紫色の瞳は何色にも見えて 上
サクッと楽しんで下さいね。
「お嬢様、イリウス様から今朝の分です。」
「そう、ありがとう。」
朝食を前にヘンリエッタは、侍女のアンから屋敷に届いた薔薇の花と、メッセージを受け取った。
彼女が屋敷を空けていた間も、毎朝届いた一輪の薔薇は今は花束となり、一緒に届くメッセージも箱一杯になった。
イリウスは、王位継承者第三位。平和的に引き継ぐならば、兄に継ぐ第二位の位置にいる。
癖っ毛の黒髪と白い肌、服の上からうっすらと分かる鍛えた肉体、そしてミステリアスな紫色の瞳は大学校で正統派の紳士であるランドールと肩を並べる程、女子生徒から人気があった。それでいて飄々としていて、実力もあるのに高慢でなく周りに開けた態度でいる為王族らしくも無い彼は男子生徒からの支持もあった。
とはいえ、イリウスは高官指揮科でヘンリエッタは経営経済科と全くもって接点の無い存在だった。
あの絵の件が無ければ…。
その後、イリウスはヘンリエッタ達と同時に大学校を卒業すれば、素直に公務へと移っていった。
(本来なら、接点すら無くなるはずの方だった…。)
けれど、イリウスは毎朝ヘンリエッタに花と手紙を贈ってくる。何かしらの集まりで話題に出ても良さそうだが、今のところそんな気配は無い。
そして、先日のトゥール伯爵家のガーデンパーティーで会った彼は、自分の話よりヘンリエッタに協力することを優先したのだ。
(摑み所の無い程の距離を笑顔で保ちつつ、それでいて相手の内に入り込む…。高度な交渉術ね。けれど、それを私にする意味があの方にあるのかしら…?)
そう思うヘンリエッタは、いつもの様に届いたカードに目をやると口元を押さえ首をかしげた。
『トゥール伯爵家では、あまり話が出来なくて残念でした。ですが、先日の楽しい時間を過ごせた時に貴女に似合いそうな品を閃いたので贈ります。』
(どういう事…?)
ヘンリエッタが不思議そうに顔を上げれば、アンが和やかに箱を持って立っている。
「お嬢様、今朝はこちらも届いています。」
「トルガの店の箱ね。この前、私が注文した品かしら?こんな時間に届けに来るなんて、珍しい。」
「いいえ、こちらはイリウス様からです。」
「え…?」
確かに、箱に結ばれた紫色のリボンは彼の物。
そのリボンを解き箱を空けると、中には紫の布地に黄緑色の縁取りと短めのヒール、サイドに黄緑色のビーズをあしらった靴が一足入っていた。
「まぁ、素敵な靴ですね!お嬢様に、似合いそうです。」
アンが感心して言うのに、ヘンリエッタは苦笑いして頷いた。
(恐いくらい、私好みの靴ね…。イリウス様って、油断のならない人だわ。)
靴を眺めている主に、アンは遠慮がちに言った。
「あの、お嬢様…手紙は、今日もお出しになりますか?」
「ええ、お願い。」
ヘンリエッタはにこりとして頷き、手にしていた手紙を彼女に渡す。
「畏まりました。」
アンは、その手紙を手にすればそそくさと退室して行った。
アンに渡した手紙は、ランドール宛だ。彼に会って話すと決めてから王都に戻ったヘンリエッタは、毎日彼に手紙を出していた。
だが、手紙の返事は来ない。
(あのランドールが、手紙を受け取って何も反応が無いなんて有り得ない。本人に、届いていない可能性もあるわね…。)
本当はヘンリエッタがランドールを訪ねて侯爵家へ行きたい所だが、格下でしかも女性の方が約束も無しに男性を訪ねて行くことは流石に出来ない。
(こればかりは、いつか届くと思って出し続けるしか無いわね。)
ヘンリエッタはそう思いながら、日が上がる前の紫色に染まる空を見上げた。
◇◇◇◇◇
その日の朝食後、ドラメント伯爵家に約束の無いはずの公爵家紋が装飾された立派な馬車が到着する。訪ねてきたのはイリウスの妹、クリスティーナ・リリー・ハドソン。
