赤い情熱の舞台 上
第二章に入ります。
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毎朝のトレーニングを終え、水風呂から出たロマニエルは白い麻のラフなパンツに赤い薔薇の刺繍が施されたバスローブを引っ掛けて脱衣所を出た。
濡れた髪を大判のタオルでわしゃわしゃと雑に拭きながら、テーブルに置いた一通の封筒を手に取り窓辺の長椅子にドサリと座ると、封を切っての中身に目を通す。
読み終わる頃には、彼は目元を嬉しそうに細めた。
読んだ封筒を手にしたまま、朝食の為に食堂へ降りると朝の早い妹は既に食べ終えた様だった。
最近まで一緒に朝食を摂っていた幼なじみと別れを告げた妹は、全くもっていつも通り。
彼女は、自分の気持ちを表現する事が余り多くない。
それは、これまでの生き方から得た妹の所与術である。ブレの無い凜とした姿に、感情の起伏おも生業に利用している自分は関心とも尊敬とも言える気持ちになった。
けれど、それ故にこの子の事が気掛かりになる。
そんなヘンリエッタの斜め向かいに座ったロマニエルは、手に持っていた先程の封筒を見せながら言った。
「リタ、知り合いがフィガロ座でオペラをやっているから一緒に見に行かない?」
その誘いに、新聞を読んでいた彼女の視線が上がってこちらを見る。
「嬉しい、行きます。今、フィガロ座でやっている演目って…。」
「『魔鈴』よ。」
「まぁ、女王役のアリアが楽しみです。」
ロマニエルは、「そうね。」とさらりと言うと妹に笑って言う。
「じゃあ、行きましょう。…今夜。」
「え…、急ですね。」
目を丸くする妹に、ロマニエルは苦笑いして言った。
「ちょっと、放っておきすぎたのよねぇ…。」
◇◇◇◇◇
日が落ちて辺りが薄暗くなると、ロマニエル達はそこだけお祭りのように眩しい光を放つフィガロ座の劇場前に降り立った。
二人のドアマンに開かれた重厚なドアの向こう側は、頭上に巨大なシャンデリアが煌めいてバーも併設された広間になっている。そこは贔屓の演者や演目の話題に盛り上がる着飾った貴族達が、今夜の開演を今や遅しと待ちながら談笑していた。
短い毛足の赤い絨毯を踏みしめて、ロマニエル達はその賑やかな場に歩を進めた。
オペラ界で名の知れた自分に、気が付いた周りの人々が集まってくるのを、遠慮する妹はいつも通り自分の隣からそっと影のように離れて行く。呼び止めるのも可哀想なので、周りと話しながら彼女の位置だけ視線で追い、そしていつも通り壁際に落ち着いたのを確認する。
今までは、そこに幼なじみが駆け寄ってきていたりしたが、その彼はもういない。
ロマニエルが、話を切り上げてヘンリエッタの元へ向かおうかと思っていれば彼女の元へ一人のご令嬢が歩み寄って行った。
(あれは、数日前に笑顔一つでリタを我が家から連れ出したクリスティーナ皇女。という事は…。)
「ロマニエル様。」
聞き知れた、鈴を転がすような声。ロマニエルが、微笑みを浮かべてそちらを見ればハドソン公爵夫人が夫の腕に捕まり近くまで来ていた。
「ハドソン公爵、夫人、ご機嫌よう。今夜貴方方にお会いできるとは、光栄です。」
「ロマニエル殿、私達こそ貴方に会えるのは光栄だよ。」
「ふふふ。」
ロマニエルがヘンリエッタの方を見れば、思った通りイリウスとヘンリエッタ、クリスティーナが三人で話しているのが見えた。
(ハドソン公爵家は、セニアル侯爵家程の心配は無いけれど…。イリウス殿が、あのリタをどう懐柔するのかが見物かしらねぇ。)
ロマニエルは、微笑みを浮かべて妹の姿を見ていたが、おもむろに懐中時計に目をやれば開演時間が迫っていた。
そう言えば、広間に溢れていた人々は大半が会場へ移動したのか疎らになっている。
「開演が迫っていますから、私はこの辺で失礼を…。」
「ああ、そうだな。我々も席に行こう。」
「あらまあ、そうね。」
