美味しい食事は銀食器で 下
サクッと楽しんで下さいね。
ランドールは、午後になると王家の使いでトゥール伯爵家を訪ねた。
屋敷に到着すれば、ご機嫌に出迎えたトゥール伯爵が彼を直ぐに応接室へと案内する。
「ランドール殿、よく我が家に来てくれた。ゆっくりとしていって欲しい。」
「伯爵自らの出迎え、ありがとうございます。有難いお言葉ですが、外に付き人を待たせていますので。」
「付き人達にも、お茶の準備をしているから、心配要らない。王宮からの使者が、他ではない君だからね。こんなに嬉しい事は無い。」
「はい…?」
ランドールは不思議に思いながらも、トゥール伯爵に王家からの書状と、十年連続で陛下主催の舞踏会の最上位融資貴族である証のメダルを渡す。
「では、確かにお渡し致しました。こちらは舞踏会当日、伯爵がご使用下さい。」
「確かに、受け取った。そうさせて貰おう。」
「では、私はこれで。」
まだ仕事が残っているので早々に辞去しようとするランドールを、メダルを執事に渡したトゥール伯爵が押し留めた。
「まあまあ、そう急がれなくても。今、お茶を出しますから。ほら、来ました。」
和やかにドアの方を見る伯爵の目線の先には、頬を薔薇色に染めた伯爵家の娘のバネッサ嬢、そして口元を銀色の扇子で隠しつつも穏やかにこちらを見るトゥール伯爵夫人が、ティーセットを乗せたワゴンを押すメイドを従えて入ってきた所だった。
バネッサは、嬉々としてランドールの前に来ると、レモンイエローの銀糸の刺繍が華やかなワンピースのスカートを摘まみ流れる様なカーテシーをとる。
そして、染めた頬をそのままに潤んだ黄色の瞳で彼を見上げた。
「ご機嫌よう、ランドール様。ようこそ、私の屋敷においで下さいましたわ。」
「お元気そうですね、バネッサ嬢。」
挨拶をする二人の様子を傍らで見ていた伯爵と夫人が、矢継ぎ早にランドールに言った。
「ランドール殿せっかく来て下さったのだから、少し話しよう。」
「先日、南の領地から良い茶葉が手に入りましたの。是非、ご笑味下さいませ。」
「東の国から、珍しいティーセットを取り寄せましてね。君にも、是非見て欲しい。」
「まだ、誰も見たことのない品なので、陛下もお喜びになるかと思いますわ。近々王宮へ献上しようと、夫やバネッサと話していましたのよ。」
「ありがたいお言葉ですが、私はまだ仕事が…。」
やんわりと断ろうとするランドールに、伯爵と夫人、バネッサがズイッと前のめりに言った。
「「「是非!!」」」
三人からの並々ならぬ圧に、ランドールが折れるしか無かった。
トゥール伯爵家は代々運輸業を営み、外国からの目新しい品や貴重な品々を収集している。そして、王家へ莫大な融資をしている貴族の一つだった。
その為、王家の代理で訪問した今のランドールが、彼等の誘いを無下に断る事は出来ない…。
ランドールは、トゥール伯爵家の人達に囲まれるように座る事になる。隣にはもちろんバネッサが座り、対面には若い二人をにこにこと見る伯爵夫妻が座った。
「いやぁ、似合いの二人だな!」
「本当、一対の恋人同士の様ね。」
「嫌だわ、お父様もお母様もそんな…。私、恥ずかしいです。」
上機嫌な両親の言葉に、バネッサはもじもじとして隣のランドールを見る。ランドールは、どうとも言いようが無くて困った様に笑うしかない。
そうしていれば、メイドから湯気が上がる温かなお茶が出されると共に、執事が装飾の銀色が美しいティーカップを持ってきた。
「こちらですか?例の献上されるという、ティーセットは。」
ランドールが、トゥール伯爵に聞く。伯爵は、ニヤリとして食い気味に前のめりで話し出した。
