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Tails of Dragon's

ミス・ドラゴン

作者: 仁司方


「まあ、かけたまえ」


 サスロー伯爵のすすめるままに、ヴィゼイはソファに腰を下ろした。メイドが紅茶の入ったカップをテーブルに置いて、銀盆を胸に抱えて一礼し、退出していく。

 扉が閉まるのを待って、伯爵はさっそく切り出した。


「きみの噂はよく耳に入ってくる。腕がたしかで信用できる冒険者だと」

「伯爵はなかなかの情報網をお持ちのようですね」


 ぬけぬけとした物いいをしたヴィゼイに対し、伯爵は髭をひねった。


「ふむ、きみに関して完璧な情報を私は持っていないというわけか」

「些細なことです。腕がたしかで支払いの分の仕事は必ずこなす、信用のおける冒険者といえば、不肖、このヴィゼイ=ローツのことで間違いありません」


 器用に左眉だけを動かしてから、伯爵は懐から取り出した絹の包みを卓上に置いた。まだそれには手を触れず、ヴィゼイは紅茶をひと口飲む。


「きみも白雲山の竜の噂は知っているね」


 伯爵の口調は質問ではなく確認のためのものであったので、ヴィゼイはうなずいてみせた。


「評判の美女を次々と召し出しては、ひと晩で無事に送り返してくる、なにを考えているのかよくわからないドラゴンのことですね」


 ドラゴンと美女といえば、とりあえずドラゴンが美女を監禁しているか、ドラゴンが生贄として美女を要求して食べてしまうか、だいたいそんなもので、そうパターンは多くない。しかし白雲山のドラゴンは、名指しで美女を喚び出し、ひと晩で送り返してきては次の美女を指名する、そんなことをもうふた月も続けていた。


 竜のねぐらに()び出された女性たちによれば、立っていろとか、歩けとか、得意なことがあるなら実演しろといわれ、従っていると食事を出され、夜が明けると帰ってよいと告げられるのだという。ドラゴンは声はすれども姿は見せない。


「どんなことを企んでいるのやら、皆目見当もつかぬ。きみに、探り出してもらいたい」


 ヴィゼイが事件の基本的な知識を持っていることをたしかめて、伯爵はそういった。ヴィゼイのほうは首をかしげる。


「たしかに、あからさまな悪事とは断じられないことですから、勇ましく竜退治、というような仕事ではないと思っていましたが。なぜ伯爵ともあろうおかたがドラゴンの考えていることを気になさるので?」

「きみは、戻ってきた女たちがどのような扱いを受けているのか知らんのかね。ドラゴンと結託している悪魔と入れ違いにされているのだという者もいれば、おぞましくもドラゴンの仔を孕まされているのだという者もいる。地下牢や塔に閉じ込められている貴婦人もいるのだよ」


 伯爵は義憤にかられているかのように、やや声を荒げたが、ヴィゼイは冷ややかに聞き流していた。伯爵に貴婦人の名誉を守りたいなどという、ナイト気質はないはずだ。

 少し考えて、白雲山の竜と伯爵の関わりをひとつ思い出すことができた。


「そういえば、先日ドラゴンに喚び出されたエリーカ嬢は、伯爵の姪御さまにあたりますな」

「たしかに姪のことも気がかりではある。だが、不逞なドラゴンにこれ以上わけのわからない要求をさせるわけにはいかんだろう。私の郷士としての誇りに偽りはない」

「ご立派です、伯爵閣下」


 わざとらしく拍手してから、ヴィゼイは空々しい口調でこういった。


「そういえば、ノルト侯爵は内々に進めていた某家とのご縁談の話を一度白紙に戻し、ラインリーク伯爵家のミシェルさまにお目を止めたとか」


 今度は、伯爵の声にはっきりとした苛立ちが浮かんでいた。


「支払いの分の仕事は必ずこなすというきみの謳い文句に、間違いはないのだろうな?」


    +++++


 最初に示された分より五割ほど多い前払金を懐に、ヴィゼイは伯爵邸をあとにした。

 サスロー伯はノルト侯家と縁を結ぶことを強く望んでいる、というよりは、ラインリーク伯が自分より格上になることを認めようとしていない。エリーカについてしまった瑕疵を一日でも早く払拭し、縁談を復活させたいのだろう。


