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美味しい食事は銀食器で 上

サクッと楽しんで下さいね。


 外が漸く白んで来た時分のセニアル侯爵家の屋敷では、子息であるランドール・ルイ・セニアルが忙しく出掛ける準備をしていた。


 忙しくしている理由は、彼が習慣にしている朝の剣の鍛錬に熱が入って、いつもより少しだけ長くしてしまったからだ。

 部屋に戻り浴室で手早く汗を流せば、真新しいシャツに袖を通しながらチラリと近くの置き時計に目をやった。


(良かった、朝食には間に合いそうだ。)


 ランドールは安堵して、私室を出れば屋敷の正面階段を滑るように降りていく。これから自分の行く先にいる女性(ひと)の事を思えば、自然と気持ちは急くが表情は柔やかになった。


 すると、聞き慣れた女性の声で名を呼ばれた。


「ランドール。」


 ランドールが声の主の方を見上げると、そこには、彼の母であるセニアル侯爵夫人が二階の踊り場からこちらを見ていた。


「母上。」


 かつて国の社交場では、三指に入る美姫とも称された彼女は、未だにその輝きを微塵も失ってはいない。シミ一つ無い磨き上げられた白磁の肌、キュッと括れたウェストに、美しいキャメル色の髪を結い上げ、彼女の輝く青い瞳はサファイアのような美しさにも例えられる麗人。

 ランドールの恵まれた容姿は、この母から引き継いだものも多い。


 その母は、優雅に息子に向かって話す。


「今日も、ドラメント伯爵家へ朝食に行くのね?」

「はい、そうです。」

「たまには、ヘンリエッタ嬢を我が家の朝食に招待したらどうかしら?」

「それは、出来ません。私が行きたくて行っているのですから。」


 その言葉に、夫人の瞳は僅かに冷気を帯びた。


「それならば、少し控える事も覚えなさい?ヘンリエッタ嬢は、未だ婚約者がいないとはいえ一人で伯爵家を切り盛りしている年頃のご令嬢よ。貴方が周りをうろちょろしていれば、噂で彼女の縁談が遠のくわ。」


 それはランドールの望む所だが、今はその話をする気は無い。

 しかし、母は急いている息子の気持ちを知っているはずだが、変わらずゆったりと話を続けた。


「貴方だって、十六とはいえ飛び級して大学校を卒業したのだから、婚約者の選定に入っても良い時期よ?侯爵家の跡継ぎとして、()()()()レディを。」

「ヘンリエッタは、そうでは無いのですか?」


 言ってしまったランドールは、直ぐに自分の言葉に後悔した。母は、そんな息子ににこりと微笑み言う。


「ヘンリエッタ嬢は、素晴らしい女性ね。家柄も、本人の気質やセンス、能力も。けれど、ドラメント伯爵家には彼女の他に、領地や財産を管理する者がいないわ。だから、この先も彼女が伯爵家から離れる事は出来ないでしょう。彼女の兄が、そういう方と結婚すれば良いけれど、メルトンの生きた宝とも云われる程の彼の心を、私達貴族の常識で縛ることは不可能よ。」

「それは分かって、…います。」

「分かっているなら、行動に移しなさい。ドラメント伯爵家から、距離を取るのよ。」

「そんな事、出来ません。」


 キッパリと言う息子に、侯爵夫人は思わず声を上げる。


「ランドール!」


 ランドールは、眉間にしわを寄せてこちらを見る母に言った。


「私の結婚については、母上が勝手に話を進めないで下さい!父上には、私から話してありますので。もう、行きます!」


 ランドールは、残りの階段を駆け下りて準備させていた黒い愛馬に飛び乗った。後ろから、母の呼び止める声を聞いた気がしたが、構わず馬を走らせる。

 

 遅れた今朝は、移動手段を馬車にしなくて良かったと思うと共に、朝から嫌な話題に触れランドールは深い溜息が漏れる。


 自分の気持ちはとっくに決まっているのに、ヘンリエッタの周りの状況がそれを良しとしない。


 ランドールは、やるせなさと共にドラメント伯爵家へと急いだ。


 ◇◇◇◇◇


「おはよう、ランドール。今日は珍しく遅かったわね。」


 ランドールがドラメント伯爵家の食堂に入れば、この屋敷のご令嬢のヘンリエッタ・リエ・ドラメントは既に席に付いており、いつも通り新聞片手に彼女の為に小さく切り分けられたサンドイッチを食べていた。

 軽く息が乱れたままのランドールは、首を振るといそいそといつもの席、彼女の隣の席に座る。


 今日のヘンリエッタは、胸元の金糸の刺繍が美しい若草色のシンプルなワンピースに身を包み、長い金髪を結い上げている。白い首筋を曝し、グッと大人びて見えた。

 学生時代は髪を下ろしていることが多く、それはそれで良かったが卒業してからは結い上げている事が増えた。


 ランドールは思わず、彼女の白い首筋に見蕩れてしまう。


(その首筋に顔を寄せて、吸い付きたい…。)


 そんな事を、ぼんやりと考えていればこちらを見たヘンリエッタとパチリと視線が合った。


「何かあったの?今朝はいつもの貴方らしくないわ。」


 不思議そうに顔を近付けてきた彼女から、いつもとは違う柑橘系の香りがふわりと香ってきた。ランドールは内心鷲掴みにされてはいるが、あくまでも柔やかに言った。


「そんな事、無いよ?ヘンリエッタこそ、どうしたの?今日は、いつもと違う香りがするね。」

「ああ、これは…。」


 ヘンリエッタが話し始めた時、食堂の扉がバーンッと大きな音を立てて勢い良く開かれた。


「愛しいリタ!!そして、我が家!!今、戻ったわ!!」


 そう叫んで、真紅のドレスに身を包み金髪を結い上げた一人のガタイの良い女性、否男性がずかずかと入って来る。かと思えば、立ち上がるヘンリエッタをひしっと抱き締めて叫んだ。