「そうです!この銀色が素晴らしいでしょう?東の国で、新しく見付かった鉱物ですよ。銀の様に、使用時に毒が見分けられたらより良いのですがね。まぁ、鑑賞用にでもしていただけたら良いと思いましてね。」
「そう、ですか…。」
「明後日の議会の前に、陛下に献上しようと思っているんですよ。」
(トゥール伯爵家の財が国の財政に多少影響があるため、国王も彼等を軽んじることは無い。けれど、元々目新しい物を王宮内へ持ち込む事を良しとしていないし、以前緑色の肖像画の件でより厳しくなっている事を伯爵も知っているはずだが…。)
ランドールは、訝しんで聞いた。
「ですが、こちらはまだよく分かっていない鉱物ですよね?陛下への献上には、時期尚早かと思いますが…。」
「いやいや、使用目的ではありませんよ?あくまで、鑑賞用ですから!」
「ですが、…。」
「陛下には、自国におられながら他国の良い品に触れ、一時の息抜きをして頂きたい!私の仕事は、その役割もあると認識しております!」
確かに、一国のトップが容易に他国を回るなど出来ようも無い。多くの人に傅かれるという事は、その分重責を担い規律を守り生きていかなければならないのだ。
それは、貴族の者にも言えることではあるが、王家の者は我らの比では無い。王家のしていることは、並大抵の事では無いと傍に仕えているランドールはよく知っている。
(だが、…。)
口を開こうとしたランドールの、隣に座っていたバネッサが声を上げた。
「お父様!お仕事のお話しは、お止めになって!ランドール様が、困っていらっしゃるわ!ランドール様は、イリウス様の元で仕事をされているのよ!?お父様より、ずっと王家の方々をご存知なのです!ランドール様が良しとしない物を、王宮に献上なんて出来ませんわ!」
「バネッサ、しかしだな…。」
愛娘からの横槍に、トゥール伯爵が弱々しく言い返す。
「これは、我が家にとっても新たなチャンスなんだよ?」
「チャンスだなんて!ランドール様が駄目だと仰る物は駄目ですわ!」
「けれど、…。」
パシンッ!!
父娘のやり取りを、静かに見ていた夫人が持っていた扇子を勢いよく閉じた。
驚いた三人が、夫人の方を見る。夫人は和やかなまま、穏やかに言った。
「ここは若い二人の意見を通した方が良さそうよ、貴方?そのティーセットは、諦めましょう。」
「そんな…。」
「諦めましょう。」
「う、…分かったよ。」
和やかな夫人の隣で、伯爵はシュンとなった。バネッサもにっこりとして、再びランドールの方を見る。
この家のパワーバランスを垣間見たランドールは、苦笑いするしかない。
「それでは、私はこの辺で。長居しすぎました。」
ランドールは言って、立ち上がる。本当に、予定外のティータイムだったのだ。バネッサの、寂しげに見上げてくる視線を躱しつつ伯爵夫妻に礼を言う。
「ランドール殿、また王宮で会うときはよろしく頼む。」
「はい、こちらこそお願い致します。」
王宮の馬車に乗り込もうとするランドールに、伯爵夫人が声を掛ける。
「ランドール様、我が家の庭の薔薇がもう直ぐ見頃になりますの。近々、立食パーティーを開きますわ。招待状をお屋敷へ送らせて頂きましたから、是非ご両親と共にお越し下さいませ。」
「え…。」
「是非。」
目を見開くランドールに、伯爵夫人は有無を言わせずにっこりと微笑んだ。
王宮に向かう馬車に揺られるランドールは、言い様の無い疲労感に襲われる。
(ヘンリエッタの顔が見たい…。)
けれど、残っている仕事を考えると明るい内にドラメント伯爵家には行けないかもしれないと思った。