「カネの分は働かないとな。しかし、白雲山のドラゴンねえ」


 懐から上着のポケットに金貨をいくらか移しながら、ヴィゼイは酒場へと入っていった。


 まだ陽がかたむいてから間もないのだが、すでに酒場の中は活況を呈していた。目当ての相手が片隅の席で呑んでいることを確認して、ヴィゼイはマスターにエールを二杯頼む。

 なみなみとつがれたジョッキがテーブルに置かれた音で、相手は顔を上げた。


「ローツくんか。あんたがタダでおごってくれるとは思えないけど」

「仕事を持ってきた。お前さんから情報を買うだけで済ますか、ご同道願うことにするかは、まだ決めてない」


 そういって、ヴィゼイは対面に座する。ルイファ=セドは空になっていた自分のボトルをテーブルの隅に追いやった。

 辻占兼情報屋兼臨時雇われ諜報員の女は、ジョッキを半ばまで干してから大きく息をついて、ヴィゼイのほうへ酒精の影をうかがわせぬ怜悧な視線を向けた。


「なにが知りたいんだい?」

「白雲山に招かれた美女たちの共通項。たしか、今夜もひとりお()ばれしているだろう。だいたいドラゴンは三日おきくらいに招待日を設けてる。できれば、次に指名されるご婦人についていきたい」

「まさか、あの竜を退治しろなんて仕事を引き請けたわけじゃないだろうね?」

「いやいや。お喚ばれした女性はキズ物になんかされてない、っていう証拠をつかみたいだけだ。嫁入り前の娘についた悪い噂を払いたいんだとさ」


 さしものヴィゼイも、竜殺しをそうそう請け負ったりはしない。少なくとも、伯爵風情が出すことのできる報酬では不足だ。王直々の勅令に、終身で有効な各種特許状、それと領地のひとつももらわねば割に合う仕事ではない。


 白雲山は以前は緑霧山と呼ばれていた。その名のとおり、毒々しい色をした霧に終日覆われた不気味な土地だったのだ。棲み着いていた竜は邪悪で、生贄と財宝を要求して飽くことがなかった。周囲の三ヵ国が合同で討伐軍を発起すること三たび、すべて撃退され、四千もの屍を重ねた。

 三十年ほど前のある日、霧は突如として晴れ、邪竜の要求は絶えた。山の主が入れ替わったのだ。殺して取って代わったのか、威嚇して追い払ったのか、いずれにせよ、現在山に棲んでいる竜が先代より強力である可能性はきわめて高い。


 それでもドラゴンを倒す方法がないとヴィゼイが思っているわけではないが、動向を探るだけでよいといわれているのだから、それ以上のことをするつもりも、義理もないというものだ。


 ルイファはしばらく考えていたようだが、ひとつ眉根を寄せてからジョッキをあおった。


「公爵令嬢から靴屋の娘まで、評判の美貌以外にこれといった共通点が思い当たらない。占い休んでじっくり分析すればわかるかも」


 仕事の前に呑んでいるのだ。ヴィゼイはポケットから金貨を五枚取り出し、


「じゃあ、たのむ」


 といって、休業補償としてルイファに握らせ、席を立った。


「明日の朝、うちにきて。なにか見つけておく」

「期待しとく」


    +++++


 鴉が目醒め、夜通し鼠を追っていた野良猫がねぐらへ戻ろうとするころ、ヴィゼイは女占い師の住まいである古いはしけに載せられている小屋を訪ねた。間口税から逃れることのできる水上の家は存外需要が多い。


