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硝子少女

作者: 藤野一花

 

 心に少しでも哀れみがあるのなら、

 昔、私が上げた

 私の心を返してください。


 いいえ、

 あなたの心は返しません。

 ・・絶対返しません

 もし、私の胸の中で貴方が眠りについたとしたら、

 その時に返しましょう

 貴方の心の平安のために。


 マリアには眼がありません

 マリアには足がありません

 マリアには手がありません

 マリアには心がありません


 全てを無くしてしまったのです。失ってしまったのです。その代わりに、マリアの目や心は硝子で出来ていました。

「神様がお慈悲を下さったのよ」

とマリアにお母さんは言いました。でも、本当にそうなのでしょうか。マリアは何時も思います。神様がお慈悲を下さったと言うのなら、なぜ、普通の体を与えて下さらなかったの!

 誰か別の人が私から奪ったの?

 なぜ?

 そんなことを考えると、マリアの硝子で出来た心はチクリといたむのでした。硝子で出来ているから何も感じない、と思う人がいるかも知れません。けれどそんなことはありません。もしかしたら、普通のひとたちよりもマリアの心は感じやすく、そして傷つきやすいのかもしれません。

 このような理由があるものですから、マリアの母親はマリアを一歩も家から出すことを許しませんでした。全てはマリアを思えばこそでした。

 目が汚れると言っては窓に鍵をかけ、走り回って足が割れてしまわないように、部屋に鍵をかけて閉じ込めて、そのように色々な理由をつけてはマリアを閉じ込める鍵は一つ、またひとつと増えていったのです。しかし、母親の思いも虚しく、マリアは心にだけ少しずつ傷を作ってゆきました。狭い空間の生活はマリアの精神を圧迫するだけだったのです。

 マリアには五人の従者がつきそっていました。

 マリアの目に成るのが、デルヴァー。

 マリアの足に成るのがルシアン。

 マリアの手に成るのがフェラン。

 マリアの心に成るのがウォルター。

 そして、この余人を統率するのが、カルロ。

 五人はマリアに絶対的に服従していました。そして、わが子のようにマリアを愛し、慈しんでいたのでした。時にはマリアの母親以上に。

 ですから、マリアが”出来るだけ自分の事は自分でやりたいの。他人に生かされている人生なんて死んでいるようなものよ”と五人に打ち明けた時も反対しませんでした。むしろ喜ばしい大事件だったのです。「わが子は立派に成長している」と確信したに違いありません。


 その日も、マリアは窓際の椅子に座って本を読んでいました。小さいころから普通の子供のように走り回ることができなかったマリアは本を読むことしか出来なかったのです。そして覚えたての詩を口遊んでいました。その詩というのはこんな感じでした。


 わたしは昨日夢を見た

 ほんとに苦しい夢だった

 わたしの庭に生えたのだ

 迷迭香の木が一本


 庭はやがて協会に

 花壇は墓となった

 そして緑のその木から

 花や花弁が散り落ちた


 わたしはその花を

 硝子の箱にあつめたけれど

 箱は手から滑り落ち

 地面に落ちて砕け散った


 そこからは玉のしずくが

 紅薔薇色のしずくがながれだした

 このおつげはなに・・


 愛しいひとよ、もしや君が死んだとでも



 マリアがこの詩の「箱は手から滑り落ち・・」という所まで口にした途端、床が身震いしました。マリアは突然の出来事に驚き、フェランに助けを求めました。が、その床が身震いした理由は、窓の外を見れば直ぐにわかりました。黒い馬車が物凄い音を立てて走って来たのです。その音は何とも言い難い恐ろしい音でした。

「一体、何故あんな音を立てているのでしょう」

 フェランはマリアの側で不安そうに呟きました。

「本当ね。でも、黒い馬車ってわたし好きよ。死に神でも降りてきそうじゃない? ワクワクするわ」

「そんな……、本当に死に神だったらどうするんです? 殺されてしまいますよ」

 フェランはマリアより三歳ほど年上なのですが、ちっとも年上らしくなく、気が弱いところがありました。けれど、歳が近いこともあって五人の従者の中で一番仲が良かったのは間違いなくフェランでした。

「あら、死に神は生き物に公平に死を与えるのよ。悪魔のように唆して人間の魂を奪い取ったりしないわ。どんな立派なひとにもいつかは死に神の鎌がふりおろされるのよ。それに、わたしたちは死に神に狙われるほど生きてないじゃない」

 マリアは平然とそう言い、再び窓の方に目を向けました。しかし、フェランはというと、すっかり恐ろしくなって「用事を思い出しました」と言って逃げ出してしまいました。しばらくすると、フェランと入れ代わりに本を大量に乗せた台車を押しながらカルロがやってきました。

