①
「こねて。こねて。耳たぶぐらいの固さになったら、こう、棒状にまるめる」
「こう?」
「そうそう」
白玉粉と餅粉をまぜたものに、お水を少しずつ加えながらこねていく。生地を棒状にしたら、ちぎりながらまるめていく。
「すごく簡単」
ていうか、小学校の調理実習でつくったことがある。白玉団子。レシピはぜんぜんかわらない。ちがうのは、使っているお水と、蜜。
「お湯が湧いたら、ゆでる。浮き上がってきたら火が通った証拠。引き上げるよ」
「うん」
大きなお鍋にぐらぐらと湧いたお湯のなか、まっしろいお団子が躍ってる。
引き上げたお団子は、つめたい湧水で冷やす。
「こんなにシンプルなものをお客さんに出していいのかねって感じだよね」
Tシャツとデニムに割烹着を着た凪子さんがつぶやいた。
「でも、おばあちゃんも同じやり方だったんでしょ?」
「まあね。分量も、母さんの帳面に残されてた通りだよ。でもさ、ほんとにふしぎなんだけど、違うんだよね。味っていうか、舌触りっていうか。もちもち感とか」
あらかじめつくって冷やしておいた蜜をかけて、池に面したお座敷へと運ぶ。
ちりん、と風鈴が鳴った。
きょうは「しらたま屋」の日じゃないし、絵を観に来たお客さんもいないから、お屋敷にはあたしと凪子さんのふたりだけ。凪子さんにしらたまの作り方を教えてほしいと頼んでみたら、こころよく聞き入れてくれたんだ。
入道雲がもこもこ湧いて、空のてっぺんにぶつかりそうになっている。
湿気をはらんだ風が吹く。澄んだ池の水のきらめきが、縁側のひさしに反射して、光がちらちら踊っている。
ちりん。風鈴。また、風。
「あれね、らむね屋で買った」
「うん。素敵だなって思ってた」
そういえば、あのとんぼ玉のブレスレットは、まだ売れずに残ってるかな。なんてことを考えていると、凪子さんが言った。
「更紗は、最近、出てくる?」
「うん。時々」
雑巾がけを邪魔されたり。今朝の夜明け前にもあらわれた。眠りが浅くて寝返りばかりうっていて、ぼんやりする頭で、窓の外の空が白みはじめるのを見ていたら、
「きよら」
ころころと可愛らしい声であたしを呼んで、タオルケットのなかにもぐりこんできた。
もう、びっくりしちゃった。更紗はやわっこい足をあたしの足にからめてきた。座敷わらしみたいな存在なわけだし、てっきり冷たいものだと思い込んでいたから。思いのほかあたたかな、血が通ってるみたいな体温に驚いて、「あついよ、はなれて」なんて言ってしまったんだ。
ふふふ、と、更紗は笑った。
楓くんの友だちの男の子たちのこと、女の子たちのこと。考えていると眠れなかったんだ。
二学期から通う学校に、あの子たちもいるんだ。そう思うと、かちこちにからだがこわばった。それに。
夕菜ちゃんって、だれだろう。
ちいさい手があたしの頭をなでなでした。どこか遠くで、鶏が鳴く声が聞こえた。
「懐かしいな。どうして、あたしの前には出てきてくれなくなったんだろうな」
凪子さんはつぶやくと、きんいろの蜜をすくって口にはこんだ。小さな匙が、きらりと光る。
「それにしても、今日は蒸し暑いな。夕方あたり、ひと雨くるかもな」
水面にうつる雲の影を見ながら、凪子さんがため息をついた。
とんぼ玉のブレスレットが気になったあたしは、散歩がてら、らむね屋に行ってみることにした。
空はまぶしいぐらいに青い。色とりどりのにしき鯉たちは、清流のなかをすずしげに泳いでいる。気持ちよさそう。
あたしたちのお屋敷の、すぐ近くの家の前に、陶器のまるい大きな鉢が置かれているのに気づいて、足を止めた。
寄って見てみると、それは睡蓮鉢だった。鉢のなかの澄んだ水に睡蓮が浮いて、金魚がゆらゆら泳いでいる。赤いのと、白に赤の模様のと、黒い出目金と。かわいい。だけど、エアーも濾過装置もないこんな鉢で元気に育てるのって、難しいんじゃないのかな。
てくてく歩いていると、なにかの気配を感じて、振り返った。
「あー。やっぱり、ついてきてる」
石塀の切れ目、よその家の門柱の後ろからのぞく、白い浴衣。
更紗、と呼ぶと、ぴょこんと頭を出した。蝶々結びにした、朱い帯のしっぽが揺れている。
からころと下駄を鳴らしながらあたしの横まで駆けてくると、にんまり笑って、
「おてて。つなご?」
と、小っちゃい手を出してきた。しょうがないなあと、その手をとる。