 やや眠そうに出迎えたルイファは、ていねいに髭をあたり、髪も整えた瀟酒な姿のヴィゼイを見て不興げな顔になった。


「なんだ、他人にひと晩中調べごとさせておいて、自分はゆっくり眠ってたのかい」

「俺にお前さん以上の仕事はできないよ。プロに任せたから安心して寝てたんだ」

「調子ばっかりいいんだから。まあ、入ってよ、ここじゃ寒くてしょうがない」


 本当に寒いらしく、ルイファは小刻みに足踏みをしながらそういった。川面から立ち上る朝靄が足元を滑るように戸口から屋内へと流入していく。このまま開けっ放しにしていたら室内の暖気がすっかり逃げてしまうだろう。


「俺は本来、ひとり暮らしの女性のお宅に上がり込むほど無粋じゃないんだがね」

「いいから閉めて、寒い」


 ヴィゼイの冗談につき合う気はないようで、ルイファはつま先立ちになってさっさと奥の部屋へと戻っていく。


「そこまでいわれては致し方ありませんな」


 大仰な物いいをしてから、ヴィゼイは後ろ手に戸を閉めて狭い廊下を進んだ。情報で商売しているルイファの住まいは入口付近にも左右に雑多な書類が積み上げられていたが、居間も半ば以上が本や紙の束で埋まっている。

 窓際の一角だけがきれいに片づいていたが、それもそのはずで、湯気を吹くケトルが上に載せられたストーブがあった。どれだけずぼらでも、紙類を火の近くに置いておくわけにはいかない。


 ストーブの脇の椅子に腰掛け、窓枠の上に並べてあるカップに手を伸ばしながら、ルイファが尋ねる。


「ローツくんもコーヒー飲むかい?」

「ありがたいな、コーヒーは好物でね。しかし、自宅で飲むとはなかなか豪勢だな」


 コーヒーといえば南国のもの、海をふたつ隔てたこの地では上物のワインよりも高い。ミルのハンドルをまわしながら、ルイファは応じる。


「仕事上、眠気醒ましは必要だから。以前に香海の向こうの王さまに仕事を頼まれたとき、報酬として、年に一度、麻袋ひとつ分送ってもらうことにしたんだ」

「そりゃいい取引だったな。全部ひとりで飲んじまうのか?」

「余らないよ。下手すれば次がくる前になくなっちゃって、外に飲みに行かなきゃいけなくなる年もある」


 ルイファは麻の巾着袋に挽いた豆を入れると、ブリキのカップといっしょにヴィゼイへ投げて寄越した。


「濃さはお好みで」


 といって、自分の分のカップにケトルを傾けた。ヴィゼイもケトルを受け取って、カップの半ばまで湯を注いだ。立ち上る香ばしさが鼻をつく。


 ヴィゼイが適当に書籍の山を均して腰を下ろすと、ルイファは本題に入った。


「いちおう、みっつばかりわかったよ」

「みっつ? 俺が頼んだのは、ドラゴンが()び出してる美女たちの共通項なんだが」

「そう、『美女たち』といわれたから悩んだんだ。実際は、ひとつの大きな集合の中の要素だったんだよ」

「もうちょっとストレートに頼む」


 コーヒーをひと口飲んでみて、まだ抽出が足りないとみたので巾着袋は引き上げないまま、ヴィゼイは促した。ルイファはうなずいて続ける。


「ドラゴンはもう自分からはだれも招かない可能性が高い」

「どうして?」

「該当者のうち、所在のつかめてる相手は全部喚び出してしまったからさ」

「とりあえず、美女たちの確たる共通項を教えてくれ」

「王宮で開かれた年初の園遊会の参加者――のうちで、美貌が際立っていた独身女性」


 といって、ルイファは手書きの名簿を差し出してきた。ヴィゼイはひとつうなって、それでも名簿に目を落とす。


「身分が低くても美しければ招待される。反面、招待しないわけにはいかない身分でも、美しいとは限らない」


 ルイファの言のとおり、年初の園遊会に参加した独身女性のうち、ドラゴンに喚び出されていないのは、某国大使の長女はじめ、身分はともかく見てくれに難のあることが知られている十数名だけのようだ。