◇◇◇◇◇
王宮に戻ってから、ランドールは急いで仕事に取り掛かる。
お陰で、日が陰りだした頃に王宮を出ることが出来た。そのまま、自宅には向かわず彼はドラメント伯爵の屋敷を目指した。
ドラメント伯爵家に着けば、いつもの様に扉は開かれランドールはヘンリエッタのいるであろう書庫へと足を進める。その日の仕事を終えディナーまでの彼女は、大抵書庫で本を読むのが習慣になっているのだ。
彼の予想通り、窓辺の長椅子にヘンリエッタは座って本を読んでいた。
ランドールが入ってきたのにも気が付かないほどに集中している。差し込む夕日があたり、彼女の金髪や金糸の刺繍が光り輝く様は美しかった。
暫く眺めていたかったが、見過ぎていたのか顔を上げた彼女と目が合った。
「ランドール、来たなら声を掛けて。」
ヘンリエッタの呆れ気味な声と笑顔に、吸い寄せられるように、彼女の座る長椅子の空いたスペースに並んで座る。そして、白状した。
「見ていたかったから。」
「今日は、お疲れなのね。」
ランドールは、隣に座るヘンリエッタの肩に頭を預け目を閉じた。彼女からは、いつも通り愛用している花の香油の香りが漂ってきて彼は吸い込んだ。
暫くそうしていれば、ヘンリエッタからも頭を擡げてきた。
「今日は、もう来ないと思っていたわ。」
「本当は、もっとゆっくりと一緒に過ごしたい。」
「貴方は、忙しい人だから。」
「君もね。」
ヘンリエッタの息遣いを近くで感じていたくて、ランドールは彼女から離れる気が無い。
「ディナーを、用意させる?」
ポツリと言われた一言に、彼は一瞬頷きかけたが思い止まる。
「そうしたいけれど、止めておくよ。帰りたく、なくなるからね。」
「そう。」
そのまま、二人共静かに過ごしていたがその静寂は直ぐに破られる。勢いよく開かれた扉から、ロマニエルがターンしながら入ってきたのだ。
ランドールは、彼を見据えて言った。
「ちょっと、空気読んでくれませんか。」
「あら、私はリタに用事なのよ。それに、ここはアタシの家でしょう、ランちゃん?」
「その呼び方は…。」
ロマニエルは、不機嫌なランドールの言葉を無視して手にしていたニ通の封筒を妹に差し出す。
「貴女宛よ、リタ。」
「ありがとう、ございます…。一通はお父様からだわ!もう一通は、…イリウス様?」
「えっ!!?」
イリウスからの封筒を眺めるヘンリエッタに、ランドールが横から慌てて覗き込む。
筆跡、封筒を閉じた蜜蠟の紋章共にイリウスに間違いない。
ロマニエルは、持っていた一輪の赤いバラを妹に差し出した。その茎には、公爵家の紋章が銀糸で刺繍された紫色のリボンが結ばれている。
あのリボンを使うのも、メルトンの王家で紫色の瞳を持つ彼だけだ。
ロマニエルはにこにこしながら、封筒とバラを眺めるヘンリエッタに言う。
「来月、王宮で舞踏会があるんでしょ?私は仕事も兼ねて行くのだけれど、イリウスの封筒は仕事だけの話では無さそうよねぇ。」
「どうして…。」
「何か、思い当たる事があるのではなくて?私の可愛い、恋愛無関心さん。」
「お兄様…。」
ロマニエルは、妹の隣で黙りこくっているランドールの方を向いてにっこりと笑って言った。
「そういう訳で、アタシも暫くメルトンで過ごす事になるからよろしくね。ランちゃん?」
◇◇◇◇◇
結局、トゥール伯爵家から例のティーセットは献上されなかった。
けれど、巷で安価に上流貴族の様な食器を持てると流行った、例の銀色の新しい鉱物を使った食器。数々の健康被害が報告されて規制がかかったのは、また別の話だ。
次回投稿は明日20時です。