渦巻く黒い闇 上
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やっと、手に入ると思っていた…。
バネッサは、広々としたベッドの上で布団をかぶり、亀の様に小さく踞る。もう何日、そうして過ごしているのか分からない。けれど、そうせざるを得ない。
舞踏会の会場から、どうやって屋敷に帰ってきたのか記憶は朧気で、流れる涙を止められなかった。
この日の為に仕立てたドレスも、結い上げた髪も、美しく施された化粧も全てが彼女の心の様に崩れていた。
そんな事よりも、嫌悪感をまざまざと滲ませた、蔑むようでそれでいて突き放すようなランドールの顔が頭から離れない。
初めてランドールを見た時から、バネッサは夢中になった。
(少しでも今より、可愛くなって美しくなってランドール様を振り向かせたい…!少しでも長く、ランドール様とお話したい…!)
その為に、バネッサは嫌いな野菜を我慢して食べ、足が疲労で震えるほどダンスを練習し、知識を増やすために猛勉強してきた。
これまでの苦労のかいもあって、バネッサが侯爵夫妻の目に留まり、めでたく婚約出来たと思っていた。
それなのに、ランドールの心にバネッサは一ミリも存在していなかったと気が付く。婚約後のランドールは、仕事を理由に会う時間は無く、漸く会ってバネッサが話題を振っても、視線を外して気のない相槌を打つだけでまともに話せたことは無かった。
(どうして…、どうして、ヘンリエッタなの…?)
バネッサの心に、チクチクとした黒いけし粒の様な固まりが降り積もる。それはいつしか、視界を覆い強風に巻き上がる程の量だった。
(どうして、私ではいけないの…?どうして…。)
そんな娘に、母は言った。
『気持ちで繋ぎ止められないなら、体で繋ぎ止めなさい。』
あまりの衝撃的な内容に、バネッサの気持ちは追い付いていなかったが、母の言うことはトゥール伯爵家の法。
そして、それはバネッサを縛る呪い。
(私は娼婦の様にならなければ、ランドール様を手に入れることは叶わない…。)
それなのに、ランドールはバネッサを拒絶して去った。
これまでの彼女の人生で
怒鳴られた事なんて無かった。
打たれた事なんて無かった。
拒絶された事なんて無かった。
バネッサの記憶に有る限り、人生で初めての法からの逸脱と失敗。
(今回だって、お母様の言うとおりにしたわ。それなのに…。)
愛しい婚約者を失ったと悟った喪失感、親の期待を裏切った罪悪感と無価値感、そして何処にも持っていきようの無い怒りがバネッサの中で渦巻く。
(もう、戻れないのだわ…。)
そうして、渦巻く闇の中のバネッサの瞳からまた涙が零れ落ちた。
◇◇◇◇◇
「バネッサはどうなってしまうのかな…。」
賑やかだったバネッサが引き篭もり、静まり返った食事の席でトゥール伯爵が呟く。赤ワインを煽っていた夫人は、キッと夫を睨んだが直ぐに辞めた。
どうも甲も無い。
あの舞踏会で別行動をしていたトゥール伯爵夫人にも、あの日の娘達の詳細が分からないのだ。
ただ、舞踏会から帰宅すれば、慌てている使用人達から左頬を腫らし、髪を乱して泣き続ける娘が帰宅していると聞いた。一先ず、その界隈の医者を呼んで嫌がる娘を無理矢理診察させれば、未だ娘が処女であることは分かったが、それ以後の彼女は引き篭もってしまったのだ。
侯爵家側も、だんまりを決め込んでバネッサを心配する素振りも無い。娘の婚約者であるランドールは、顔すら見せない始末…。
ワイングラスを置いて溜め息をつく妻に、夫は言った。
「セニアル侯爵家に、探りを入れた方が良くないかい?ランドールの話位は、聞かないといけないだろう?」
夫の言葉に、妻は目を見開いた。
「貴方、良いことを仰ったわ!そうよ、ランドールを引き釣り出しましょう!必ず!」
そう言うと、それまで静かに食事を摂っていた息子が口を開いた。
「お母様、今はあまり騒ぎ立てない方が良くないですか?」
「フィリップ、貴方は黙っていなさい。これは、我がトゥール伯爵家の沽券が関わる話よ。相手が侯爵家だろうと、事実が有耶無耶にされてなるものですか!悠長に構えている場合では無いのよ。」
そうして、夫人は手元の鈴を鳴らすと自叙を呼び寄せた。
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次回投稿は、明日20時です。