ロマニエルは、ハドソン公爵夫妻から離れ赤い絨毯を踏みしめながらヘンリエッタ達の元へゆったりと歩を進めた。
◇◇◇◇◇
「主演のアリア、素晴らしかったです…。」
観劇の感動に浸るヘンリエッタの頬は紅潮し、満足げに溜め息を付いた。その様子に、ロマニエルは満足げに頷いて言った。
「そうね。帰る前に、ちょっと演者に挨拶して行きましょうか。」
「え!?良いのですか?」
「だって、演者が見に来いってボックス席のチケットを送ってきたのよ?顔くらい、出しに行かなきゃね。」
「はい!」
珍しく興奮気味なヘンリエッタを連れて、ロマニエルは演者の控え室を目指して歩き出した。
劇場入り口の花屋で赤い花束を見繕い、業務用通路の前にいたドアマンに話を付けて、人や道具がごった返す細い廊下へ入る。途中、知り合いの演者の付き人を見付けて声を掛けた。
「フィリップ、ガレリナと話せるかしら?」
「あ、ロマニエル様!やっと来てくださったのですね。ガレリナ様、ずっと待っておられたんですよ!」
フィリップの不満にロマニエルは苦笑いしながら、案内された部屋に入った。部屋中の、香水と花の混ざった香りが鼻を擽る。
幼少時から強めな花の香りが苦手なロマニエルは、一瞬鼻を気にしたが中の演者の姿を認めるとにこりと笑った。
ドレッサーの大きな鏡の前に座っていた、豊かな赤毛の女性が鏡越しにこちらを見ると直ぐに振り向いた。
「ロニ!貴方、来るのが遅いのよ!」
「ふふ。まぁ、アンタからボックス席のチケットを送られてきたんじゃ、来ないわけにも行かないわね。ありがとう、ガレリナ。…相変わらず、良いアリアだった。」
その言葉に、ガレリナはぱあっと輝くように笑う。
「本当!?貴方に言われたら凄く嬉しいわ!」
舞台での奇抜で禍々しい衣装や化粧を落としてしまえば、童顔で小柄な彼女。一見、妹と同年代にも見えるガレリナだが、実際は三十代の立派な成人女性なのだ。
けれど、彼女のギャップに心を惑わせられる男性は後を絶たない。
そんな彼女と再会を喜ぶハグしあう兄を前に、赤面して固まっている妹に気が付いた。
それもその筈…。舞台が終わり全身の化粧や汗を落としている状態のガレリナはほぼ裸といった状態だ。ここまで来る道中にすれ違っていった個室を持たない他の演者達も、皆が同じ様ななりで彷徨いている始末。
「あ、リタは裏方に馴染みが無かったわね。まあ、直ぐに慣れるわよ。」
「はい…。」
俯くヘンリエッタを、ガレリナがズイッと覗き込んで言った。
「リタって、…貴女がロニの妖精?」
「え?」
対するヘンリエッタは目を丸くして、苦笑いしている隣の兄を見上げた。
「ガレリナ、リタを恐がらせないで。」
ロマニエルの言葉に、ガレリナは口を尖らせて言った。
「あら、そんなつもり無いわ。噂ばかりで、本当に〝リタ〟が存在していた事に驚いているのよ。ロニが、メルトンに帰国する前はかなり付き合いが悪くなるのは、自国の妖精の為だって皆が言っているわ。」
「私は、妹です。」
リタの言葉に、ガレリナは緑色の目を見開いた。
「そうだったのね…。仲間内で、誰も貴女を見たことが無いから、皆がファンタジーに扱ってたの。でも、こんなに可愛らしいなら妖精のままでも良いと思うわ。」
一人メルトンに残り、領地を納めてくれているヘンリエッタが、海外暮らしをしているロマニエルを訪ねて来た事は一度も無い。
それ故、普段から自由奔放で女っぽいロマニエルが帰国するのは架空の〝妖精〟の為だといつしか噂になっていた。
「ロニの妖精に会ったって、自慢出来るわ。」
ガレリナは、そう言ってヘンリエッタにウィンクする。そういう免疫の無い妹は、ポッと頬を赤く染めた。
「じゃあ、アタシは見付からない内に…。」
ロマニエルがそう言いかけた時、廊下から女性の叫び声と人々の響めく声が響いた。
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次回投稿は明日20時です。




