赤い夕日に隠したもの 上
サクッと楽しんで下さいね。
太陽は西に傾き、赤い夕日の光が空を染める頃。
自室へ戻ったヘンリエッタは、薔薇の花に結ばれた銀糸の刺繍が入る紫色のリボンを解いた。一輪の花はアンに託して、窓辺のソファにゆったりと座るとイリウスからの手紙を開く。
その手紙には、急に手紙を送った事を詫びる文章から始まり、父の肖像画の件でお世話になったお礼を自分からもさせて欲しいという内容がしたためられていた。
何度か手紙を読み返したヘンリエッタは、一人首を傾げる。
肖像画の件は、先日公爵家から直々に御礼の言葉や品は頂いているし、親族である陛下からも感謝の気持ちとして褒章のメダルを賜ったばかり。だから、イリウス様から個人的に何かして頂く必要は無い様に思うのだけれど…。
イリウスとヘンリエッタは、そもそも社交界ではランドールがいたから顔見知りになったという程度の関係だった。
大学校では互いに選択したコースも違っていたし、母親が亡く父兄も外国にいるヘンリエッタには、ドラメント伯爵家の維持管理は出来ても政治の中枢に食い込む程のコネクションは無い。
しかも、イリウスは息子のいないメルトン現国王の弟である実父、長兄に続き王位継承者第三位の位置にいる。整った顔立ち、色白な肌でくせ毛の黒髪と紫色の瞳は、ミステリアスな雰囲気。服の上からでも分かる、鍛えられた体つき。大学校時代からランドールと並んで淑女や令嬢達の憧れだった。そして、誰にでも気さくな性格は同性からの支持も厚い。
対して、自分はあのランドールが近くにいるから無駄に目立つ事はあっても、所詮は堅実に領地経営している、しがない伯爵令嬢。
イリウスとは、彼の父親である公爵の肖像画の件の後、大学校の卒業式の時に慌ただしく挨拶した以降は全く会ってもいない。その後は、ヘンリエッタが領地に行って屋敷を留守にしていたし、イリウスも本格的に公務を始めて忙しくなったから接点すら無くなる関係だと思っていた。
窓から入る赤い光を眺めながら、どう返事を書いたものかと思い悩んでいるとアンに声をかけられる。ヘンリエッタがそちらを見れば、彼女が持つ白磁の細い花瓶に先程彼女に託した真っ赤な薔薇が生けられていた。
◇◇◇◇◇
数日後、朝食を終えたヘンリエッタは家令のセルマンに馬車の準備を頼んだ。
「ヘンリエッタ、お出掛け?珍しいね。」
隣のランドールが聞いてくるのに、ヘンリエッタは笑って答える。
「今度の陛下主催の舞踏会があるでしょう?注文したドレスに合わせて、靴を新調しようと思って…。靴屋を屋敷に呼んでも良いのだけれど、たまには外出したいし…。それに、キャラメルを買いに行きたいから。」
「そうなんだ。…ねぇ、ヘンリエッタ。その、舞踏会の事だけど‥。」
ランドールが話している所へ、遅い朝食を摂りに食堂へ颯爽と入ってきたロマニエルが言った。
「おはよう、可愛い妹。今度の舞踏会、貴女のエスコートは私に任せて頂戴。」
「お兄様、おはようございます。お兄様が舞踏会で私のエスコートをして下さるのですか?」
「そうよ。出来る時に、可愛い妹をエスコートしておきたいの。」
目を丸くするヘンリエッタの隣で、ランドールが空かさず言う。
「ロマニエル殿、貴方は舞踏会前の独唱と言う大役があるので、当日はエスコート所では無いのでは?」
「やぁね、ランちゃん。それは、公私混同では大役をやり遂げられない凡人の言う事よ?私は凡人じゃないから、心配無用ね。」
「あの…、女装で、エスコートしませんよね?」
