿はなく、代わりにホワイトとピンクを基調にしたジャージを着た妃緒莉が立っていた。髪はハーフアップのポニーテールにまとめられ、普段の清楚な印象とは打って変わって、アクティブで爽やかな雰囲気を放っている。
「こんにちは」
「陽太くん、今日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ。コーチの代わりに師範なんですね?妃緒莉さんって、てっきりピアノ一筋だと思ってました」
頬をわずかに赤らめた妃緒莉は、肩をすくめて答える。
「午後には帰る予定ですけど、たまにはお手伝いもします。今日はちょっとだけ、皆さんと一緒に指導させていただきますね」
久しぶりに会う妃緒莉の姿に、陽菜は思わず口を開けて見とれた。
「えっ……本当に妃緒莉お姉さんですか?」
「あなたは陽菜ちゃんですね?お久しぶり。すっかり大きくなりましたね」
「いえいえ、それより妃緒莉お姉さんがすっごく美人になりましたよ!」
周囲に弟子たちがいるせいか、妃緒莉は少し恥ずかしそうに微笑んだ。
「陽菜ちゃんったら……。今日は陽太くんの様子を見に来たの?」
「はい。お兄ちゃんがどんな訓練してるのか、気になって」
「相変わらず、お兄さん想いですね。見学、歓迎しますよ」
「ありがとうございます」
その後、稽古が始まった。陽菜は道場脇のベンチに座り、見守る。