 名簿だけでは顔も思い浮かばない下層の娘たちが残らず喚ばれているのは、そういう意味では当たり前だった。美しくなければそもそも王宮に招かれることもない。


 ヴィゼイは苦々しい思いでカップを口に運んだが、コーヒーもとびきり苦くなっていた。


「砂糖くれないか」

「情けないね、坊や」


 ルイファの渡してくれた陶器の壺から大量の砂糖をカップに投入し、スプーンでかき混ぜながらヴィゼイは名簿を最後まで流し読んだ。


 ひとつ引っかかって、苦みと甘さが潰し合った結果酸味が出すぎた液体を飲み下す。


「――数が合わない」

「さすがだね。最低限のラインは押さえてるんじゃないか」

「まだ隠し球があるようだな」


 期待の視線を向けるヴィゼイに対し、余裕の表情でカップを口に運び、ルイファは充分に間を取った。


「名簿に載ってない女性がふたり、園遊会に参加してた。そのうちの片方は所在をつかんでる」


 ルイファの予想以上の仕事の早さに、ヴィゼイは身を乗り出して尋ねた。


「どこだ?」

「ローツくんの目の前」

「……は?」

「は、じゃないよ。身分を伏せて園遊会に紛れ込んでたんだ」

「まあ、園遊会にこっそり参加してた、までは信じられるが……」


 たしかに、王宮に忍び込む程度のこと、敏腕諜報員であるルイファにとってはそう難しい仕事でもないだろう。


 よくいえばどこにでも溶け込める平凡な見映え、悪くいえば人目を惹けるだけの容色ではない女スパイは、気分を害した様子はなく話を続けた。


「どうする、あたしといっしょにドラゴンの山に出かけるか、あきらめて別をあたるか」

「そうだな……駄目元でも、なにもしないよりはいいか。ほかに残ってるのは、豚にドレスを着せておくほうがマシだってくらいのばっかりだし。もうひとりの身元不明がどの程度なのかはわからんが」


 失礼きわまりない科白を吐いて、ヴィゼイは本の山から立ち上がった。豚よりはマシ呼ばわりされたルイファだが、なお怒ることなく選択肢を提示する。


「最後のひとりは、たしかに絶世の美女といってもいいくらいだったけどね。いまから探してみるかい?」

「いや、時間はない。明日の午すぎ、街の西はずれで待ってる」

「賢明な判断だね」


 そういうルイファは、意味深な笑みを浮かべていた。


    +++++


 ふたつの半月が地上を薄明るく照らす中、ひとりの貴婦人が護衛の従士にともなわれて白雲山の洞穴へと向かっていた。


 むろん、ルイファとヴィゼイである。いかに白雲山の竜が以前の暴君とは違いおとなしいといっても、雇った二頭立て馬車の御者は山に接近しすぎることを拒み、荒れた山道を二哩ばかり徒歩で進まねばならなかった。

 歩きにくい岩場でルイファに手を貸しながら、ヴィゼイは内心で女の変わりように驚歎していた。待ち合わせの場所に彼女がやってきたときでさえ、目の前に立たれるまでは通りすがりの別人だと思っていたのだ。

 地味で特徴のなかった顔は、視線を捕らえて離さない魅惑的な容貌に粧われていた。


(まったく、化粧とはよくいったもんだ。ここまで化けるとはね)

「……なにかいったかい?」

「いや、なにも。そこの大岩をまわり込めば洞穴の入口だ。小川に足を突っ込まないようにな。ま、毒竜が棲んでたころはこの川は酸が流れてたらしいが、いまは濡れるだけで済む」


 毒酸の流出がおさまって三十年経つが、川辺の岩は苔ひとつ着いておらず、小川の水は澄んでいるが魚はいない。かつて邪竜に殺戮された討伐軍の兵の亡骸も、ところどころに骨の欠片をさらしているのみだ。死の影はいまなお色濃い。


