君に贈る白い花 上
サクッと楽しんで下さい。
ヘンリエッタは自宅の庭園にあるガゼボで、先程一月ぶりに届いた父親からの手紙を読んでいた。
外国を巡っている父親の手紙は、いつも通り滞在中の国の情勢や文化が彼の見解を含めざっくばらんに書き綴られていた。読んでいるヘンリエッタの方が、思わず笑ってしまう事も少なくない。
『追伸。懐かしい花を見つけたので、読書好きな貴女に栞にして送ります。』
ヘンリエッタは、手紙の他に封筒の中に同封されていた栞を取り出す。そこには、白いイベリスの花が押し花にされていた。
(お父様にとって、懐かしいお花がイベリスだなんて…。イベリスの花言葉は、確か「初恋の思い出」‥。お父様の初恋は、お母様だったのかしら‥?)
ヘンリエッタは、栞を見ながら遠い異国の父親を思った。それからぼんやりと目線を上げると、ランドールがガゼボの傍にいる事に気が付く。
「ランドール。貴方、いつからそこにいたの?」
「こんにちは、ヘンリエッタ。来たのは、ちょっと前かな?君があまりにも真剣に手紙を読んでいるから、邪魔しちゃ悪いと思って待っていたんだ。」
「そんなの、言ってくれて良かったのに。」
ランドールは笑って首を振り、近づいてヘンリエッタの隣に座る。彼女の手にしている、栞の花に気が付いた。
「栞はドラメント伯爵から?イベリスだね。」
「ええ。」
「初恋の思い出か‥。ヘンリエッタは、自分の初恋を覚えている?」
流石、博識なランドール。花のこともよく知っている。
ヘンリエッタは首を振った。
「‥覚えていないわ。貴方は、覚えているの?」
けれど彼女の場合、正確には覚えていないのでは無く、未だ初恋をしていないかもしれないとも言える。
ランドールはその青い瞳を細め、にこりと笑うと隣のヘンリエッタを見た。
「覚えているよ。世界一、可愛いお姫様だと思ったからね。」
(この人、記憶力まで良いのね‥。)
「そう、‥誰か知らないけれど、そのお相手は貴方に覚えて貰っていて幸せな方ね。」
ヘンリエッタはランドールの態度が面白くなくて、ついトゲのある言い方になってしまった。そんな自分がいたたまれなくて、手紙を折り畳み封筒に納めつつ話題を変える。
「それで今日は、どうしたの?」
学園は先日二人とも無事に卒業したが、ランドールは跡継ぎの役目の業務が膨大になり忙しい。ヘンリエッタは、これまで不在の家族の代わりに引き受けている領地管理に加えて、新たに花嫁修業という社交の付き合いやらで以前より慌ただしい日々を送っていた。
それでもランドールは、朝食をヘンリエッタと共にする習慣は続けているし、今の様に日中にふらっとヘンリエッタの元に現れてお茶をしたりする。
次期セニアル侯爵として多忙な彼だが、どういう仕事の処理とタイムマネジメントをしているのかとヘンリエッタは不思議でならなかった。
とはいえ、今日はお茶しに来る予定では無かったはずだ。
ランドールは、変わらず蕩けるような甘い笑顔をヘンリエッタに向ける。
「従姉妹が、来月結婚するんだ。だから一緒に街に出て、贈り物を選ぶのを手伝ってくれないかな?こういう時、どんな物が良いかなって思って。」
「そうなの、おめでたいわね。良いわ、一緒に行きましょう。」
ヘンリエッタは、微笑んで差し出されたランドールの手を取ると立ち上がった。
◇◇◇◇◇
馬車から路肩に降り、二人は並んで歩きながら店先を見て回り、贈り物をどうするか相談する。
「花嫁への贈り物と言えば、サムシングフォーの中のブルーかニューかしら。何か、目星は付けているの?」
「まだ何も。女性の意見を聞いた方が良いからと思っていたからね。」
「来月なら、お花とかは駄目ね。春だから、良い花は沢山出てきているけれど‥‥。」
ヘンリエッタは立ち止まって、花屋の店先の色とりどりの花を眺める。
「ヘンリエッタの好きな花は何?」
「そうねぇ‥。綺麗な花なら何でも好きだわ。」
「何でも‥。」
ランドールは少し困った顔をして隣のヘンリエッタを眺めていると、聞き覚えのある声で名を呼ばれた。
「ランドールなの?」
「イザベラ!ここで会うなんて、偶然だね。この度は、結婚おめでとう。」
ランドールに声を掛けイザベラと呼ばれた女性は、付き添いであろう侍女に手を添えられて弱々しく微笑んでいた。
「ありがとう。来月は是非、叔父様達と式にいらしてね。‥それで、そちらの可愛らしいお嬢さんは?」
微笑むイザベラは、ランドールの隣にいるヘンリエッタの方をチラリと見る。
「ああ。幼馴染みのヘンリエッタ・リエ・ドラメント伯爵令嬢だよ。ヘンリエッタ、彼女は僕の母方の従姉妹のイザベラ・マリー・ロズベルグ。彼女が、話していた来月の花嫁だよ。」
ランドールの言葉に、ヘンリエッタはお辞儀した。
「はじめまして、イザベラ様。この度は、ご結婚おめでとうございます。」