「相変わらず、愛らしいアタシの妹!!」

「お、兄様!?」


 兄に抱き付かれているヘンリエッタの方は、珍しく驚き慌てている。


 ランドールは、漸く気が付いた。

 この奇天烈な目の前の人物は、ヘンリエッタの六つ年上の兄であるロマニエル・ソレイ・ドラメント。

 ロマニエルは、花の香りがする香油や香水が好きでは無い。それは彼が花粉症によるものだと豪語しているが、生花は問題ではいない所からして単に好みの問題だとランドールは思う。

 その兄が帰国してくるから、ヘンリエッタは普段は滅多に使わない柑橘系の香水を今日は使っていたのだ。


 「いつも寂しい思いをさせて、ごめんなさいねリタ。元気だったかしら?」

「はい。ですが、帰宅は午後の予定では!?」

 

 抱き締めた妹に頬釣りしているロマニエルは、メルトンが生んだ世界に誇る声楽家だった。


 その才能で、かつては国費で有名な外国の学校へ音楽留学し、そのまま気に入って居着いたという人物。いつから、こんななりと言葉になったのかは不明だが。因みに、リタとはヘンリエッタの家族の愛称のこと。

 とはいえ、愛国心はあるので各国の劇場でコンサートを開いて飛び回りながら、年に数回は必ず凱旋帰国するという生活を送っている。


 ロマニエルは妹を放さないまま、ランドールの方を見た。


「あら、そこにいるのはセニアル侯爵家のランちゃんね。見ない間に、随分と男前になっちゃって!」

「その呼び方、止めて下さい。」


 ランドールは、若干の目眩を覚える。


「ふふ、そういう所は変わっていないわね。前に会った時は、まだ可愛らしいお子様だったのに。」


 ロマニエルは、ランドールに向かってウィンクした。された方は、乾いた笑いしか出てこない。

 前というが、半年位前の事だ。そこまで自分は、変化していないと思うが…。


 キャピキャピと話す兄の腕の中から、ヘンリエッタが言う。 


「お兄様、あの、国王陛下へのご挨拶は?」

「え、まだよ。国王より、家族(貴女)の方が大事でしょう?」


 キョトンとする兄に、ヘンリエッタは苦笑いする。


「だから、帰宅が早かったのですね…。」


 すると、壮齢の家令が穏やかに声を掛けてきた。


「ロマニエル様、朝食をお持ち致しました。」

「ありがとう、セルマン。もう、お腹ペコペコよ!あら、私の好物ばかりで嬉しいわ!」


 ロマニエルは、嬉々として席に座れば優雅な手つきで磨き上げられた銀食器を操り、久しぶりに帰宅した家の朝食に舌鼓を打つ。

 こうしてドラメント伯爵家の朝食は、ロマニエルの帰宅により久しぶりに賑やかなものとなった。


 ◇◇◇◇◇


「はあ…。」

「珍しいな。」


 無意識に出た溜息に反応があって、ランドールは驚いて目の前の色鮮やかな生野菜が盛られたサラダボウルからそちらを見る。

 そこには、現メルトン国王の甥で、王位継承者の三番目に位置する、イリウス・ロン・ハドソン公爵子息が食事の手を止めてこちらを見ていた。


「も、申し訳ありません。」

「いや、学生時代でもランドールの溜息をあまり聞いたことが無かったから珍しいと思っただけだ。」


 ランドールとイリウスは、年齢こそ二歳違えど自分が飛び級した為にメルトン国立大学校では同級生。

 そして卒業後、国政に関わりだした彼からの指名で、今の王宮では上司と部下の関係となっていた。


 今は、王宮のイリウスの執務室の隣室にある休憩室で、ランチを共にしている。普段は別々に食事するが、イリウスの仕事の立て込んだ繁忙期にはこうして共に食事をする事があった。


「それでランドール、明後日の議会の案件だが準備はどうなっている?」

「はい、滞りありません。先月までの農産物の成育状況の資料は準備できています。各領地、順調に進んでいますね。今後の雨量に期待したい所です。」

「そうだな…。そう言えば、ドラメント伯爵領地が農耕地の開墾を随分と広げていたな。午前中に子息が陛下に挨拶に来たが、あの家は普段伯爵も子息も国外にいるのだろう。御令室が、やり手なのか?」

「ドラメント伯爵夫人は、…十年以上前にお亡くなりになっています。伯爵は、再婚もされていません。今、伯爵家を采配をしているのは御令嬢です。」

「へえ、…ヘンリエッタ嬢か。」


 イリウスの微笑む様子に、ランドールは内心眉根を寄せて静かに答える。


「はい、左様で御座います。」

「そうか、今度陛下が開かれる舞踏会が楽しみだ。」


 ランドールは内心、イリウスの様子に眉のしわをより深くしつつも、目の前の生野菜に銀のフォークを刺して口に運ぶ。


「そう言えば、東の方で新たな鉱物が発掘されたとか。知っているか?」

「はい、見た目は銀に負けないほどの光沢だと。安価で美しいなら、世間には受けるでしょうね。」


 ランドールは、先日ヘンリエッタに届いたドラメント伯爵の手紙を思い出す。相変わらず、様々な所で話題に事欠かないお人だと尊敬しかない。


「あぁ、見ては見たいが目新しい物で命を危険に晒すのはもう懲り懲りだ。」


 イリウスは苦笑いして、牛肉と野菜を煮込んだスープに銀のスプーンを差し入れた。




次回投稿は明日20時です。

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