春が来ちゃった!
コンコン、と、扉を叩く音がした。
「どうぞ」
ゆっくりと開いた扉から顔をのぞかせたのは、魔王様ではなく、銀色の長髪を高いポニーテールにして揺らしている女性だった。照れくさそうに笑う彼女は、見たことの無い顔だ。ガシャガシャと音を立てながら、銀色の重そうな鎧を纏った女性が、私の部屋に入ってくる。考えなくても分かる、この城唯一の人間の女性、地下牢の女騎士だ。
立ち上がって客をまねこうとしていた私は、執事として鍛え上げた笑顔を硬直させる。
「世蓮」
なんで名前をご存知なんだろう。地下牢に入った人間の情報を読み取る力まであったのだろうか。
「脳を弄られるのは嫌みたいだから、我、他の体を持ってきたのだ」
どうだ、可愛いか。そう尋ねながら、女騎士はくるりと一回転する。
「もって……きた、とは?」
「脳を侵食して操っている」
可愛らしいほほ笑みを浮かべる女騎士。中身はあの霧、アースさんのようだ。
「それは……大変だったでしょう。お疲れ様です」
「? 簡単だったぞ、たかが人間だ。我は霧の魔族だからな。記憶も簡単に覗き見れるぞ。スプリリア・リング、騎士団長から勇者パーティになり、門前で花札とやらをしていたところ捕縛されたようである」
どうやら魔王様は、地下牢配属の人員を間違えていたらしい。人間も、勇者パーティの選出方法を間違えているらしい。早急に、魔王城門前でカードゲームをすべからずの法律を作るべきだ。
中身はアースさんと分かってはいても、声の節々にあの呪いの声の片鱗が見える。落ち着くために一度座り直して、私はティーカップを持ちあげた。
「世蓮、こぼれている」
ガタガタと揺れている手は一切冷静さがなく、紅茶は半分以上机にこぼれた。茶器をガチガチと鳴らしながら下ろして、トラウマの恐ろしさを思い知る。
「我と魔王様がいれば、世蓮も女性に囲まれたことになるな!」
キャッキャガシャンガシャンと鉄の音を鳴らしながら喜んでいるアースさん。こぼれた紅茶はもう見えていないらしかった。
「アースさん、霧の姿のままでも十分女性らしかったですよ」
「世蓮が我のこと女性だと思ってなかったの、忘れていないからな」
「ウフフ、私ったらお茶目さんですね」
「クックック、確かに世蓮はおちゃめさんであるな」
ガシャンメキメキという音を立てて、アースさんは膝を曲げて私の前にしゃがんだ。恐らく、鎧が曲がってはいけない方向に曲がった音だ。
「我、世蓮と目が合わせられて嬉しく思っておる」
「私も、アースさんと目が合わせられてとても嬉しく思いますよ」
「改めて、握手だ」
差し伸べた手が鋼鉄に包まれていることに気がついたアースさんは、鉄の手袋を外そうと試みた。結局、アースさんはその外し方が分からなかったらしく、逆の手でバキバキと破壊して床に置いた。
「これからもよろしく頼む」
「……ええ。もちろんです。」
鍛錬のあとが垣間見える手に握りつぶされかけながら、私は涙を堪えていた。お嬢様助けて。