「フェランは一体どうしたんですか。慌てて走っていきましたが」

 マリアは笑いながら言いました。

「人間はいつかは死に神に見つかってしまう運命なのよ、って言っただけなのに」

「フェランは怖がりだからね」

 カルロは台車から本を手に取り、マリアの部屋の本棚に並べていました。暫くすると、黒い馬車はマリアの屋敷の前に止まりました。すると、どうでしょう。マリアの言ったとおり、中からは死に神の様に真っ黒なコートに身を包んだ人が降りてきたのです。マリアはカルロの方に向き返り、微笑みました。そして、言いました。

「私、言ったわよね。出来ることは自分でやりたいって」

 カルロはマリアの言った言葉の意味を即座に理解しました。しかし、少しからかうような口調で言ったのです。

「その言い方は少し遠回しすぎではありませんか? それで、何をしたいんですか、お嬢様は」

 マリアは一呼吸置いてから言いました。

「死に神に会いたいの。でなきゃ、魔女でもいいわ。とにかく、窓の外の黒い馬車の所有者と話したいわ。私の体の硝子が振動しているのよ。絶対何か知っているわ。私の身体が何故硝子で出きているか、とか」

 その様な、マリアの願いは何時間後かに叶えられました。黒い馬車の男は自分の館へマリアを招待したのです。マリアの母親も五人の従者を同行させるという条件で許したのでした。


 男の館は何もかも素晴らしく夢のようでした。

 今までに食べたことの様な料理の後で男はマリアの知りたかったことを話し始めました。

「君が自分の身体は何故硝子で出来ているか知りたいと聞いたのだが」

「ええ、そうよ。お母さまは神様のお慈悲だって言ったわ。でも、、お慈悲でどうして硝子なんかにされなきゃいけないの! あなたご存じ?」

「確かに正しい言い分だ」

 男は静かにこたえました。

「そして、私はその理由を知っている。其れを言うべきか今まで黙っていた。そして、君に答えを求められているいまも其れが正しいことか迷っている」

「私はもう十二歳よ? もう自分が何者か知ってもいいでしょう?」

「もう、十二年も経って閉まったのか」

 男は溜め息をついてつぶやきました。

「君にとっては辛い話しに成るだろう」

「構わないわ」

 男は少し悲しげな顔でぽつりぽつりと話しだしました。


 三十年前のことだ。

 君の母親は君と同じくらいの年頃の少女だった。しかし、彼女は不治の病にかかっていた。私は彼女をあわれに思い、彼女にこう言った。

「将来生まれてくる子供の心をくれたら助けてやろう」

 私には無から何かを生み出す程の力はない。其れは公正な取引だった。

 彼女は私を魔術師と知って直ぐに承知した。やがて、彼女は病で苦しむ事は無くなっていた。けれど、彼女はまだ見ぬ子供に責任を押しつけることで自分が幸せになれると知ってしまった。それからだ。彼女は子供を犠牲にしては幸せを掴んでいった。。私はその時、神が彼女に与えた病は正しかったのだと、人間ごときが逆らうべきでなかったと思い知らされた。しかし、後戻りは出来ない。せめもの償いに私はその赤子に硝子の身体を与えることにした。


 男は語るのを止めた。

「それが…私?」

 マリアの眼からは硝子の涙がパラパラとこぼれ落ち、手や足の震えは止まりませんでした。そして、硝子の心は悲しみで溢れていたのです。そして次の瞬間・・、マリアの心は悲しみに耐えられなくなりパリンと音を立て、崩れていったのです。そして心が無くなった今、他の硝子も存在出来なくなり崩れていきました。従者たちが目の前のことに呆然としている中、男だけは「やはり」と呟いたのです。カルロだけが我に返ると、男に掴みかかりました。

「やはりだって! あなたは知っていたのか、こうなることを!」

 カルロは泣いていました。誰がわが子の死を前に泣かずにいられるでしょう。

「あなたが魔術師なら元に戻せるでしょう?」

 我に返った者を含め五人は涙ながらに訴えました。

 男はゆっくりと顔を上げ、言いました。

「あなた方はこれ以上マリアに悲しみを与えるつもりなのですか。そして私にこれ以上罪を増やせというのですか」

 その声は微かに震えていました。

 その時従者たちは知ったのです。男がいかに悲しんでるかを。男は涙を押し殺し、身体を震わせていたのです。眼はマリアをじっと見つめ、直ぐにでも抱きしめたいのを堪えている様だったのです。




 その後、全ての者がどうなったのか知る者は居ません。探そうにも森の中にあった筈の魔術師の館は消え去り、五人の従者は忽然と姿を消してしまったのです。



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