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第三話「窓のないビル」

三木教授は講義室を出ると、私を連れて夜のキャンパスへと歩み出した。

冬の夜空は冷たくて、黒くて、つんと肌を刺した。


うちの大学のキャンパスはやたら広くて、施設内に何十もの建物が立ち並んでいる。

そのなかでひときわ異彩を放つのが、いくつかある「窓のないビル」である。

他の建物よりもひときわ新しく、やけにピカピカした白い外壁に覆われたビルは、遠目にもよく目立つ。

しかし私たち大学生にとっては日常だった。

「あれ何?」

「なんかの実験やってるらしいよ、こっわー」

そんな感じでスルーされている。医学生は研究をそもそもやらずに卒業してしまう人が多いから、いよいよそれについて何も知らない人が多い。そもそも、どんな実験をしているかすら知られていない。

なにせ完全な防音仕様であり、中で何が起きているのかは知る由もないのだ。


私も知らなくて、生物学部の知り合いに聞いたことがあった。

彼は笑っていった。「ありゃ「ネズミ御殿だぜ」。うちの大学じゃネズミの方が俺たちより偉いんだ」


そう、実験動物の飼育施設だ。医学、生物学、農学、その他もろもろ。マウスやラットは研究の進歩には欠かせない。そして、実験会社から買うと非常に高い。だから学内で生産しているのだ。


それらの待遇は極めてよい。ヌードマウスなどは免疫系に大きな欠陥を抱えているものだから、すこし雑菌が入っただけで死んでしまう。そうでなくとも、ちょっとした環境の差が致命的な実験の狂いを産む。だから、すこし考えてみればネズミの飼育環境は人間より良くて当たり前である。


しかしそれでも、「ネズミ御殿」と揶揄されるほどには納得がいかない。

人間が住む宿舎が「ヨハネスブルク」と揶揄され刑務所との比較画像がつくられたり、講義室の天井が落ちたりしているのだから。

「まったく、ネズミ風情が人様を見下ろしている」

私は講義室からそうしたビルが見えるたび、そう思うのだった。


招かれた研究室はそんな、窓のないビルにあった。

もう日も暮れており、ただでさえ不気味な「窓のないビル」がより一層迫力を増していた。


小さな扉が開いている。

先生はパスキーをかざすと、かちゃりと開く音がする。

中にはいる。

・・・思ったより、普通だ。

薄暗い廊下に、ほかの研究室の扉から覗く光がぽつりぽつりと光の束を作っていた。

内側から見れば、ごく普通の研究棟。私は少しほっとしていた。

そして、先生は研究室の扉を開くとどかっとゲーミングチェアに腰かけ、私も座るように促した。

研究室はアットホームな空間だった。高性能そうなコンピュータは並んでいるが、まず目に入ったのはデスクの上に所狭しと並んだ恐竜のフィギュアだ。

ティラノサウルスの鋭い歯が光り、トリケラトプスの角が誇らしげに突き出している。

本当に好きなんだな、この人。私は内心で笑みを浮かべた。私も同じだ。

教授はプラスチックのマグカップに注いだコーヒーを差し出してきた。

「あ、ありがとうございます」

一口飲んでみると、インスタントらしい、薄っぺらい味が広がる。

お世辞にも美味しいとは言えないが、教授の笑顔を見ると文句は言えなかった。

「いやー、若いっていいねえ。僕もいまは生物学部の教授だけど、出身はここの医学部なんだ。みんな医学部に行って医者になると思ってるけど、そうじゃない人もいる。古生物学者になったりとか、僕みたいに生命科学をやったりとかね。ところで君…恐竜、好きかい?」

「好き…って言っていいほどかはわかりませんが」

私は少し照れながら答えた。恐竜には惹かれるけれど、熱狂的なファンの知識量には到底及ばない自覚があった。

「じゃあ、恐竜の頭を構成する骨を挙げてみて。検索しちゃだめだよ」

突然のクイズに私は目を丸くした。けっこう難しいやつだよ、それ。

「えーっと、前上顎骨、上顎骨、鼻骨、頬骨、涙骨、方形骨、方系頬骨・・・あと前頭骨、頭頂骨。側頭骨はないんだっけ・・・えーッと目の後ろの」

「後眼窩骨だね。大合格。君、けっこう好きだね」

教授は満足げに頷いた。私は少し気恥ずかしくなりながら、首を振った。

「恐竜好きって層あついので・・・下手に言い出せないんですよね。恐竜の名前とか全然知りませんし」

先生はひと呼吸おいて、静かに口を開く。

「僕も恐竜の名前はあまり知らないんだけどね。でも恐竜について、僕はいま世界の最先端に立っているよ。絶対に口外しない、という約束を守れるなら・・・こっちに来ない?」


その言葉に、私は思わず息を呑んだ。絶対に口外しない。そういえば、講義の時も教授はスマホやタブレット端末の使用に異常に厳しかった。ノートに手書きでメモを取ることを強制し、使ったら追い出すとまで言っていた。フレンドリーだがそこに関しては異常なまでに厳しい。

この人は、にこにこした秘密主義者だ。


「何をやるのかわからないですが、やります」

私は勢いでそう答えた。でも、心臓がドクンと跳ねて、喉が少し詰まった。

この人は・・・このマッドサイエンティストは、本気だ。


すると教授は、デスクに置かれた小さな真鍮のベルを鳴らした。チリン、と澄んだ音が部屋に響く。

「みんな来ていいよ」

次の瞬間、研究室の扉が勢いよく開き、大学院生たちが雪崩れ込んできた。

20人…いや、30人近くいるかもしれない。狭い部屋は一気に人で溢れ、熱気とざわめきに包まれた。

院生たちの興味津々な視線が私を串刺しにする。私はその場に立ち尽くし、圧倒されていた。


教授が穏やかに口を開く。

「新入りの中野君です、よろしく」

「中野…壮一です。よろしくお願いします…」

私はぎこちなく頭を下げた。院生たちは次々に自己紹介を始めたが、今日一日の講義疲れと突然の状況に頭が回らず、誰一人名前を覚えられなかった。


…もう逃げられないじゃないか。


「じゃ、皆に顔も見せたところで、見てもらおうか…」

教授の言葉に、院生たちが一斉に動き出した。

私は彼らに囲まれながら、エレベーターへと押し込まれた。

「窓のないビル」の内部を上昇するエレベーターは、静かで冷たく、異様な雰囲気を漂わせていた。

「ところでまだ聞けてないんですが、ここで何やってるんですか?」


私は我慢できずに尋ねた。


教授はこともなげに答えた。

「恐竜を作ってるんだよ。」




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