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茶色い大地 下

サクッと楽しんで下さいね。


 目が覚めたヘンリエッタは、漸く見慣れた天井の壁紙を見て思った。


 こんなに長く、ランドールの顔を見ない日が続く日が来るなんて初めて…。


 ヘンリエッタが王都を離れて四日目朝。

 ベッドを出て、顔を軽く洗い化粧品を塗りながら窓の外を眺めていれば、部屋のドアが小さくノックされた。どうぞ、と言う言葉の後に目を丸くして入ってきた侍女のアンと続いて入ってきたアルマを迎える。


「お嬢様、今朝で早起きされたのが三日連続ですよ。一体、どうされたのです?」

「何処か、お体が悪いのですか?」


 アンとアルマが次々と聞いてくるのを、ヘンリエッタは苦笑いで首を振り、出発前にランドールから受け取ったキャラメルの箱をチラリと見た。


 大事に食べているつもりだったが、箱の中身は残りが半分になってしまった。


「あら…。」

「え…。」


 それに気が付いた二人は、顔を見合わせ嬉しげに手を握り頷き合った。


「二人ともどうしたの?貴女達の仲が良くて、私には嬉しい事だけれど。」

「お嬢様の心の機微に触れた事が、単純に嬉しくて。」

ランドール()の幸せな未来が、予感できた事が嬉しくて。」

「そう、なの…?」

「「そうですよ!」」


 それからアルマはいそいそと部屋のカーテンを開けて周り、アンはご機嫌にヘンリエッタの支度に取りかかった。

 

「王都へ戻るのが、待ち遠しいですね!さあ、お支度をしましょう。今日は何をお召しになりますか?」


 鼻歌混じりに主の髪をすいているアンに、ヘンリエッタは内心首を傾げながらも、ぼんやりとキャラメルが無くなる前には王都へ戻りたいと思っていた。


 ◇◇◇◇◇


 朝食の為に、ヘンリエッタが食堂へ行けばノートンが和やかに彼女を迎える。部下に指示して、ヘンリエッタが着席すると共に湯気の上がるスープがサーブされた。

 王都から東寄りの領地は、雪が降らず比較的温暖な土地ではあるが朝晩の冷え込みがあり、持たされた毛皮の毛布と朝食の温かなスープがヘンリエッタにはありがたかった。今朝のスープにも、色鮮やで新鮮な野菜がふんだんに使われている。


「一年を通じて、気候の心配が少ないというのはありがたい話ね。」


 スープを前にして、ポツリと言ったヘンリエッタにノートンが微笑む。


「この地の、最も恵まれたものですね。夏は涼しく、冬は暖かい。他の地域では、なかなかそうは参りますまい。奥様も、仰っておられました。」

 

 彼の言葉に、ヘンリエッタは頷く。この前卒業した学校でも、そんな事も教わったなと思った。母も、それを生かした領地経営を目指したはずだ。


 歴史上では、大きな山脈も無く小高い丘位しかない土地は直ぐにメルトンの国に併合された。

 けれど痩せたこの地は、手間暇かかるが強く育つ麦を植える事で豊かにした。そのお陰で、今は肥料や農薬も手に入れられる様にはなり農作物の栽培には心配が要らない。


 しかし、麦に手を掛ける分だけ他の産業を軌道に乗せるのが難しく、外部へ流通させても理想に叶う稼ぎの規模にまではならなかった。そして、跡継ぎになれない、広い土地を持てない若者達が、新たな収入源を得たいと思うのは当たり前の気持ちだと思う。


 面積と労力をなるべく抑えて、稼げる方法か…。


 ふと、窓の外を見れば庭園の花々に白い蝶が止まっているのが見えた。


「ねぇ、蚕を育てて絹糸を作るのはどうかしら?」

「絹、ですか?」

「ええ、先に餌となる桑の葉を育てる事になるから直ぐにはお金にはならない。それに、蚕を迎える準備も必要ね。売り物になれば絹は価値は高いし、やる価値はあると思うけれど。」

「まぁ、手ぐすねを引いている状況は同じですから直ぐにお金にならなくとも、そこは問題にはならないかと思います。」

「桑の葉を育てる土地を新たに領地から確保して、始めは蚕の数を家庭の人数で管理するのはどうかしら?慣れたら、希望者に数を増やしても良いでしょう。糸車は、各家にあるでしょう?」

