7. ティアナの嫉妬
「『救世の乙女』は先に魔王城に向かっている。田舎育ちだから、人の多い街は慣れないと言っていた。……彼女か? 彼女はユーリアの護衛だ。気にしなくていい」
クラウスが街の領主と話すのを、ティアナはぼんやり聞いていた。
この街につくしばらく前から、ティアナは『救世の乙女』であることを隠すようクラウスに言われていた。
クラウスとユーリアの顔は広く知られているため正体を隠すことは出来ないが、ティアナはそうではない。
仮にクラウスとユーリアが魔王の手の者に暗殺された場合、ティアナだけでも生き残っていれば世界を救える可能性は残る。
そのための策だという。
クラウスが領主に話したように、ティアナは単なるユーリアの護衛や付き人として扱われていた。
「ほう! そうなんですね。『救世の乙女』様にも是非お会いしとうございましたが、そういう事情なら仕方ありませんな!」
痩せぎすの、いかにも神経質そうな領主がへつらうような笑みで言った。
人類最前線の街だ。気苦労も多いのだろう。
「もしよければ、今夜歓迎の宴を催させていただきたいのですが……いかがでしょう?」
「断る理由もない。是非、参加させてもらおう」
◆◆◆
絢爛な夜会だった。眼の前の危機を忘れたいのか、人々は無理にでも明るく振る舞おうとしているように見える。
着飾った街の有力者たちがクラウスやユーリアと談笑しているのを見て、ティアナはそっと嘆息した。
ただの護衛とされているティアナに興味を示すものはおらず、本来主役であるはずの『救世の乙女』を無視して場は盛り上がっていた。
しかし、ティアナはむしろほっとしていた。
城でもこういった夜会には何度か参加したが、正直言って慣れない。
クラウスが領主に言っていた「田舎育ちだから人の多い場に慣れない」というのは、あながち間違っていなかった。
しかし、それはそれとして美しく装ったクラウスとユーリアが並んでいるのを見るのは少し辛い。
ティアナはそっとクラウスに贈られた指輪を撫でた。
「いやあ、しかし、こうしてみるとお似合いのお二人ですな! 結婚のご予定はあるので?」
酒精が回っているのだろう、赤ら顔の領主が大声で言うのが耳に入り、ティアナは心臓がキュッとなるのを感じた。
「そういった話はあったのですが、こういった状況ですから……」
ユーリアがやんわりと、しかし嬉しさを抑えきれない声で言う。
「なるほど! では、祝勝の宴が婚約の宴となるのを楽しみにしておりますよ!」
「……すみません、少し外します」
――ティアナは思わずその場から逃げ出した。
護衛とされているティアナがユーリアを置いて場からいなくなるのは不自然かもしれないが、これ以上、彼らの会話を聞いているのは耐えられなかった。
「…はぁ…」
庭園まで来ると、ティアナは息をついた。
熱気に当てられ、火照った体を冷ましてくれる夜風が心地良い。
(もう、夜会が終わるまでここにいようかな……)
どうせ誰もティアナに興味がないのだ。
人類最前線なだけあって、兵もよく鍛えられている。
屈強な兵たちに会場全体が警備される中、小柄なティアナがいなくなったところで、ユーリアの身が危ないと考える人間は誰も居ないだろう。
「可愛いお嬢さん、お名前を聞いてもいいかな?」
背後から声に振り返ると、軽薄そうな男が立っていた。
確か、領主の次男、と紹介されていたような気がする。
「ティアナです……」
「君に似合う、綺麗な名前だ。夜会、退屈だったんだろ? よければ、俺の部屋に来ない?」
こんなところまで追いかけてきて、一体何の用だろう、と思ったが、なんのことはない、夜の相手を探しているのだ。
「すみません、恋人を心配させてしまうので……」
「え? 恋人?」
途端、領主の次男は馬鹿にしたように笑った。
「どうみても護衛に見えないのに、こんなところまで聖女様についてきて……男狙いなんだろ? 綺麗な聖女様の側にいれば、おこぼれには預かれそうだしな」
「……違います!」
「図星だからって怒るなよー。君、結構可愛いし、チップも弾むからさぁ」
そう言いながら、へらへらと迫ってくる。
ティアナは思わず腰に佩いていた剣を抜こうとして、
「おい。何をしているんだ」
第三者の登場に、その手を止めた。
「……クラウス、殿下」
現れたのはクラウスだった。
「私の参加する夜会で、こういった行いは感心しないな。この街の領主は一体息子にどういう教育をしているのか、後で聞かせてもらうとしよう」
「も、申し訳ございませんでした!」
少し護衛の女にちょっかいをかけただけなのに、思いの外大事になりそうで慌てたのだろう。
クラウスに咎められた領主の次男は、そそくさとその場から消えた。
「あ……ありがとう」
「……いくぞ」
クラウスに助けてもらい喜んだのは束の間、思いの外強い力で腕を掴まれ、ティアナは思わず声を上げた。
「離して! ねえ、痛いってば」
「……どこに行ったかと思えば、男漁りか。私の目と鼻の先で、随分酷いことをする」
「違うよ、そんな訳ないじゃない……」
「私は必要ないということか? 何がそんなに不満なんだ。こんなに良くしてやってるのに」
「違うってば!」
ティアナの否定にクラウスはまるで耳を貸そうとしない。
クラウスは振り返り、怒りに燃える顔で告げた。
「ティアナの気持ちはよくわかった。一人で全部やればいい。魔王にも一人で挑むんだな。君の誠意が伝わるまで、私は手を貸さない」
「そんな……」
「明朝旅立て。……これは命令だ」
そう言うと、クラウスはティアナを残し、再び夜会の会場へと戻っていく。
ティアナはしばらく、呆然とその場に立ち尽くしていた。
それが、ティアナの孤独な戦いの始まりだった。