 竜の棲処である洞穴は、その巨体が出入りできるだけの大きな口を山腹にあけている。

 が、ふたりの目は洞穴の入口の脇へ向けられていた。バケツを持って、小川の岸にかがみ込んでいる少女がいた。腰まで伸びた銀髪で、華奢な身体つき。明らかに、この場にはそぐっていない。しかし、どう見ても洞穴から水を汲みに出てきたところ、といった風だ。


 少女のほうも、すぐにふたりに気づいた。立ち上がると屈託ない笑みを浮かべ、ぺこりと一礼してから、口を開く。


「どちらさまでしょうか?」

「ここの山の主が、年初の園遊会に参加したご婦人に興味をお持ちだと聞いたんだが」


 ヴィゼイは有り体に聞こえるよう、虚偽のない内容で話を切り出した。少女は首をかしげる。


「今夜はどなたもお招きしていないはずですが?」

「もう二名ばかり、お捜しじゃないかと思ってな。身元知れずの美女を見つけだすためにドラゴンが街まで飛んでくるんじゃないかと、心配してる人もいたりするわけで、それならこっちから出頭しようと、こちらのご婦人がわざわざ名乗り出てくださったんだ」


 今度は嘘八百を並べ立てたヴィゼイに対し、少女はルイファのほうをちらと見て、バケツを川に突っ込んで水を汲み、抱え上げた。


「噂が広まるのは早いものですわね。こちらへどうぞ、歓迎いたしますわ」


 そういって、洞穴の奥へと入っていく。中は真っ暗なようだったが、少女が足を踏み入れると、青白い光がともった。どうやら、少女の歩みに合わせて壁が光るらしい。顔を一度見合わせてから、ふたりも続いた。


 槍を掲げた騎馬隊が二列縦隊で行進し、転回できそうなほど広い通路がたっぷり三百歩ほど続いたところで、ひらけた場所に差しかかった。少女が踏み込むや、内部が一気に明るくなる。

 教会の聖堂が丸ごとおさまるほど広く、王宮のメインホールと遜色のない調度に埋めつくされた、息をのむほど荘厳な空間だった。調度の設えは人間サイズだが、王宮なら階と玉座のあるだろう部分に、金弊に白銀、宝石の散らされた巨大な円壇があった。まぎれもなく、竜座だ。


