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第64話 うまく行きそう日々中 ①

 昼休み中、トイレに立ち寄った陽太は、小便器に向かうと、隣に板津修吾が立っていた。目が合った瞬間、2週間前に強気な態度を取ってきた彼の表情が、一瞬戸惑いに変わる。


「板津さん、バスケ部はうまくやってますか?」

すでに彼を脅威とは思っていない陽太は、にこやかな笑顔で気さくに声をかける。

「ま、そこそこ……普通だな」


 自分より小柄なのに、どこか余裕を感じさせる陽太の表情に、修吾は背中にじわりと冷や汗が滲む。言葉をかけるのもためらわれるような空気だった。

 この2週間、修吾は何度か陽太に仕返しを試みた。仲間と共に校舎の裏路地で待ち伏せを仕掛けたものの、姿を現したはずの陽太は屋上へ向かった後、忽然と姿を消した。そして次の瞬間、教室の廊下を平然と歩いているのが見えた。


 最も衝撃的だったのは、掃除用具を倉庫に返すときの一件だった。修吾を含む6人の男子が倉庫の入り口に立ち塞がり、扉をほうきで封じた上で、陽太に喧嘩を吹っかけた。しかし修吾のパンチは全て躱され、まるで亀より遅いかのように空を切った。陽太は他の5人の隙をすり抜け、ほうきをそっと下ろし、そのまま何事もなかったかのように出て行ったのだった。


あれはまるで幽霊にでも出くわしたような体験だった。

陽太は洗面所で手を洗うと、そっと出口へ向かう。


「日野、お前……いったい何者だ?」

ふと漏らした修吾の問いに、陽太は振り向き、太陽のように明るく微笑んだ。


「板津さんと同じ、ただの同級生だよ」


「嘘だ……普通の奴に、あんなことできるわけがない」


「たしかに、ちょっとだけ普通じゃない力が覚醒した。でも、僕は僕だよ」


そう言って、陽太は軽く肩をすくめると、ニヤリと笑いながらトイレを出て行った。

修吾はただ、口を開けたまま見送るしかなかった。

 


 放課後、赤星実瀬は大勢の生徒に見送られながら、校門を後にした。彼女によく声をかけてくる慎輔は、『地上の星』のテーマを探るため、他校の名人を訪問しに出かけていた。


 一方、陽太は教室で荷物を片付けていたところ、化学の岩岡先生に声をかけられた。


「日野君、今、時間あるかい?」


陽太とほぼ同じ背丈、薄毛で老眼鏡をかけたスーツ姿の中年教師が声を潜めて言う。


「はい。何かご用でしょうか?」


「実は今日、化学研究部の部活があるんだが、私はこれから都心で娘とその婚約者との食事会があってね。それで理科助手の一条さんも今日は欠席でな……代わりに理科室の鍵を開けておいてくれないか?」


「分かりました。開けたあとは鍵はどうすれば?」


「化学部の部長に渡してくれればいい」


「了解です」


陽太は鍵を受け取り、鞄を手に理科室へと向かう。

廊下の先には、一人の女子生徒が立っていた。


 赤いヘアゴムでポニーテールを揺らし、前髪を7:3に分けたその女子は、身長170センチを超える長身。なにより目を引くのは、制服の上からも分かる豊かな胸元――リボンはまるで飛び立つ蝶のように見えた。


陽太に気づくと、彼女はすっと振り向く。


「あの、すみません。あなた、化学部の方ですか?」


「いえ、違います。でも、化学研究部って、毎年科学展に出展してるって聞いてて、ちょっと興味があって……見に来ただけです」


新聞部のような語り口で言う陽太に、彼女はふっと微笑んだ。


「そう。君、天文部の日野君でしょ?」


「えっ、はい。……どうして僕のことを?」


彼女は制服のスカーフから二年生だと分かるが、学校で特に有名という印象はない。それなのに陽太の名前を知っていることに、彼は軽く驚いた。


「私は放課自由部。でも時々、天文部にも顔を出してるから」


「えっと……豊城先輩から聞いたことがあります。幽霊部員って……」


「“ことり”でいいよ。思うに凛、と書いて思凛ことり


「思凛先輩、今日はどうしてここに?」


「ちょっと時間があったから。風沢くんの観測テーマに協力してるの」


「風沢先輩はどこに?」


「たしか今、女子野球部に取材に行ってるはず」


「じゃあ分担してるんですね」


「そう、面白いテーマだから、一応サポートしてる感じ」


「なるほど」


あまり深く詮索せず、陽太は静かに鍵を差し込み、理科室を開けた。


「日野君、これから天文部?」


「はい、ちょっと様子を見に行こうかと」


「そう。じゃあ、私の代わりにみんなに挨拶、頼める?」


「先輩は来ないんですか?」


「このあと用事があるの。だから、見学だけで失礼するね」


「分かりました」


そうして陽太は化学部の部長に鍵を手渡し、天文部の部室へと向かった。


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