「それは、各家庭の事情に合わせられて良いかもしれません。ですが、自宅用で小規模でしている綿や羊毛用の糸車で代用出来ますかね…?」


 ノートンの言葉に、ヘンリエッタは考え込む。


「そうよね…、私も詳しい事は知らないわ。でもやるなら、領民の若者の中から誰かを選んで一から学びに行かせましょう。紹介も費用も、勿論全て私が面倒を見れば良いわ。」

「それなら、領民達に集まって貰って話してみればどうですか?」

「決まりね。じゃあ、今日の午後に早速教会に集まって貰うように言っておきましょう。」


 ヘンリエッタとノートンは、にこりと笑った。


 ◇◇◇◇◇


 ヘンリエッタは、集まった領民達を相手に自身の考えを話した。

 

「短くともニ年…。この中から誰かが、飼育から繁殖、製糸、製品化までの技術を学んできて欲しいと思っているの。質問は…?」


 領民からちらほらと手が上がる。


「行く場所は?」

「国内に受け入れ先があれば良いのだけれど、今は探してみなくては分からないわ。」

「人数は?」

「まず一人ね。その人には、この件に関するリーダーになって貰うわ。様子を見て、人数を増やすわ。」

「決める条件は?」

「読み書きが出来て、独身者かしら。一人で外の生活に挑める、精神的なタフさと将来周りを引っ張っていく統率力が必要ね。」


 ヘンリエッタの話を聞いた領民達は、がやがやと話し合う。


 その様子を眺めるヘンリエッタは、静かに一人の男の方を見た。

 この中で条件を満たし、誰よりも静かだがやる気を持って聞いていた彼を。


「ウィン…、貴方は行く気持ちがあるかしら?」


 ヘンリエッタは良く通る声で言うと、真っ直ぐにウィンを見た。騒がしかった領民達も一斉に彼の方を見る。

 対するウィンは、ヘンリエッタを見つめる。そして彼は、力強く頷いた。


「行きます。いや、行かせて下さい!」


 立ち上がったウィンは、ヘンリエッタに頭を下げる。周りの者達も、同意を込めて頷き合った。

 

 ヘンリエッタは頷いて、後ろの方から様子を見守っていた顔馴染みの女性に声をかける。


「マチルダ、ごめんなさい。勝手に貴女の恋人に、こんなことを頼んで。」


 ヘンリエッタの言葉に、周りの者から揉みくちゃにされているウィンを見つめていたマチルダはハッとして言った。


「いいえ、お嬢様。彼を、ウィンを選んで下さって、夢を叶えて下さってありがとうございます!私の事は大丈夫です。」

「ありがとう、マチルダ。でも、貴女達の将来設計が狂ったのではない?」

「それでも、私はウィンがチャンスを頂けた方が嬉しいです。私達の事なら、心配要りません。私は、ウィンを信じます。」


 そう言ったマチルダの所へ、ウィンが近付いて来た。ヘンリエッタは、和やかにマチルダに言う。


「もし、ウィンが外で粗相をしたら直ぐに連れ戻して私が吊し上げると約束するわ。」

「え、お嬢様!?」


 ヘンリエッタの言葉に、ウィンはぎょっとする。


「はい、お願いします。」

「マチルダ。」


 長年の恋人の言葉に、ウィンは苦笑いするしか無かった。

 二人の娘は笑い合い、青年は頭を搔いた。


 それからのヘンリエッタは、伝手を頼りにウィンの留学先を探し回り、手続きや下宿先の手配に奔走する事になる。


 そして、それらを終え領地を発つ日の朝、ヘンリエッタは母の墓の前にいた。

 萎れた花を除けて、摘んできた新しい花を供えて墓石を前にしゃがむ。


 母が死んで、直十一年になる。


 母の葬儀で人目を憚らず涙を流した父は、幼いヘンリエッタを連れて逃げるように王都へ戻った。半年程共に住み、娘が新たな生活に慣れたと判断すれば、直ぐに王宮から海外の仕事を引き受けて行ってしまった。

 そして、行く先々から様々な手紙が届き稀に王都へ帰って来るが、領地の管理を娘に任せたまま帰っていない様だった。


 お父様は、まだお母様の死を受け入れられていないのかもしれない…。


 それ程に、領地(この地)はそこかしこに彼女の生きた痕跡が残っている。


「お嬢様、そろそろ出立しませんと…。」


 遠慮がちに促すアンの声に、ヘンリエッタは頷いて立ち上がった。微笑んで、まだ新しさの残る墓石に優しく触れる。


「今回も私一人で戻ってきて、ごめんなさいお母様。次は帰国されたお兄様と一緒に参ります。」


 お墓のある丘の斜面を歩いて下りながら、領地を眺める彼女は考える。


 幼い時程、領地を離れる事が苦では無くなった。自分にとって、王都の方が住み慣れた地になったのは何時からだろう?


 最後のキャラメルを、そっと口に入れる。

 ヘンリエッタの顔に、穏やかな微笑みが浮かんだ。


 半年過ぎれば、領地のあちこちは黄金色に光り輝くだろう。









次回投稿は明日20時です。

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