「金魚屋敷の外にも出られるんだね」
意外と行動範囲が広いというか。
「友だちと、一緒なら」
「それって、取り憑いてるってことじゃないよね?」
ちょっと怖くなって、軽いかんじで聞いてみたら、「取り憑く」ということばの意味がぴんとこなかったみたいで、更紗は首をかしげていた。
「ごめんね、なんでもないよ」
つないだ手を、ぶんぶんと振ってみせる。
泳ぐ鯉を見ながら歩いていると、すぐにらむね屋に着いた。
お店の正面の水路に吊り下げられた竹ざるには、ラムネの瓶のほかにきゅうりとトマトも入っている。色が濃くて、つやつやしてる。
「おいしそうだね、更紗」
と、更紗はぷうっとほおをふくらませたかと思うと、ふいっと、消えた。あらら。ろうそくの火を吹き消すみたいにして、消えちゃうんだ。
入口の戸は、きょうも開け放たれている。
「こんにちは」
お店のなかは、こころなりかひんやりしていた。いらっしゃい、とレジ奥にすわっていたおじいちゃんはあたしに笑いかけて、ラジオのボリュームを落とした。ブラスバンドの演奏と声援がちいさくなる。きょうは高校野球を聞いてるみたい。
「透子さんの孫か」
「はい」
ぺこんと、あたまを下げる。
「きょうは、坊主は一緒じゃないんだな」
坊主って? と一瞬考えて、楓くんのことだと思い当たった。
「あの。お漬物、ありがとうございました。お味噌も。すごく美味しかったです」
「味噌? ああ。息子の嫁が毎年つくっとるやつか。秋になったらまた新物を持たせてやるよ」
「ありがとうございます。叔母も喜びます」
そんなにかしこまらなくたっていいのにと、おじいちゃんは笑った。口を大きく開けて、歯を見せて、豪快に。
「あの屋敷の暮らしには、慣れたか?」
「……はい」
「お嬢ちゃんは、見たか?」
え? なにを?
おじいちゃんはレジカウンターから身を乗り出すと、声は出さず、ゆっくりと口を動かした。
わ、ら、し。
「あ。……その、」
「見たんだな」
おじいちゃんは、かははとわらった。
「あれに気に入られると大変だぞ? 俺は見えなかったがな、しょっちゅういたずらされて困ってたわい。透子さんにちょっかい出してたのが気に入らんかったんだろう。やきもちやきでな」
「透子、おばあちゃん……が?」
「可愛くてな、透子さんは。俺は三回もふられたんだぞ。はははっ」
ぼりぼりと白髪頭を掻いて笑うと、おじいちゃんは、きゅうに声をひそめた。
「あのわらしも、可哀想なんだ。むかしな。あの屋敷の泉、あるだろ? あそこに落ちて死んじまった子どもなんだよ」
「えっ」
じゃあ、更紗って、幽霊なの?
「金魚売りから買った金魚をな、泉に放そうとして。足を滑らせて、溺れちまったんだ。それで自分も死んで金魚になっちまってな、不憫に思った絵描きが、あの掛け軸を描いたんだと。そういう話が伝わってる。どこまで本当かはわからんが。ま、結構有名な話だ」
そうなんだ。凪子さんの言ってた「悲しい話」って、そういうことだったんだ。
しんみりしてしまったあたしに、おじいちゃんは「なんでもゆっくり見ていきな」と笑うと、ラジオのボリュームを少し上げた。
お目当ての、とんぼ玉のブレスレットがまだ売れていないことを確認すると、あたしは駄菓子をいくつか買って、お店を出た。
「……あ」
遠くで、雷鳴がごろごろ鳴っている。お屋敷を出るときはあんなに晴れていたのに、暗い雲が広がっていて、ぽつん、と雨の粒が落ちてきたと思ったら、ぽつん、ぽつん、ばらばらばらばら。あっと言う間に、降りはじめてしまった。
「わあい、わあい。アメだ、アメ」
「……更紗」
音もなく、すっと現れる。赤い帯をひらひらさせながら、更紗は踊るように、石畳の道に飛び出した。
「ちょっと。濡れるよ?」
「清良も、はやく!」
「そんなこと言われたって」
雨はどんどん勢いを増していくのに、更紗は、ぜんぜん濡れていない。銀色のうすい膜で覆われてるみたいに、雨の粒は、更紗のからだの表面で霧になって光りながら散っていく。
綺麗。
くるくると駒みたいに回っている。朱い帯。花のもようの散った浴衣。つややかな黒髪は、くらげの傘みたいに、ふわんふわんと弾む。
死んでしまった女の子。溺れて、金魚になってしまった女の子。幽霊なのだとしても、ちっとも怖くない。すくなくとも、あたしは怖くない。
「清良!」
「あたしは、濡れちゃうもん」
