第九話 「試行回数」
私は3羽の恐竜を見回しながら、ふと首をかしげる。
このバージョンは1998番目だと、教授はたしかに言っていた。
それは1998代目ということなのだろうか・・・?と。
マニラプトル段階までニワトリを巻き戻す。
つまり、ニワトリの遺伝子を1億5000万年巻き戻すことになる。
いくらAIがどこの遺伝子をどの程度変更せよと割り出したとしても、相当な数の改変点が生まれるだろう。数百、いや数千だろう。
そして、そもそもの話だ。
うちの大学がどの程度先進的なAIを開発しているのかよくは知らない。
しかし、その歴史はとても長いとは思えない。
もし長かったとしたら、米国製のChatGPTや中国製AIの開発競争に先んじて弊大のAIが世界を支配していたはずだ。その歴史は長く見積もっても10年、たぶん5年未満だろう。
その間に、1998代も作れるのだろうか?
さきほど、教授は「毎週生まれる」と言っていたが、一年は52週しかない。
そんなバカげた試行回数は、いったいどうやって達成されたのだろうか・・・?
ただ、あの孵卵器に並ぶ卵の数を見ると、納得は行く気がしていた。
数百はあった。しかし、それだけの卵を、いったいどうやって??
聞いてはいけないことかもしれないと思いつつ、私は恐る恐る尋ねた。
「ところでこれ、どうやったんですか?遺伝子を改変するにしても、1998回も試行するなんて・・・。だってマウスとかでも、1998代目とか聞いたことないですよ?」
教授はそれを聞いて、満足したようにいった。その笑顔はむしろ私には不気味に映った。
よれよれのシャツがひらつく、親しみやすさというより、狂気の象徴だ。
「君、本当にいけてるね。ある意味ではニワトリを恐竜に戻すよりも、そっちの方が革命的なんだよ」
教授は隣の飼育室の扉を開ける。
そこはまさに、魑魅魍魎の跋扈する空間だった。
頭だけ恐竜のようだったり、全身が鱗に覆われていたり、なぜか角が生えていたり・・・
おびただしい数の「ニワトリの成れ果て」たちが餌をついばんでいる。
私はその異形たちを見て息をのむ。これは間違いなく、禁忌のなせる業である。
「全部、やったんですね・・・」
私の声は震えていた。
「見ての通りだ」
教授はぐるりと異形たちを見回す。
「僕たちはニワトリをいじり倒した。まだまだ飼育室はたくさんあるぞ」
そして、ウインクした。
「そして君の質問は、なぜこんなに急速に大量の遺伝子をいじることができたのか、だよね?」
振り返る顔は、どこか楽しそうだった。
私は目をそらす。
「そうです・・・」
私は確信する。この人が医者じゃなくてよかったと。生粋のマッドサイエンティストだ。
怖い。心臓の鼓動が聞こえてきそうだ。
でももう、逃げられない。割り切ってしまうしかない。
教授はにこにこしながら続ける。
「まず話の前提として、キメラマウスというのは聞いたことがあるかな?」
キメラマウス。
大学入試や、生物学の講義でぽつぽつ話は出てきていた。
「親マウスの発生時に導入したい遺伝子を入れた細胞を混ぜて体細胞キメラを作って、それが生殖腺に入るのを利用して子供に遺伝子を導入する、んでしたっけ」
合っているかはわからないが、大体そんな話だったはずだ。
内容はあっているかどうか微妙だが、教授は満足したようだ。
「じゃあスタートラインには立てているかな。つまり、遺伝子の導入には1~2世代が今まで必要だったんだよ。ニワトリは成熟するまでに半年、卵がかえるまで3週間かかる。1998回も試行したら、それこそ一生かかってしまう。」
そうか、マウスは世代交代が速いのもまた魅力なのだった。
マウスの和名が「二十日鼠」であることに、あらためてその違いを実感する。
「というと、体細胞クローンを作ったってことですか?」
クローン羊ドリーの話は有名だ。
クローンはいまやSF技術ではなく、産業利用も十分可能だと聞く。牛とかでやっているんだっけ。それと培養細胞や腫瘍を極めてきた教授の経験が合わされば、おびただしいバリエーションを作るのもさぞかし容易だろう。
しかし教授は首を横に振る。
「ニワトリ・・・にかぎらず鳥類の体細胞クローンは、いまだに誰も実用化できてないんだよ。」
「ジュラシックパークみたいに、なんとなくできるんだと思ってました」
私はハッと息をのんだ。まさかそんなところに未開拓のフロンティアがあるとは思ってもみなかったのだ。ドリーの話や、「ジュラシックパーク」の影響で、なんとなくDNAさえ確保できれば恐竜が再生できるのだと勝手に思ってしまっていた私は、その浅はかさを恥じた。
「最初はその方向で進めてたけど、今も成功率は1割未満。それでも世界の最先端に立ってるって自覚はあるくらいなんだ」
教授は言った。
「そして、ここからを知るためにはまず、うちの秘密兵器、柳さんを紹介しないとだね」
教授はあの孵卵室のあった階まで、エレベーターを昇る。
あの日と同じ。
テイルが生まれ、感情のジェットコースターが始まった、あの日。
更衣室に入った時、私はなにか不調をきたすのではないかと恐れたが、何の心配もなかった。
ただ、好奇心だけが頭を支配していた。
孵卵室があったのとは、また別の実験室である。
教授がノックすると、「どうぞ」とだけ、声があった。