紫色の瞳は何色にも見えて 上
サクッと楽しんで下さいね。
ヘンリエッタが隣のイリウスを見上げると、彼の紫色の瞳が優しくこちらを見ていた。ぱちり視線が合ったのが、気恥ずかしく視線を逸らしてしまう。
そんなヘンリエッタの様子に柔らかく笑ったイリウスは、馬車へ向かうのかと思っていたが彼の足は来た方と反対側へ向かった。
「あの…?」
「急に公爵家へ連れて来られた割には、貴女に余裕がありそうだから少し二人で話したい。良いかな?」
「あ、…はい。」
初めて本格的に公爵家の屋敷を訪れたヘンリエッタに、自分の位置関係が分からなくなった所で遠くにガゼボが見えてきた。
イリウスは、そこに彼女を導く。
ヘンリエッタを座らせて、自分は一人分のスペースを空けて左側に座る。そして暫く何も話さずに、庭園を眺めていた。
何も話し出さないイリウスに、ヘンリエッタも倣って庭園を眺める。
(トゥール伯爵家の様な派手さは無いけれど、黄色と紫色のカラーで造られた素敵な庭だわ…。そう言えば、さっきの温室も色々な植物が植わっていたけれど、花のカラー毎に分けて植えられていた。公爵家の、お庭の作り方なのね…。)
視線に気が付いて、そちらを見ればいつの間にかイリウスがこちらを見ていて少し驚く。
「先に、こっちが貴女を訪ねるつもりだったが、あの二人がすまなかった。」
「あ、いいえ。私も、イリウス様とはお話したいと思っていました。あの、…毎朝のお花と手紙と、…靴をありがとうございます。」
「迷惑じゃなかった?」
「驚きました。」
「そりゃ、そうか。」
イリウスは、にこりと笑う。
「それに、先日はトゥール伯爵家で力を貸して下さり、ありがとうございます。」
「あんなのは、貸した内には入らないよ。貴女の方は、あの後が大変だったのだろう?」
「まぁ、…はい。」
イリウスは「やっぱりな。」と言って困ったように笑うと、深い紫色の瞳でヘンリエッタをひたりと捕らえて言った。
「ヘンリエッタ嬢が嫌がることを、するつもりは無いんだ。でも、俺はランドールの様に貴女と生暖かい状態を求めてはいない。」
ヘンリエッタは、縛られたようにイリウスから目が離せない。
「更にハッキリと言えば、俺はドラメント伯爵家に貴女との婚約を申し込みたい。けれど、貴女の気持ちが伴わない様な虚しい生活をする事を望んではいない。だから今後はヘンリエッタ嬢と、一緒に良好な関係を築いていきたいと思っている。」
公爵家との婚約が知れれば、将来二人の結婚が確約されたも同然の公の関係を意味する。ランドールは、それを心配していたのだ。
「それは、…私の独断では決めかねる事ですわ。」
「そうだな。近い内にドラメント伯爵家を訪ねても良いだろうか?」
「兄に聞いてから、返事をさせて下さい。」
ヘンリエッタの答えに、イリウスはさして機嫌を悪くするでも無く、にこりと彼女に笑って頷いた。
(これが、海月という事…?)
