4. ティアナとユーリア
ティアナとクラウスが恋人となって半月ほど経った日のことだった。
近隣の街に大型の熊の魔獣が出たとの報せが城に入り、実戦訓練を兼ねティアナが討伐しに行った。
ティアナの実力であれば問題無い筈だったが――。
「どうしてこんな酷い怪我を……」
「あ、クラウス……。ごめんね。ちょっと失敗しちゃった」
討伐には成功したものの、ティアナは歩くのもやっと、という怪我を負って帰ることになった。
戦っている最中に突然ティアナの剣が砕けてしまったのだ。
武器を失ったティアナは、為すすべなく傷を負ってしまった。
幸い命に別状は無いものの、全身が酷く痛む。
「ユーリアに……ユーリアに診てもらおう。彼女ならこんな傷、すぐに治せる筈だ」
「ユーリア様に……?」
聖女ユーリアは明らかにティアナを嫌っている。
最初にユースティアに喚ばれた時を以来、直接ユーリアと言葉を交わしたことはない。
しかし、この城の人間の殆どがティアナとまともに言葉を交わそうとしないのは、ユーリアの顔色を伺ってのことだということには気づいていた。
だから、ティアナは彼女を極力避けていたのだ。
「えっと、ユーリア様のお手を煩わせる訳には……。私は大丈夫、だから」
「大丈夫な訳ないだろう! ……行くぞ」
「あっ、ちょっと、クラウス!」
クラウスは強引にティアナを抱きあげ歩きだした。
ティアナはそっと小さく嘆息する。
クラウスは普段は優しいのだが、たまにティアナの話をまるで聞いてくれない時がある。
こうなると、いくら意見を言っても無駄だ。諦めるしかない。どのみち身体が傷んでまともに動けない。
ティアナは抵抗をやめ、大人しくクラウスに運ばれることにした。
◆◆◆
「まあ! 酷い傷ですわね……。大丈夫すぐに治して差し上げますわ」
城のすぐ目の前にある大聖堂――その一室にユーリアは居た。
聖女然とした微笑みを浮かべる彼女は、普段ティアナに向ける嫌悪をまるで感じさせない。
「あの、私は本当に大丈夫です……」
「遠慮しなくてもよろしいのよ?」
ティアナはそれが逆に恐ろしく思えて、彼女から遠ざかろうとしたが、ユーリアはにこやかにティアナに近寄った。
「直接傷を確認しませんと……。申し訳ございませんが殿下、ご退室いただけますか?」
「……わかった。治ったら呼んでくれ」
クラウスはそう言って出て行こうとする。
「あ、クラウス……」
「どうした?」
クラウスが振り返った。
ティアナは彼を引き留めようとして、そして何も言えず口ごもった。
だって、なんて言えばいいのだろう? ユーリアが自分を嫌っている気がするから、一緒に居てほしいと言えばいいのだろうか。
クラウスとユーリアは幼馴染だというし、実際ユーリアを心の底から信頼しているように見える。
いくら恋人とは言え、付き合いの浅い自分の言葉を信じてもらえるのだろうか。
「ううん、何でも無い……」
結局何も言えず、クラウスは出ていってしまった。
部屋にいるのはティアナとユーリア、そして、ユーリアの付き人が数人。
ユーリアはクラウスが居た時と変わらない、穏やかな笑みを浮かべながらティアナの身体に触れた。
その瞬間、鋭い痛みが走り、ティアナは思わず声を上げた。
「いたっ」
「あらあら、大丈夫です? 変ねえ、回復させているだけなのだけれど。神聖な光の魔力を流して痛い、なんて……まるで、魔物みたいですわね?」
ユーリアはそういってくすくすと笑う。
「違います……! 私は、魔物なんかじゃ」
「じゃあ、痛いはずありませんわよね?」
そうは言われても痛いものは痛い。
しかし、露骨に痛がると魔物だと言いがかりをつけられてしまう。
それがユーリアの狙いなのだろう。
「わたくし、本当はクラウス殿下と婚約する筈だったんですの」
ティアナが唇を引き結び痛みを堪えていると、ユーリアが小声で囁いた。
「でも、魔王が復活する、なんて神託が下って……。王族としての責務を果たすために、魔王を倒しに行かなければならないから、婚約は出来ないって仰ったの。そんな神託、本当かもわからないのに、本当に愚かですわ。神官長が呆けてしまったとしか思えません」
教会の頂点である神官長の悪口を言ったにもかかわらず、周りの人間は誰も咎めようとしない。
ティアナが何も答えていないのにも関わらずユーリアは続けた。
「わたくしとの婚約を断って、召喚でたまたま喚び出された、こんな田舎娘を選ぶなんて。一体どういう手を使ったのかしら。やっぱり体?」
「違います!」
ティアナは否定したが、ユーリアは聞こえていないかのように話を続ける。
「あなたに剣を教えている兵士も、魔道士も、みんなあなたに才能があるって言うんですの。……おかしいですわ。いままで田舎で暮らしていただけの平民が、剣も魔法も扱えるなんて、そんな訳ありません。こんな薄汚い小娘に誘惑されるなんて、恥知らずな男たちだわ」
「っ!」
違う、誘惑なんてしていない。
そう言おうとしたが、痛みで言葉にすることが出来なかった。
「ふふ、本当にあなたが魔物だって思っている訳じゃないのよ。ただ、気に入らないだけ。こんな平民に期待するなんて、殿下も神官長も本当に、本当に愚かですわ……。なにが出来るというの、あなたに。ああ――男をたらし込むことだけは、得意みたいね?」
「あ……!」
瞬間、一際強い痛みが走り、ティアナの視界がチカチカと瞬いた。
そしてそのまま、意識が薄れていく。
意識を手放す間際に見えたのは、菫色の瞳に滲む憎悪だった。