「ありがとう。ランドールに、こんな可愛らしい幼馴染みがいたなんて知らなかったわ。一緒にお茶でもと言いたいけれど、ここ最近体調が良くなくて。私はもう用事が済んだから、屋敷へ帰るところなの。」
僅かに眉間にしわを寄せたランドールが言う。
「確かに、顔色が悪いね。来月の為にも早く良くならないと。」
「ええ、そうね。落ち着いたら、またゆっくりとお茶をしましょう。ご機嫌よう、ヘンリエッタ様。」
「ご機嫌よう、イザベラ様。」
ヘンリエッタ達は、ゆっくりと歩くイザベラ達を見送った。
「…随分、体調が悪そうね。」
「ああ、どうしたのだろう。先月会った時は、あんな風では無かったんだけど。」
二人は顔を見合わせたが、出来ることも無い。その後は贈答品を扱う店先を見て回る。
そして、贈り物は白いスイートピーと縁取りの金の装飾が美しいペアのティーカップに決めた。
「ねえ、ヘンリエッタ。お茶して行かない?連れて行きたいカフェがあるんだ。今日付き合ってくれたお礼に、ね‥?」
ランドールの誘いに、ヘンリエッタは首を振る。
「お礼なら、ガスパリオのキャラメルが良いわ。お店はここから近いし、買って帰りましょう?」
ヘンリエッタのうきうきとした表情に、ランドールは苦笑いする。
「分かった。…ヘンリエッタは、欲がないね。」
「そうかしら?」
そんな会話をする二人が、キャラメルを買いに方向を変えようとした時‥。
「ランドール様ぁ!」
学園は卒業したのに、随分と聞き慣れた声と近付いてくる足音に、ヘンリエッタの顔が少々引きつる。彼女がそちらに振り向いて、相手の顔を確かめるまでも無い相手。
バネッサは、わざとらしくヘンリエッタを通り越してランドールの前に陣取った。
「ご機嫌よう、ランドール様!お会い出来て、嬉しいです!お買い物ですか?私もご一緒させて下さい!」
「バネッサ嬢。せっかくの提案なんだけれど、もう僕達の買い物は終わったところなんだ。貴女が、今出て来たパティスリーに寄ったら帰るんだ。」
ランドールが、何でも無い風に言った。
「あら、そうなんですの!?」
「せっかくのお誘いだけど、今日はごめんね。」
「残念ですぅ。」とバネッサは瞳をきゅるんっとさせてランドールに言ってから、ヘンリエッタに向き直る。
鬼の様な形相で。
「あら、ヘンリエッタ様。ご機嫌よう。いらしたのね。」
(相変わらず、すごい使い分けね‥。)
「‥ええ、ずっといたわ。」
「貴女、ランドール様にいつも付き添われているけれど、一人で何も出来ないのかしら?」
「そんな事無いわ。貴女と会う時のタイミングの問題だと思うわよ。」
「買い物に付き合って貰ったのは、僕なんだ。結婚する従姉妹への贈り物を選ぶのに、女性の意見が欲しかったから。」
ランドールの言葉に、バネッサは目を丸くする。
「そうなんですの?従姉妹が結婚されるなんて、おめでとうございます!私も、ご一緒したかったです。次の買い物は、私も誘って下さいませ。」
(私の話は、無視なのね。)
ゲンナリするヘンリエッタ、嬉々と話すバネッサに、ランドールはいつもの調子で話す。
「お互いの都合が合えば、お願いするよ。」
「そんなの仰って下されば、直ぐに合いますわ!」
(これを見ていても、きりが無いわね。)
ヘンリエッタは、学園時代を彷彿とさせるやり取りについ距離を置きたくなる。
「私、先にパティスリーへ行くわ。バネッサ様、ご機嫌よう。」
キャッキャッとはしゃぐバネッサと和やかに話すランドールを置いて、ヘンリエッタはパティスリーを目指して歩き出した。
ヘンリエッタが動き出して、ランドールは直ぐに話を切り終え後に続いてパティスリーに入ってきた。
「私の事は、気にしなくて良いのに。」
「僕には、貴女の方が大事だから。」
「…、そう。」
その後ランドールは、パティスリーでヘンリエッタお気に入りのキャラメルを一包みだけ買った。もっと買うつもりだったが、ヘンリエッタが断ったのだ。
帰りの馬車に揺られ、ヘンリエッタは嬉しそうにランドールに言った。
「ありがとう、大事に食べるわ。」
「本当に欲が無いね。でも直ぐに無くなるだろうから、また一緒に買いに行こう?」
「アンに止められるから、直ぐには無くならないわ。」
「じゃあ、いない内に楽しまなきゃね?」
ランドールはヘンリエッタが持っていたキャラメルの包みをそっと手に取り、中から飴色のキャラメルを一粒摘まみ出した。そしてヘンリエッタの口にその一粒をそっと含ませる。
「幸せだわ。」
キャラメルの美味しさに、ご機嫌な笑みを浮かべるヘンリエッタを見てランドールも自然と笑みがこぼれる。
「貴方も食べたら?いつも、私ばかり食べているわ?」
「それで、構わないんだけど。…、じゃあヘンリエッタが食べさせてくれる?」
ランドールの言葉に、ヘンリエッタは目を丸くし一瞬固まる。
けれど、目の前の嬉々とした表情で見つめてくるランドールを目の前に「ノー」とは言えなかった。
次回投稿は明日20時です。