ゴールドのパジャマ、赤い裾がヒラヒラと広がるローブを羽織って優雅にお茶を飲んでいるロマニエルに、ランドールは半目を向けて言った。
「やだぁ、ランちゃんったら!アタシが綺麗だからって、そんなに見られちゃ恥ずかしいわ。」
「違います。」
「そんな堅物じゃあ、女の子達が近寄れないわよ?」
「私には、ヘンリエッタがいれば良いんです。」
「あら、直球。でもリタだって、こんな無愛想は嫌よねぇ?」
「な…!?ヘンリエッタ。」
ランドールが心配げにこちらを見てくるので、ヘンリエッタはロマニエルに言う。
「お兄様、ランドールを揶揄うのはお止め下さい。それにランドールは、堅物なんかじゃありません。彼は紳士だから、ご令嬢達に凄くモテるんですよ?」
ヘンリエッタの言葉に、ロマニエルは興味なさげに皿のパンを取ってちぎる。
「ふーん…。まぁそうよね、見た目と家柄は良いから猫さえ被ってれば、そこらの女は簡単に崩れ落ちるわ。」
「お兄様!」
「はいはい、言い過ぎました。ごめんなさい、ランちゃん。」
「謝られている気がしないのですが。」
「私達の仲でしょ?」
ウィンクするロマニエルを、ランドールはスルーする。
「ごめんなさい、ランドール。」
「いや、ヘンリエッタが謝る事は無いから。」
けれど、婚約者でも無く、身内にエスコートをすると豪語されては、ランドールが舞踏会でヘンリエッタのエスコートをする事は諦めるしかない。
ロマニエルが静かに朝食の続きを摂り始めると、ランドールは少し落ち込んだままでヘンリエッタに話し掛ける。
これも、自分にはどうにもできない事だと分かっているのだが。
「ヘンリエッタ、この前の手紙だけど…。」
イリウスが、ヘンリエッタに直接手紙を送るとは思わなかった。しかも、自分だと主張したリボンを結んだ薔薇の花まで。
幼い頃より彼を見てきたランドールは、今までそんなに主張する彼を見たことが無い。
しかも、王宮でのイリウスはいつも通りに公務をこなし、ヘンリエッタにそんな事をしたとランドールには言わないし微塵にも感じさせないのだ。
王族の中でも、摑み所の無い方の人物だと思ってはいた。否、けれど言われた所で自分にどう出来る事でも無いのだが…。
「ん?」
ヘンリエッタから向けられた、曇り無い輝く瞳にランドールは固まる。そして僅かに首を振った。
「いや、何でも無い。」
「そう…?」
「リタってば、罪な女。そんな妹に育って、兄としては楽しいけれど。」
朝食を食べ終えたロマニエルが、憐れみの目でランドールを見ていた。
「やだ、ランちゃん!本気の殺気を飛ばして来ないで。」
「ソノ目、ヤメロ。」
「はいはい、アタシはレッスンに戻るわ。じゃぁ、舞踏会のエスコートの件はそゆ事で。リタ、ご不満なランちゃんを、一緒に買い物へ連れて行ってあげたら?」
ロマニエルは、ひらりとローブをはためかせてそれだけ言うとさっさと食堂を出て行く。いつも軽口を叩く彼だが、仕事には誰よりもストイックなのだ。
二人きりになった食堂で、ヘンリエッタはランドールに申し訳なさげに言った。
「お兄様が、いつもごめんなさい。ランドール。」
「いや、貴女が謝る事は無いよ。ロマニエルが、誰に対してもあんな感じなのは知っているから。それより、僕を貴女の買い物に連れて行ってくれるの?」
「え、貴方はせっかくのお休みなのに、それで良いの?」
「勿論。」
にこりと笑うランドールは、ロマニエルの言葉が無くとも、今日はヘンリエッタと一緒に過ごすつもりだった。
彼は嬉しそうに彼女に手を差し出す。ヘンリエッタは、その微笑みに若干の気まずさを覚えたが、にこりと笑みを浮かべてその手を取ると立ち上がった。
