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音のない教室

午後の教室は、窓から入る陽の光でゆるやかに染まっていた。

授業が終わったあと、生徒たちはそれぞれの荷物をまとめて帰っていく。


柊はひとり、静かに机にノートを広げていた。

そのページには、こんな言葉が書かれていた。


 


6. 望先生にもう一度音楽を好きになってほしい


 


きっかけは、あの日――

ギターを弾いてくれた望先生の手が、わずかに震えていたことに気づいたからだった。


演奏の途中、何度かコードを間違えた先生は「すまない」と小さく笑った。

けれど、その微笑みの奥に、深い悲しみの影が見えたのだ。


 


「先生…音楽、嫌いになっちゃったの?」


思わずそう問いかけた時、望先生は一瞬だけ目を伏せた。


「いや、嫌いじゃない。…ただ、避けてきたんだ」


「なんで?」


「…柊さんには関係ない話だよ」


そう言いながらも、先生はどこかで“誰かに話したい”と思っているようだった。


 


――その“心の鍵”を開けたい。


柊は、そう思った。


数日後の放課後

 


望先生は柊に頼まれて、またギターを持ってきてくれた。


「…また聴きたいのか?」


「うん。でも今日は、先生が“最初に好きになった曲”が聴きたい」


先生は少し考えてから、口を開いた。


「高校のときに作った曲がある。教え子に聴かせた、たった一度きりの…」


 


ポロン――と、弦が鳴る。

それは、とても素朴な旋律だった。まるで小さな雨粒が並んで落ちてくるような、やさしい音。


 


柊は静かに目を閉じた。

音楽が、先生の心の奥に眠る“なにか”を呼び起こしているのを感じた。


 


やがて演奏が終わると、先生はぽつりと語り始めた。


 


「昔、ある生徒がいたんだ。名前は陽菜ひな。音楽が大好きな子だった。俺のことを“ノンちゃん”って呼んで、よく笑っててさ」


「うん」


「でもある日、急に学校に来なくなった。……病気だった。白血病。

入院先の病室で、最後に俺のギターを聴きたいって言われたんだ。

それが、この曲だった」


 


柊の手が、ギュッと布団の端を握った。


「でも…間に合わなかった。俺が病室に行く前に、陽菜は亡くなった。

それから、ギターを見ると胸が痛くなるようになって…ずっと封印してた」


 


先生は俯き、目を閉じる。


「俺は…守れなかったんだ。あの子の最後の願いを」


 


柊はそっと、先生の手に自分の手を重ねた。


「望先生。あたし、今生きてるよ。

そして、先生の音楽が、すごくあったかいって思った」


 


先生は何も言わなかった。

ただ、その手の震えが止まっていた。


 


「陽菜さんも、きっと怒ってなんかない。

先生の音楽に、もう一度誰かが救われるなら、それだけで意味がある」


 


その言葉が、望先生のなかで凍っていた時間を、ゆっくりと溶かした。


「……そうだな」


 


その日、柊のノートにはまた一つ、線が引かれた。


6. 望先生にもう一度音楽を好きになってほしい ――達成


 


音のない教室に、ふたたび音が戻った。

それは、過去を許し、未来へ進む音だった。



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