「やっと水を汲んできたのね……あら、こちらは?」


 かけられた声に振り向くと、黒髪の美女が腕を組んで立っていた。銀髪の少女が、答える。


「例の、最後のおひとり。わざわざ向こうからお出で下さったそうよ」

「あら、望外の幸運ね。お茶を淹れてきてちょうだい」

「はぁい」


 少女はバケツを抱えたまま広間の壁際のほうへ歩いていく。どうやらくぼみの陰に扉があるらしく、すっと見えなくなった。


「どうぞ、かけて」


 黒髪の美女は、優雅な所作でルイファとヴィゼイに席を勧めた。一切灯りのない暗闇の中にいたところからして、普通の人間ではなさそうだ。


「ここの主はどこにいるんだ?」


 無遠慮に尋ねたヴィゼイに対し、


「ご心配なく、ちゃんと見ているわ」


 婉然と微笑んで美女は応じ、ルイファのほうを見る。


「あなた、たしか園遊会の時にひらかれた競演会で二位だったわよね」

「……ええ。それが、なにか?」

「一位だったお嬢さんの、どこがよかったのか、わたくしにはさっぱりわからなくて。あなたのほうがまだよさそうね」


 ルイファと、妖艶な美女を交互に見てから、ヴィゼイはどちらにともなく質問した。


「そういえば、さっき『最後のひとり』っていってたな。ドラゴンは、園遊会に参加した美女を全員ここに()んだってことか?」

「まあ、そういうことね」


 答えたのは黒髪の美女だ。ルイファは怪訝げな表情をする。


「あたしの所在は知らなかったのに、もうひとりのことは知ってたの?」

「そう不思議がるほどのことじゃないわ」

「園遊会に現れた謎の美女は、あんた?」


 そういったのはヴィゼイだが、すぐにルイファが首を振った。


「きていたのは銀髪の美女よ。でもさっきの女の子は若すぎる」


 話題にしたところで、当の銀髪の少女が銀盆を持ってやってきた。


「どうぞ、粗茶ですが」


 そういいながら、ルイファとヴィゼイの前に緑色をした液体の入った取っ手のない陶器のカップを置いて、彼女自身の分を手に黒髪の美女の隣に座る。

 このふたりは、浮世離れした雰囲気こそ共通しているものの、どう見ても血縁者ではない。


「……なんだこれは」


 変な形のカップを手にしたはいいが、怪しげな緑色の汁を口にする勇気はなく、ヴィゼイはうかがうような視線を銀髪の少女に向けた。少女はカップを両手で持ったまま、


「さっきもいったとおり、お茶ですよ、緑茶。ちなみに、あの川の水はもうすっかりきれいですから、ご安心ください」


 と答えて、おいしそうに飲む。驚いた顔をしたのはルイファだ。


「緑茶だって? どうやってここまで発酵させずに運んできたの?」

「あら、お詳しいのね」

「知ってるだけで、実物を見るのははじめて。真物かどうかの確証はないし、三ヶ月で東海からこっちの海までこられる快速船で運んだって、全部紅茶になっちゃうのに。空でも飛ばなきゃ間に合わないよ」


 ルイファと黒髪の美女の会話を聞きながら、ヴィゼイは緑茶とやらをすすってみた。口の中に広がるのは、紅茶の渋みとは異なる苦みだ。なんとなく青臭い感じもする。なるほど、発酵していない新鮮な葉の抽出液だというのは本当なのかもしれない。


「そろそろ、いいか?」


 唐突にカップをテーブルに置いたヴィゼイに、女性三名の視線が集まった。銀髪の少女が、小首をかしげながら尋ねる。


「なんでしょう?」

「ここに喚び出されたご婦人が無事に送り返されてるって確たる保証さえあれば、俺はそれ以上詮索するつもりはない」

「……はあ。そんなことを心配していらっしゃるのですか」

「いるんだよ、手前が腹黒いもんだから、他人も常になにか企んでるだろうって勘ぐる奴が」


 そういって、ヴィゼイは地下牢や塔の小部屋に隔離されている幾人かの淑女の名を上げてから、


「だいたい、あんたは食うつもりも嫁にするつもりもないのに、どうして美人を喚び出したりした?」


 と、はっきり銀髪の少女を見据えて詰問した。ヴィゼイへ向け、ルイファは胡乱げな目線を投げかける。


「ローツくん?」

「このふたりはドラゴンのしもべで、親玉はどこからか様子をうかがってる、そう思うか?」

「ドラゴンだとしたら、そっちの黒髪の姉さんのほうじゃ。この子、水汲みとかお茶淹れしてるじゃない」

「そっちの姉さんもドラゴンさ」

「二体のドラゴンはひとつの棲処を共有できない」


 ルイファは首を左右に振った。竜ほどプライバシーを大事にする存在はない。下僕を手近に置いてくことはあるが、同族の下風に立つことは決してない。竜の縄張り問題は時として国をひとつひっくり返す。


「ここにドラゴンは一体しかいないさ。そう、ドラゴンの身体は」


 そっけないまでの口調でヴィゼイは続け、脈絡の見えない話にルイファは目をしばたたかせた。


「おもしろいわね。どこまで説明できるかしら?」


 口を開いたのは、黒髪のほうだ。ヴィゼイは緑茶の残りを飲み干してから、そちらを向いて組み立てた仮説を披露しはじめる。


「見た目のとおり、年嵩なのはあんたのほうだろうが、主導権は若いほうが握ってるだろう。それでもそっちの銀色のほうが雑用をしてたのは、あんたは雑用がしたくてもできないから。あんたには肉体がないからだ」