◇◇◇◇◇
目当ての店から、少し離れた場所で馬車を降りた二人は連れ立って歩く。周りからのチラチラと向けられる、羨望とも値踏みとも思える視線にはもう慣れた。
ランドールと一緒に出掛けるという事は、そういう事だ。
そんな視線を受け流し、目当ての店に近付くと、その脇に豪奢な馬車が停められているのに気が付く。その家門は…。
「ハドソン公爵家…。」
呟くヘンリエッタの隣で、ランドールは無言で頷く。
店の周りを護衛する兵士に、ランドールが声を掛けると店に案内された。ドアマンに扉を開かれ二人がシックな店内に入れば、艶やかな黒髪を靡かせて一人の少女がランドールに走って飛び付いて来た。
「ランドール!こんな所で会えるなんて、嬉しい!」
(すごい…!ランドール教は年齢制限が無いのね。)
隣で感心しながらヘンリエッタは、その様子を眺めた。
「クリス、レディとしてはしたないぞ。」
そうすれば聞き覚えのある、それでいて呆れたような声がランドールに抱き付く愛らしい少女を嗜めた。間違いなく、イリウス・ロン・ハドソン公爵子息だった。
「はぁい、ごめんなさい。お兄様、ランドール。」
少女は言って、抱き付いていたランドールから渋々と離れるとちょこんとカーテシを取った。
クリスと呼ばれる艶やかな長い黒髪を持つこの美少女の名は、クリスティーナ。クリスティーナ・リリー・ハドソン公爵令嬢。
ハドソン公爵家の末娘で、上の三兄弟から年離れて生まれたこともあり父親のハドソン公爵が舐めんばかりに溺愛している。
そして、彼女のぱっちりとして無数の星を散りばめた瞳、形の良いぷっくりとした唇、と高い鼻…。その規格外の愛らしさは、齢十歳にしてメルトン国内外で彼女を知らぬ者はいなかった。
「私は構いませんよ、クリスティーナ様。」
「ランドールは、構わないって!」
青色の瞳を爛々とさせて言う妹に、イリウスは渋い顔のまま嗜める。
「そういう問題じゃない。ランドール、妹を甘やかさないでくれ。」
「申し訳ありません。」
イリウスは妹に向ける厳しい目から、ヘンリエッタの方を向くと優しくにこりと笑んで言った。
「ご機嫌よう、ヘンリエッタ嬢。相変わらず、麗しい。」
「麗しいなんて、そんな事は…。イリウス様は、お元気そうで何よりです。」
「うん、手紙の返事をありがとう。嬉しかった。」
「いいえ、私こそ。ありがとうございます。」
イリウスは、悪戯っぽく笑って言った。
「貴女に、受け取って貰えて良かった。内心、突き返されるかと思っていたんだ。」
「そんな…。」
ヘンリエッタとイリウスがそんな事を話す隣で、クリスティーナがランドールに聞く。
「ランドールも、お買い物に来たの?」
「いえ。私は、付き添いです。」
「そうなの?この方の…?」
「はい。」
「ふーん…。」
クリスティーナは、ヘンリエッタを頭から足先まで眺めるとふわりと微笑んで言った。
「はじめまして、私はクリスティーナよ。宜しくね。」
「存じ上げております、クリスティーナ様。私は、ヘンリエッタ・リエ・ドラメントと申します。お見知りおきを。」
クリスティーナはヘンリエッタに微笑んで頷くと、ランドールの方を見て言う。
「ねぇ、ランドール。私、あっちのお靴が見たいの、一緒に行きましょう?」
「え…、わっ!?」
ランドールはクリスティーナに腕を掴まれ、引きづられるように店の二階の方へと向かう。気が付いた護衛が数名、急いで二人を追いかけていった。
次回投稿は明日20時です。