きっと夕立だから、少し待てば止むだろう。そう思ったあたしは、らむね屋の軒先で、雨宿りさせてもらうことにした。
空が光る。
と、ばりりと何かが裂けるような音が鳴り響いた。
「ひゃっ」
ぎゅっと目を閉じて耳をふさぐ。雷。その雷鳴を合図にしたかのように、雨はどうっと勢いを増した。
「やだ。どうしよう」
ちっとも濡れていない更紗は、あたしの目の前まで、てててっと走り寄ってきて、あたしの手をひいた。
「はやく来てって言ってるのに」
「だって」
きよらー、と。雨音の向こうから、あたしを呼ぶ声がした。瞬間、更紗が、ぱっとあたしから手をはなしたから、あたしは勢いで前につんのめってしまった。
「清良。おまえ何してんの」
「楓くん、こそ」
楓くんは、青い雨傘の下で、目をまるくしている。
「おれは、らむね屋に、ちょっと、買い物っていうか」
「そうなんだ。あたしも買い物に来たの。帰ろうとしたら降られちゃって」
更紗の姿はもう、消えていた。姿が見えないだけで、いるのかもしれないけれど。
「ばかだな。夕方から雨って予報で出てたのに。降水確率八十パーセント」
「だって、気づいたら長居しちゃってたんだもん」
雨雲のせいで薄暗くて、すこし肌寒い。ぞくりと寒気が這いあがってきて、あたしは腕をさすった。
「送ってく」
「いいよ。だって、買い物に来たんでしょ?」
「いいよ、また今度で」
「でも」
「どっちにしろ、おまえがいたら買えないし」
「は?」
「いいから! 早く帰らないと風邪ひくぞ、おまえ」
腕がぐいっと引っ張られたと思ったつぎの瞬間にはもう、あたしは楓くんの傘のなかにいた。更紗にぐいぐい引かれても負けなかったのに。五歳児(?)とはわけがちがうんだ。
だけど雨は強い。おまけに、くっつきすぎないように注意してくれているせいで、楓くんのからだは傘からはみ出しているから。楓くん、濡れちゃっている。
「楓くん、あたしはいいから、その、傘を」
「いいから」
むきになるみたいに、傘をあたしのからだのほうに寄せるものだから、あいあい傘っていうより、一方的に傘を差しかけられてる感じになってる。
「……わかった」
このまま押し問答してても、楓くんがますます濡れるだけだし、早く歩いていったほうがいいよね。
石畳のうえを雨が流れていく。サンダルと足のあいだに水が入ってつるつる滑って歩きにくい。
「清良、転ぶなよ」
「うん」
傘の柄をもつ楓くんの腕は、至近距離で見たら、案外筋肉質で骨ばってる。そのことに気づいた途端に心臓がへんな感じにきゅっとなって、とくとくしはじめた。あわてて、滝みたいに降りそそぐ雨の向こうに視線を飛ばした。
「ていうか、傘、意味ないな」
「ほんとだね」
それぐらい雨の勢いがすごかった。足元から、真横から。気づいたら水びたし。
くしゅん、と。くしゃみが飛び出た。
「大丈夫か? って、おわっ」
へんな声をあげたと思ったら、楓くんはがくんとくずおれた。
「どうしたの? つまづいたの?」
どう見ても、つまづいたり滑ったりした時の転び方じゃないけど。
「いや……。なんか、きゅうに。ひざ裏が。かっくん、ってされたみたいな」
ひざかっくん?
まさか。
たたたたっと、あたしたちの真横をすり抜けていく子どもの影。濡れた石畳にうつる、帯の朱。雨をはじいて、淡いぎんいろの光を放ちながら駆け、止まって、ふり返ると、にいいっとわらった。そして、ふたたび駆け抜けていく。
「……更紗」
「え?」
「楓くんには、見えないの?」
「なにを?」
やっぱり。らむね屋のおじいちゃんが言ってた通りだ。姿は見えないけどいたずらされちゃう、って。男の子にいじわるするのかな。更紗って。
すっかりずぶ濡れになったあたしたちは、せめて転ばないようにしようと、そろそろと歩いていく。
金魚屋敷の手前の、ふるい家の前で、更紗が座りこんでいるのを見つけた。なにかを眺めているみたい。
あの、金魚の泳ぐ睡蓮鉢だ。
金魚たちを見ているのかな。お友達、に、見えるのかな。
掛け軸のなかをひとりぼっちで泳ぐ、朱い金魚。
ふいに、ひっくり返ってしまった金魚の白いおなかが、脳裏に浮かんだ。とたんに、息が苦しくなる。
「清良、どうした? 顔色悪いよ」
「だいじょうぶ。すこし、さむい、だけ」
「もうちょっとで着くから。な?」
ありがとう、楓くん。あたしは、雨粒ごと空気を吸い込んで、ゆっくりと吐いた。