灰色の薄暗い世界 下
サクッと楽しんで下さいね。
「この婚約話は、無かった事にして下さい。」
息子の言葉に、セニアル侯爵夫人は涼しい顔で紅茶の香しい香りを堪能してから一口含んだ。
「母上!」
「血相を変えてどうしたのかと思えば、まだそんな事を…。」
「私は、バネッサ嬢と結婚しません。勝手に話を進めたのは母上でしょう!」
「セニアル侯爵家の行く末を思っての、我々の判断だ。」
隣の父の言葉に、ランドールは噛み付いた。
「なら、父上に申し上げる。婚約は解消します。」
「今更、婚約解消なんて出来るわけ無いでしょう?いくらこちら側が格上でも、短期間に正当な理由も無いなら慰謝料問題よ。相手がトゥール伯爵家なら、その辺りは有耶無耶にはしないわ。婚約お披露目パーティーの日取りも決まっているし。あ、心配しないで。貴方は、当日笑顔でバネッサの隣に立っていれば良いから。」
「そんな、勝手に…!」
パシンッ!
そこまで言ったランドールの肩に、母の扇子が当たって床に落ちた。
「いつまで、駄々を捏ねるつもり?大人になりなさい。」
両者が無言で睨み合う間に、侯爵が割って入る。
「共に過ごす内に、相手の良さが分かる時も来る。それには、互いの向き合う気持ちが必要だ。端から、婚約者を拒絶していては駄目だ。」
「始めから、受け入れる相手ではありません。」
「そんなにバネッサが嫌なら、跡継ぎだけさっさと産ませて、後は自分の好きにすれば良いじゃない。よくある話だわ。」
「そんな事…。」
「この話は、以上よ!」
夫人が立ち上がった所に、ランドールは言った。
「それなら、私は婚約披露パーティーには出ません。ここまで蔑ろにされてまで、トゥール伯爵家と縁を繋げたいとは思いませんから。」
「貴方、自分の立場が分かっているの!?」
「我が家が、トゥール伯爵家を頼りにするのは金でしょう?あの家は、メルトンで指折りの金を産む家ですから。」
「爵位を保つには、金も必要だ。」
「金を言うなら、先に母上の出費を見直したらどうですか?」
「何ですって!?」
「毎月、貴女がどれだけ散財しているのか、私が知らないとでも?今、身に付けている中指の指輪はいつ購入されたのですか?」
息子の言葉に、母はカッと顔を赤くして指を隠した。
「父上が母上を甘やかしてきたツケを、私が肩代わりする気はありません。」
「分かった風な口をきかないで頂戴!貴族は家の存続と繁栄が生きる道なのよ!」
「それなら、母上もそれらしく生きて下さい。」
息子の言葉に、母は小馬鹿にしたように言った。
「バネッサと婚約解消したって、別の娘が変わりに来るだけよ。地味で社交もせず、資産も少ない、実家を離れられないヘンリエッタ嬢がセニアル侯爵家と縁を結ぶ事は無いわ!」
そう言うと、夫人は不機嫌なままドレスをバサバサとはためかせて部屋を出て行った。残された父子は、深い溜め息を付く。
「ランドール…、スカイラの言うことはお前も理解しているだろう?」
「部分的に理解はしますが、全く賛同しません。」
ランドールは、そっぽを向く。そんな息子に父は溜め息を付いた。
「婚約解消は、しない。パーティーにも二人で出なさい。これは、セニアル侯爵家の跡継ぎとしての絶対事項だ。」
セニアル侯爵は、それだけ言うと立ち上がり部屋を出て行く。部屋には、怒りに震えるランドールだけが残った。
◇◇◇◇◇
何故こんな事になったと、悔やむ気持ちしか無い。
ランドールは、ふらふらと歩き外に出た。休憩室から出るとき、咄嗟に掴んだ水差しに口を付けて飲み干した。
夜空は満点の星が輝く美しい月夜だが、ランドールの心は怒りと嫌悪と絶望が渦を巻いた酷い状況だ。
(考えてはいけないのに、考えてしまう…。)
ヘンリエッタが隣にいたあの頃を。
幸せで充実していたあの頃を。
光り輝く未来があると思っていたあの頃を。
ランドールは、声も上げずに涙を流す。
バネッサに手を上げた事も、置き去りにした事も後悔は無い。
あの悍ましい行為に及ぼうとしたバネッサの、信用を失っただけだ。
「どうしたら、良いんだ…」
ランドールは弱々しい声でポツリと呟いた。
どれ位、そうしていたのか…。
遠くから人の気配がした。舞踏会で浮かれた男女が、うろうろとしているのはいつもの事だ。
(場所を変えよう…。)
今は、とにかく一人になりたい。それだけだった。
ランドールが重い腰を上げた所で、ピタッとその動きが止まる。
(あれは、ヘンリエッタとイリウス…。)
二人は、腕を組んで楽しげに話していたかと思えば…。
なんと、ヘンリエッタからイリウスの頬にキスをした。
(信じ、られない…。)
ランドールはくるりと向きを変えて、ふらふらとしながらその場を離れた。
次回投稿は、明日20時です。