他に類を見ないレベルの愛らしい彼女は、微笑み一つで一瞬にしてドラメント伯爵家の従者達を魅了し、瞬く間にヘンリエッタを連れ出して自分の馬車へ乗せると屋敷へと向かう。
そのあまりの早さに、ヘンリエッタはその馬車の中で彼女に挨拶する事となった。
「クリスティーナ様、ご機嫌よう。あのお買い物以来ですね。お越し下さったのに、何のおもてなしも出来なくて、申し訳ありません。」
「いいえ、私がそちらへ急にお邪魔したのだもの。申し訳なかったわ。けれどお母様が、早くヘンリエッタ様とお話ししたいらしくて…。」
「公爵夫人が…?」
「ええ。母はすごくせっかちな所があって。貴女は領地から戻られたばかりなのに、ごめんなさい。」
そう言ったクリスティーナは、ヘンリエッタに一通の封筒を差し出した。彼女は馬車に揺られつつそれを開封し、お茶に招待したい旨を読み終わった時にはハドソン公爵家の屋敷の前に着いていた。
(何という、実現力。流石、ハドソン公爵夫人。まさか、二回目の公爵家訪問があるとは思わなかったわ…。)
そう思いながら、ヘンリエッタはクリスティーナの後を歩き庭園へ出る。そして、ドーム型の硝子張りが美しい温室へと入る。
温室内は、噴水やヘンリエッタの見たことの無い植物が育てられており、ちょっとした公園の様になっていた。
ヘンリエッタが興味津々に植物を見ていれば、後ろからクリスティーナが話し掛けてきた。
「ねえヘンリエッタ様、ランドール様がトゥール伯爵家令嬢との婚約を進めているのはご存知?」
「え?…いいえ。」
元々ランドール以外に、社交界の知り合いらしい知り合いが少ないヘンリエッタにとって、誰かの婚約話が耳に入る事はあまり無い。当の彼とは、最近会ってもいないから尚更だ。
(ランドールが、バネッサと婚約…。)
固まったヘンリエッタに、クリスティーナが言う。
「その様子では、本当に知らないのね。」
「はい、…今知りました。」
(ランドールとバネッサが婚約なんて、知らなかった…。)
「貴女は、…どうして、そんなに落ち着いていられるの!?」
「え…?いえ、驚き過ぎて反応出来なくて…。」
「貴女は、二人が婚約しても良いの!?」
凄い剣幕のクリスティーナ相手に、ヘンリエッタは少し考えた所で首を振った。
「セニアル侯爵家が決めた事に、他人の、しかも格下の私が口を挟む事は出来ません。私は彼の幸せを、願うだけです。」
「他人って、…貴女方は恋人同士では無いの?しかも、お相手は貴女の天敵のご令嬢なのでしょう?」
クリスティーナの問いに、ヘンリエッタは苦笑いする。
「私達は、家族の様な幼馴染みでした。それ以上でも以下でも何も無かったので…。トゥール伯爵令嬢には、嫌われているのは確かですが。」
(先日大っ嫌い宣言されたし…。)
「そんな相手に、悔しくないの!?止めたいとか、思わないの!?」
「悔しいというより、驚きの方が先立ってしまって…。トゥール伯爵家なら、セニアル侯爵家に釣り合う家ですし、婚約が決まったことなら、私では止められません。」
「でも、寂しく無いの?」
「彼は、社交界や大学校に友人がいない私を気に掛けてくれました。婚約を進めているなら、今後は婚約者優先になるでしょう。建設的な別れ、…とでも言うのでしょう。」
すっかり気落ちしたクリスティーナに、ヘンリエッタは微笑んだ。
「貴女がそんな調子じゃ、こっちが狂っちゃうわ。どうして、そんなに物分かりが良いの…。」
「本人の気持ちで成立しないのが、貴族の結婚だからです。」
ヘンリエッタの言葉に、クリスティーナは苦笑いして頷く。
「まぁ、…そう、ね。確かにそうだけれど、貴女って神父様の様な生き方をするのね。」
「神父様ですか…?」
「感情と現実を分けて、世の中の見本を説く様な所。」
「私は、そんなに大層な人間ではございません。」
ヘンリエッタがそう言った所で、対面のクリスティーナの顔が変わった。
