七海に夢を思い出してほしい
病院の廊下を歩いていると、向こうから足早に通り過ぎていく少女の姿が見えた。
短く切りそろえられた黒髪、片耳にイヤホン。目は伏せられ、誰にも興味がないような歩き方。
柊は、すぐにその子の名前を思い出した。
七海――
同じ病棟の中学生。年は一つ上。
無愛想で、いつも誰かを突き放すような空気をまとっていた。
「…またあの子、ひとりでいるね」
ナースの真理さんがつぶやいた。
「話しかけても、だいたい無視されちゃうのよ。寂しいの、隠してるんだろうけどね」
その夜、柊はノートを開き、4番目の願いにそっと目を落とした。
4. 七海に夢を思い出してほしい
翌日、病室の隅でイヤホンをつけていた七海に、柊は声をかけた。
「ねえ、何聞いてるの?」
「……クラシックロック。知らないでしょ、あんたには」
「AC/DC?」
七海がぴくっと反応した。
「え、それ知ってんの?」
「お姉ちゃんが昔、うるさい音楽ばっか聞いてたから。あたしも自然に覚えた」
それがきっかけだった。
二人は少しずつ話すようになった。
それでも七海は、どこか壁を残していた。
「夢とか、あんの?」
ある日、柊が何気なく聞いた。
「夢? …あるわけないでしょ」
七海は窓の外を見ながら言った。
「前はさ、保育士になりたかったんだよ。子ども好きだったし。でも、今はもう無理。身体こんなで、将来どうせ短いって言われてんのに。夢とか、バカらしい」
柊はしばらく黙っていた。
それから、静かに口を開いた。
「それでも、夢って意味あると思うんだ」
「なんで? 死ぬのに?」
「うん、死ぬのに」
柊はまっすぐ七海を見つめた。
「でもね、生きてる間に“なりたい自分”があるって、それだけで毎日が違ってくる。
たとえ叶わなくても、その夢を思い出して笑える時間があるなら、すごく意味があると思うんだ」
七海は言葉を失った。
涙をこらえるように目をそらした。
「…あたし、保育士って言ったら笑われたんだ。こんな身体で無理って。
だけど、いま柊に言われて…ちょっとだけ思い出した。好きだった自分を」
柊は小さく笑った。
「そしたら…私の願い、叶っちゃったかも」
七海が目を見開いた。
「え?」
柊はノートを開き、七海の目の前で一本の線を引いた。
4. 七海に夢を思い出してほしい ――達成
七海はその様子を見て、ぽつりと呟いた。
「ねぇ…その願いリストに、今度は“七海が夢を追いかける”って書いといてよ」
「うん、書くね。でもそれは、あなたのリストに書くんだよ」
二人は笑い合った。
病室の天井に、夕日がゆっくりと差し込んでいた。
夢が“未来”に届くとは限らない。
でも、“今”をあたためることはできる――そう感じた日だった。