第4話 プロローグ ④
玄関を出た陽太は庭に停めておいたエアチャリンコの鍵を外し、スタンドを蹴り上げた。
ハンドル中央のスイッチを押すと、車体が静かに浮上し始める。周囲に柔らかな風が舞い、浮力エンジンの音が心地よく響いた。
レバーで高さを調整しながら、陽太はサドルに腰を下ろし、ハンドルを握りしめた。ペダルをこぎ始めるとエアチャリンコはなめらかに進み、やがて1メートルほどの高さで安定した。
陽菜が手を軽く振って見送る中、陽太は空を見上げた。薄雲が広がる空に太陽が顔を出している。
陽菜は陽太を見送った後、リビングに戻った。
いつの間にかローテーブルが片付けられ、テレビも消されている。
「え? 私のおやつが片付けられてる!」
「陽菜、新学期にはすぐ復習テストがあるでしょ?そろそろ勉強しないと。」
陽菜は拗ねたように両手を握りしめ、胸元でギュッと抱え込むような仕草をしながら言った。
「えぇ~、私はドラマをもっと見たいのに~」
「ドラマは逃げないから、いつでも見られるでしょう?それに、陽菜もお兄ちゃんと同じ高校に行きたいんでしょ?前期の期末テストの成績じゃ、ちょっと厳しいかもしれないわよ?」
頬を膨らませた陽菜は、黛璃に説得されて、渋々ため息をついた。
「分かったよ……」
退屈そうな表情を浮かべながら、陽菜は階段を上がっていった。
陽太は山を登る坂道を、エアチャリンコに乗って一定のスピードで走っていた。
髪が揺れ、肌寒い風が顔をかすめる。ふと顔を上げて空を見上げると、薄い雲がかかった太陽が見えた。
陽射しを浴びると、陽太の顔には自然と純粋な笑みが浮かんだ。
幼い頃から、陽太は太陽を追いかけるのが好きだった。晴れた日にはエアバイクでどこまでも走り続け、半日以上も太陽を追いかけることがよくあったのだ。
陽太は家から約2キロ離れた公園に到着した。
ここは山の上にある高台公園で、町全体を見渡せる場所だ。
広く開けた西南向きの高台は、陽太が太陽をじっくり観察するのにぴったりの場所だった。
エアバイクを降りた陽太は、浮力エンジンを1センチの高度に固定し、ハンドルを軽く握りながら徒歩で公園へと向かった。
高台への歩道を進むと、微かに人の歌声が聞こえてきた。
その声は高台に近づくにつれて次第にはっきりとしてきた。
よく耳を澄ませてみると、それは若い女の子の歌声のようだ。
明るくて元気いっぱいの声。低音の部分は優しく心を癒し、高音の部分は温かく力強く、まるで耳をマッサージされるような心地よさを感じる。
陽太が高台にたどり着くと、そこには一人の少女が立っていた。
レッドブラウンのセミロングの髪を、両サイドを三つ編みにしてハーフアップにまとめ、さらに後ろで一つの団子にして細いリボンで結んでいる。
彼女はミルクティーベージュのダッフルコートにミニスカート、そして黒いショートブーツを履いていた。その姿はまるでファッション雑誌からそのまま抜け出してきたようで、可愛らしい顔立ちがさらにその印象を引き立てていた。
少女は遠慮なく腹式呼吸を使い、大きな声で歌い続けていた。
陽射しに照らされた彼女の髪はゴールドに輝き、まるで太陽そのもののように見えた。
――太陽みたいに輝いている……なんて、美しい人なんだ。
陽太は少女の姿に見とれ、その場に立ち尽くしてしまった。
少女が一曲を歌い終えると、こちらに顔を向けて、視線が陽太と交わった。
「あなた、私の歌を聞いてくれたんですか?」
少女の問いに、陽太は少し間を置いて答えた。
「……はい、途中からですが。とても素敵な歌声でした。」
陽太は無邪気な笑顔を浮かべて答えた。
「どれくらい素敵でしたか?」
陽太は一瞬視線を逸らして考えた後、再び彼女と目を合わせた。
「そうですね……まるで太陽の光を浴びたように温かくて、気持ちの良い声でした。」
「そんなふうに褒めてくれるなんて、ありがとうございます。」
少女は嬉しそうに微笑みながら陽太に近づき、もう一度尋ねた。
「あなたは、近所の人ですか?」
「いえ、少し離れた住宅街から来ました。太陽を観察するのが好きで、この高台にはよく来るんです。」
「へぇ、そうなんですね。」
「あなたは観光で来たんですか?」
「いえ、最近この町に引っ越してきたんです。歌の練習場所を探していたら、この公園を見つけたんですけど、ここ、景色が本当に綺麗ですね。」
「確かに。……あなた、本当に歌が好きなんですね。」
少女は目を細めてにっこりと笑い、とても元気よく言った。
「歌だけじゃない、ダンスも得意ですよ!」
可愛らしく笑う少女を見て、陽太の頬はほんのり赤く染まった。
「すごいですね、そんなに多才なんて。」
「ふふん! 私、いつか星みたいに輝く人になりたいんです!」
「そんな人になれたら素敵ですね。」
陽太は気楽に微笑みながら、少女の夢を応援するように答えた。
「そうだ、私の名前は赤星実瀬です。あなたの名前は?」
「あっ、僕は日野陽太です。」
「太陽みたいに暖かい名前ですね?」
陽太は手を頭を掻きながら言う。
「そ、そうですか……ありがとうございます……」
名前を褒められた陽太は照れ臭そうに頭を下げた。
それは、陽太が初めて女の子に恋をし、初めて恋心が芽生えた瞬間だった。