ヘンリエッタは、穏やかな表情をするイリウスを見つめて言った。
「私とランドールの事を、仰らないのですね。」
ヘンリエッタの言葉に、イリウスは首を傾げる。
「貴女はランドールと婚約していたわけでも無いし、その事を今問うた所で何の意味も無いと思うが…。それよりは、貴女に自分の事を、彼より認めて貰える様になる方が重要だと思う。」
イリウスの言葉に、ヘンリエッタは感心した。これまで、自分達の関係は周りから遠巻きにされるか、攻撃されるかのどちらかだったから。
(ああ、…イリウス様ってこういう考えをする方なのね。嫉妬とか、焼きもちとか、そういう感情よりも、物事の事実を捕らえる見方をされるのだわ。)
イリウスが、同性異性から支持を得る存在であるのも肯けた。
言ったイリウスは、ヘンリエッタと視線が合うとにこりと微笑んだ。ヘンリエッタは、ハッとして視線を庭園へ戻す。
(この人には、不思議な吸引力がある…。うっかり、魅入ってしまうわ。)
「ですが、公爵家のお生まれのイリウス様が、しがない伯爵家の私に婚約したいと仰るなんて、性急な判断だと思います。しかも私の気持ちを伴う関係を求められるなら、その確約は出来ません。」
「我々は、知り合ったばかりだからなぁ…。」
飄々としている隣のイリウスの言葉に、ヘンリエッタは面食らう。
(ふわふわしていて、摑み所も無いかもしれない…。)
「そもそもイリウス様は、私の事を買い被っておいででは無いでしょうか?」
「そうかな、控え目な位だよ?少なくとも、十歳から領地経営と管理の責任を負える人間は、そういない。気を悪くしたら申し訳ないが、…少し貴女の事は調べさせて貰った。」
そうだろうとは、予想していたのでヘンリエッタは首を振る。
「私の場合は、状況が状況でしたから。皆同じ状況なら、そうすると思いますわ。」
「そんな事はないさ。責任を負えるだけではなく、維持と発展させていけるかはまた別の話だし。」
黙ったままのヘンリエッタに、イリウスは言う。
「ロマニエル殿も交えて話せば、俺が本気だと信じて貰える?」
イリウスは、あくまでも穏やかで笑顔だがヘンリエッタを逃がすつもりは無いという意思が瞳から伝わってくる。
「それは、伝わりますが…。」
「貴女の気持ちが伴うかは、別?」
ヘンリエッタがイリウスを見れば、彼はにこにことしてこちらを見ている。
「イリウス様…、私の反応を楽しんでいらっしゃいますよね?」
「いや?普段の貴女は、どんな感じなのかなと思って。」
「やっておられることは、あまり変わらないと思いますが…。」
「そうかもしれないな。」
「意地悪です。」
ヘンリエッタは、何とかそれだけ言うとイリウスの視線から逃れる様に立ち上がる。自分の落ち着かない胸のざわめきに、耐えられなかった。
「では、馬車まで送ろう。朝から、我が家の女性達に付き合わせてすまなかった。」
「いいえ。」
柔らかく見つめてくるその紫色の瞳に宿るのは、彼の底無しの優しさか、それとも女を誘い込む素手なのか…。これまで人間関係に乏しく生きてきたヘンリエッタには、その判断が着かない。
(どうしたら、良いの…?)
思い悩むヘンリエッタを、イリウスは今度こそ紳士的に帰りの馬車へと送り届けた。
◇◇◇◇◇
一人になったヘンリエッタは、ふかふかの柔らかい座席にぐったりと脱力して座る。体は疲れているが、頭は興奮しているのか妙にはっきりとしていた。
(ハドソン公爵家一色の一日だったわ。疲れているはずなのに、何だか凄く不思議な気分…。)
彼等は一生、自分には縁の無い人達だと思っていたのだが…。
「これから、どうなるのかしら…。」
そう呟いたヘンリエッタは、流れる車窓に目を向ける。日が沈む前の空は、イリウスの瞳を思い出すような紫色に染まっていた。
ヘンリエッタを乗せた馬車が、ドラメント伯爵家の屋敷の門前に着いた時、近くに馬の嘶きが聞こえる。
(何かしら…?)
ヘンリエッタが窓から外を見れば、そこには久しぶりに伯爵家に姿を現したランドールの姿があった。
「ランドール…!止めて!馬車を止めて!」
ヘンリエッタは、馬車から急いで降りるとランドールの元へ駆けていく。
彼も、馬から降りてこちらへ近付いて来る。眉間にしわを寄せ辛そうな顔をしている彼の手には、ヘンリエッタが今朝アンに頼んだらしい手紙が握られていた。
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次回投稿は明日20時です。




