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第68話 母と子

陽太は家に帰ってきた。カバンを肩にかけたまま、リビングに足を踏み入れる。


「ただいま」


キッチンで夕食の支度をしていた黛璃まゆりが、振り返りながら声をかけた。


「おかえり。今日はちょっと遅かったわね?」

「うん。部活の先輩と喫茶店に寄ってから、太陽の観測に夢中になってて」

「そう。確かに、外はまだ明るいわね」


キッチンカウンターには、膨らんだエコバッグがいくつも並んでいる。

中をのぞくと、パック詰めの高級和牛をはじめ、鶏肉に豚トロ、魚介に焼き野菜、そしてお好み焼き用のミックス粉、まさに大盛りの食材たち。さらに、食卓の上にはホットプレートが用意されていた。


それを目にした陽太は目を輝かせて尋ねる。


「お母さん、今日って焼肉なの?休日でもないのに?」

「そうよ。お父さんの特別リクエストなの」

「最近よく出張してるよね。仕事、うまくいってるといいな」


そう言いながら、陽太はソファに腰を下ろした。


「虎元くんに、『同年代の異能者の友達を作ったほうがいい』ってアドバイスをもらったけど、最近、そういう友達できた?」


「うん、少しずつだけどね。虎元コーチの息子の煌音さんとか、妃緒莉さんとか……ほかにも何人か。学校のジャスティスキーパーの先輩からも声をかけてもらったよ」


黛璃は一度手を止め、小皿に盛ったフルーツと紅茶をトレイに載せてリビングへ。ローテーブルにそれを置き、息子の隣にそっと座った。


「そう。ジャスティスキーパーの先輩って、どんな人なの?」


陽太は黛璃と目を合わせながら、ゆったりと話し始める。


「ちょっと変わった力を持ってるけど、優しそうな人。今度また話そうって言ってくれてね。みんな見た目は普通の人と変わらないけど、それぞれ違う力を持っていて、それがすごく面白いと思った。もしかしたら、世界には僕の知らない異能者がもっとたくさんいて、知らないこともいっぱいある……そう思うと、なんかワクワクしてくるんだ」


その明るい笑顔を見つめながら、黛璃は切なげに微笑んだ。


(この子は変わってなんかいない。ただ、少し特別な力を手に入れただけ)


「お母さんは異能のこと、詳しくはないけれど……人より強い力を持つ者には、それに見合う責任がついてくる。陽太、ちゃんとその力で何をするか、自分で見極めなさいね」


陽太はうなずき、少し真剣な口調で応える。


「うん、気をつけてるよ。悪意のある人に会っても、できるだけ衝突は避けて、すぐ離れるようにしてる。コーチが教えてくれたルールも、ちゃんと守ってるから」


「お母さん、びっくりしたのよ。陽太が想像以上の力を持つようになって。でも……それでも、あなたは何も変わらない、私の大切な息子よ」


そう言って、黛璃は優しく陽太を抱きしめた。


中学生になって以来、抱きしめられることは陽菜に譲っていた陽太にとって、その感触は久しぶりだった。


思わず戸惑いながらも、母のぬくもりにどこか安心感が込み上げる。


異能を怖がっていた母が、自分を受け入れてくれている。

その実感が、胸の奥の不安をひとつ、ふっと溶かしていく。


「陽菜がよく言ってたけど、本当にあったかいね。冬はヒーターいらないんじゃない?」

わざと茶化した陽太に、黛璃はくすっと笑って答える。

「節電の話?」


そして、陽太をそっと見つめながら、静かに話を続ける。

「恵まれた力は大切に使うようにって、お父さんも虎元さんも言っていたけど……私が心配してるのは、別のことなの」

「別のこと?」


声ににじむわずかな無力感。黛璃は静かに続けた。


「陽太は、人を思いやれる優しい子ってわかってる。きっと、誰かを傷つけるような使い方はしないって信じてる。でもね、社会には理不尽なことがたくさんあるの。異能を持つ人を怖がる人も、少なくない」


陽太はふっと目を伏せて黙った。


「どんなに頑張っても、陽太を理解できない人はいるかもしれない。中には、言葉や態度で傷つけてくる人もいる。……それでも、陽太にお願いしたいの」

「……うん」

「優しさを捨てないで。どんなにつらいことがあっても、人を信じる気持ちを忘れないで。すれ違いから傷つけてくる人も、世の中も、どうか憎まないで。まっすぐ、健気に、生きていてほしい」


その言葉を受け止めながら、陽太の瞳にはじんわりと涙がにじんだ。


「……うん。よくわからないこと、いっぱいあるけど……でも、約束する。僕、頑張るよ」

「ふふ、ごめんなさいね。ちょっと重たい話になっちゃったわね。涙まで出させちゃって。少し、楽しい話でもしようか?」


陽太は涙をぬぐいながら首をかしげる。


「楽しい話って?」


黛璃はふっと視線を外し、窓の外を眺めながら考え込むようにして、ぽつりと口を開いた。


「そうね……陽太、どうしてお母さんが、お父さんのことを好きになったか知ってる?」


不意の話題に、陽太は驚いたように首を横に振る。


「えっ、知らないよ。どうして?」

「お父さんはね、試合の時でも、トラブルが起きた時でも、決して諦めない人だったの。それに、いつも笑顔で、周囲を安心させてくれる。心が広くて……本当に、太陽みたいな人なのよ」


その姿を思い浮かべながら、陽太はゆっくりとうなずいた。


「……そうか。野球に一生懸命なところが好きなんだと思ってた」


黛璃は再び顔を陽太に見合わせた。


「もちろん、それも好きよ。でもそれ以上に、お父さんが自分のためだけじゃなく、周りの人を気遣って行動できるところ……そこが、一番大きかったのよ。キャプテンとして、皆の支えであり続けようとする姿が、眩しくて」


「……うん。お父さん、かっこいいよね。僕も、そうなれるかな……?」

「なれるわよ。お母さんは信じてる。だって、かっこいいパパの息子なんだもの。“藍より青し”って、言うでしょう?」


「もしかして……それ、僕の名前の由来?」


黛璃は照れたように笑った。その笑顔は、まるで十七歳の少女のように優しく、愛おしかった。


「そうよ。あなたには、誰よりも輝かれる未来がある」

「うん、僕、頑張る。お母さんとお父さんに誇ってもらえる息子になるよ」

「ええ、きっとなれるわ」

未来を見つめるようなまなざしで、黛璃はそっと微笑んだ。


そのとき、玄関から扉の開く音がした。


「ただいまー!」


元気いっぱいの陽菜の声。勉強のことなどどこ吹く風といった様子でリビングに入ってきた彼女は、食卓の上を見てぱっと表情を輝かせた。

「わあっ! 今晩は焼肉パーティー!? やったー!!」


「おかえり」


母と兄が、ほぼ同時に声を揃える。

「なになに?なんか大事な話でもしてたの?」

「ちょっとだけね」


「お母さん、お腹ペコペコ~。夕飯の準備、手伝うね!」

「助かるわ。じゃあ、お好み焼きに使うキャベツ、千切りお願いね」

「はーい! まっかせて!」


こうして、親娘二人は再び夕食の支度が始まる。

その晩、日野家には、たっぷりと笑顔とぬくもりが満ちた焼肉の香りが広がっていた。

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