お姉ちゃんの本音
病室の空気が、いつもより少しだけ重かった。
柊はその理由を、胸の奥でずっと感じていた。
──お姉ちゃんが来ないこと。
沙耶は柊の5歳年上の姉。
東京でアパレル関係の仕事をしていて、家族とはあまり連絡をとっていなかった。
柊が入院してからも、何度も来ようとしてはキャンセル。
そのたびに「忙しいから」「上司がうるさくて」と言っていたが、本当は違うことを柊は知っていた。
怖いのだ。会うのが。
病気のこと、余命のこと。
“姉”という立場で受け止めるには、あまりにも重すぎる。
けれどそれは、柊にとっても同じだった。
「会いたいなあ、お姉ちゃんに」
そう呟いても、返事は来ない。
その日、母が病室に入ってきて言った。
「…柊。今日ね、沙耶が帰ってくるって」
柊は驚いたように目を丸くし、それからゆっくり笑った。
「やっと…顔、見られるんだね」
数時間後、夜の病室
ドアがノックされ、ゆっくりと開く。
そこに立っていたのは、コート姿の女性。髪は少し明るめの茶色。メイクは涙で少し崩れていた。
「……柊」
「おかえり、お姉ちゃん」
その言葉に、沙耶は耐えきれなかった。
「ごめん…ごめんね……」
柊のベッドにすがりつくようにして、沙耶は声を震わせて泣いた。
「仕事がどうとか、言い訳ばっかして。ほんとは、怖かったの。あんたの顔、見るのが。
“あと1年”って聞いて…信じたくなくて、逃げてたんだ」
柊はその頭を、そっとなでた。
「うん、知ってたよ。でも来てくれて嬉しい。やっぱり、お姉ちゃんはあたしの大事な人だから」
沙耶は顔を上げ、少しだけ笑った。
「ほんとに…強くなったね、柊」
「そうでもないよ。強がってるだけ。だって、まだまだやりたいことあるもん」
柊はノートを手に取った。
「ねえ、聞いて。あたし、“願いリスト”書いてるの。いろんな人の幸せを願って。
それでね、1つお姉ちゃんにお願いがあるの」
沙耶は驚いた顔をした。
「わたしに?」
「うん。“お姉ちゃんに、本音を話してほしい”ってリストに書いたの」
沙耶はしばらく黙っていたが、やがて小さく呟いた。
「東京、もう疲れちゃった。仕事も、競争も、人間関係も。
でも、東京で頑張るのが“正しい姉”だと思ってた。
弱音吐いたら、柊に悪いって思って…ずっと飲み込んでた」
柊は笑った。
「ううん、弱音なんて大歓迎。
むしろ、そうやってお姉ちゃんが“普通の人”だってわかると安心するよ」
沙耶は吹き出し、涙をぬぐった。
「そっか。じゃあ、しばらくこっちにいようかな。あんたのそばにいたいから」
「うん、いて。たくさんわがまま言うからね」
二人の笑い声が、病室を優しく包んだ。
その夜、柊はノートにゆっくりと線を引いた。
お姉ちゃんに本音を話してもらいたい ――達成
心の距離が、少しずつ近づいていく。
離れていた時間のぶんだけ、これから埋めていくんだと、柊は思った。