「なかなか冴えるわね」

「あんた、ここが緑霧山と呼ばれていたころの住人だろう。財宝をたっぷりと集めたが、肉体の衰えは隠せない。生贄を食い続けても限度がある。――そこに、若いドラゴンがやってきた」


 そこまでいって、銀髪のほうに目をうつす。


「あんたにとって、ここは魅力的な棲処(すみか)に見えたはずだ。だが、古い家主は老いているとはいえまだまだ手強い。放っておけばいずれ死ぬからあえてリスクを冒すほどじゃないが、それでも百年や二百年は待たされる」


 ヴィゼイは立ち上がり、大広間を竜座のほうへ歩きはじめた。


「たぶん取引を持ちかけたのは年嵩のほうだろう。若いのからすれば、ゆっくり待っていればありつける財宝をすぐ手に入れる代わりとして、うるさい居候を精神内に抱えるのはおもしろくないように思えるが、経験豊富な助言者を得ると考えれば天秤は釣り合う。肉体の制御を乗っ取られない自信はあったから、取引に応じることにした」


 竜座の前にたどりつき、ヴィゼイは後ろを振り返った。ルイファは椅子に座ったままだったが、ドラゴンはついてきていた。銀髪の、妖艶な美女。


「九十点といったところですね。なかなかの推理力です。われわれのことにも詳しい」

「女性たちを喚び出したのはなぜだ?」

「ずいぶん気にしますね」

「いまから千年以上先のことを心配しているとはさすがに思えない。あんたが老いさばらえて生贄を必要とする頃には、現在美人の家系なんてどう変容してるかわかったもんじゃないからな。理由がわからない」

「わたしが一位になれなかったのはどうしてか、それを知りたかっただけです」

「一位って……競演会の?」

「もちろん。けっこう自信があったのですけれど、三位でした。一位のお嬢さんとの差は、ちょっとした作法のことだとわかりましたが」


 といってから、ドラゴンは椅子に座ったままのルイファのほうを見遣り、続けた。


「彼女との違いはまだわかりません。見かけの問題でなら、私が圧倒的に一番で、彼女が次で、一位だったお嬢さんはもう少し落ちるのですが。正体不明というプロフィールは、そんなに悪くないと思うのですけれど。名門の家柄との差は、見かけで充分埋められていたはずですし」

「審判は人間だっただろ」


 長々と各種要素を分析していたドラゴンだったが、ヴィゼイはひと口で片づけた。よほどおかしかったのか、はたまた納得いったのか、美しいドラゴンは手を拍った。


「ああ! そんな簡単なことだったのですか。では、来年はもう少し人間じみた振舞を考えておくことにしましょう」

「来年の園遊会にはこっちにも招待状を出すよう、王に伝えておくよ」


 そういって、ヴィゼイは大広間の出口へ向かい、ルイファに声をかけたのだが反応が鈍かったので手を貸して立たせ、ドラゴンの巣穴から地上へ戻った。


    +++++


 洞穴から出たところで、ヴィゼイはルイファに尋ねた。


「……まさか、怖かったのか?」

「そういうわけじゃ……ところで、これで仕事が済んだことになるのかい? 喚び出されたご婦人の潔癖を証明するような物はなにもないけど」

「ぶっちゃけて話すさ。ドラゴンが雌だとなれば、疑惑の半分は晴れたようなもんだ。悪魔を疑うなら、俺とお前さんも疑うしかなくなるだけだ。そういう奴には自分の足で確認にきてもらおう」


 ヴィゼイの答えは投げやりなようにも聞こえたが、サスロー伯爵は証人の数に注文はつけていないので、当初の依頼内容は充分果たせていることになる。


「まあ、それしかないか」

「いずれあのドラゴン……」

「どうしたんだい?」

「いや、なんでも」


 白みはじめた空を見上げて、ヴィゼイは定まった当面の目標を胸に刻み込んだ。


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