「こちらが招待したのに、お待たせして悪かったわ。」
その声に、ヘンリエッタは直ぐに振り向きカーテシを取った。
「いいえ、お忙しい中お招き頂きありがとうございます。ハドソン公爵夫人。」
ヘンリエッタの様子を、ハドソン公爵夫人は微笑みを浮かべて頷く。近くのテーブル席に座るように促されて、彼女は席に着いた。
お茶を準備した侍女達を下がらせると、ヘンリエッタと夫人、クリスティーナが温室に残った。夫人は人懐こそうな笑顔で、ヘンリエッタに言う。
(この笑顔を、イリウスは引き継いだのね。)
「我が家の海月王子が、どんなお嬢さんにちょっかいを出しているのかと思っていたら、ロマニエル殿の妹のヘンリエッタ嬢だったなんて意外だったわ。」
「ちょっかいだなんて…。あの、海月王子とは?」
質問には、黄色いマカロンに手を伸ばしていたクリスティーナが答える。
「イリウスお兄様の事よ。海を独りでゆらゆら漂う様とか生態も似ているからって、お父様がそう愛称を付けたの。」
「生態…。」
「海月って、毒を持つ物がいるんですって。長い足で獲物を少しずつ絡め取り動けなくして食べちゃうらしいわ。そういう、所とか確かに似てるわ。」
「そうなんですね…。」
ヘンリエッタは、海に行ったことは無いし海月も実物を見たことは無いが、いつかの父親の手紙を思いだして思わず微笑みを浮かべた。
「イリウスのお眼鏡に叶ったのが、貴女の様な方で良かったわ。」
「え、…いえ?」
「あの子、他の息子達と違ってこの手の話が中々掴めなくてね、親は心配していたのよ。」
「この手の話…?」
ヘンリエッタが、イマイチ話題について行けていないのをクリスティーナが横からヘルプする。
「イリウスお兄様は、これまで浮いた話が全く無かったの。だから、ウチではイリウスお兄様は男色か、若しくはよっぽど性格に難があってご令嬢達にモテないんだろうって思われていたの。」
ヘンリエッタは、目を見開く。
「そんな、私とイリウス様はそんな関係ではありません。その様な話をしたこともありませんし、大学校では同級生でしたけれど科が違いましたから、殆ど接点はありませんでした。」
「え…、そうなの?」
「イリウス様に、申し訳ありませんわ。あの、公爵夫人にも…。」
目を丸くするクリスティーナに、隣の夫人は微笑んだまま言う。
「でも、貴女は我が家を救ってくれたわ。イリウスが貴女に興味を持ったのは、その後からでしょう?」
「そうよ、ヘンリエッタ様は我が家の救世主だし!」
興奮する娘を嗜めて、夫人は言った。
「それを抜きにしても、貴女の様なしっかりした方がイリウスの隣にいてくれたら私は嬉しい。」
「え…と。」
ヘンリエッタが返答に困った所で、バタバタとした足音と共にイリウスが温室に現れた。
「母上!クリス!どうしてこんな事を!?ヘンリエッタ嬢、二人がすまない。」
「あ、いえ…。」
「あら、私達は一緒にお茶をしていたのよ?」
「そうよ、お茶なの!」
ヘンリエッタには、イリウスの焦った姿が珍しくて静かに見上げた。彼の紫色の瞳は心配げに揺れて、ヘンリエッタを見た後しれっとしている態度の二人に苦笑いして言う。
「それなら、お茶はもうお開きだよ。」
「えー!?まだ始まったばかりよ!?」
妹の非難を気にも留めず、イリウスはにこりとしてヘンリエッタに手を差し出した。ヘンリエッタが公爵夫人の方を伺うように見れば、彼女は和やかに頷いたので彼の手を取って立ち上がった。
「ヘンリエッタ嬢、有意義な時間をありがとう。」
「いえ、こちらこそありがとうございました。」
「また、いらっしゃいな。今度は前もって招待状を送りますね。」
「ありがとう、ございます。」
「ヘンリエッタ嬢、行きましょう。」
ヘンリエッタは、イリウスに連れられて温室を出た。
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