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金魚わらしと水の街  作者: せせり
4.えんむすびの井戸
7/22


「よし。おいしい」

 豆腐とあおさ海苔のお味噌汁。なかなかうまくできたと思う。出汁は、かつおの粉末のパックがあったから、それを使ってちょっと手抜き。

ピーッと、炊飯器から炊き上がりを知らせる電子音が響く。ふたをあけると、ふっくらつやつやの白いごはんが湯気をあげた。しゃもじでさっくりと混ぜておく。すごくおいしそう。やっぱり使っている水がいいからかな。

 あとは……。たまごやきもつくろうかなと思ったけど、肝心のたまごがない。冷蔵庫にあったお漬物と納豆があるから、それで充分かな。

 柱時計がぼーんと鳴る。六時半。凪子さん、いつも何時に起きるんだろう。きのうもおとといも、あたしは寝坊しちゃったからわかんない。今日はお店も開かない日だし、カルチャースクールの仕事は午後からだし、ママみたいに、朝から時間に追われてるってことはないんだろうけど。

「あ」

 座卓を拭いていると、たたたっと、女の子が走り去っていった。目をしばたいて、もう一度部屋を見回すけど、女の子の姿は、その気配すらない。

 まぼろしを見たのかな。

真夜中の、指切りも。

約束の指切りを交わしたあと、あたしはもう嫌な夢も見ずに、ぐっすりと眠ることができた。ぱちりと目を開けると窓から朝の光が射しこんでいて――あかるい朝はちゃんとくるんだと、思った。

早起きついでに、朝ごはんをつくることにした。凪子さん、びっくりするかな。

座卓に食器をならべて、ふうとひと息。つめたいお水を飲む。たんなる「お水」が、ほんとうにおいしい。細胞の一個一個に染みわたっていくような感覚。

更紗のことを考える。このお屋敷にすむ座敷わらしみたいな存在なんだろうな。街のひともみんな、見たことはなくてもうわさ話が広まったりして、知っているんだろうか。

友だちがほしいのに、いつも置きざりにされてしまう、掛け軸の金魚。

「おはよう。って、あれれれれ。清良、どうしたの? いい匂い」

 短パンとタンクトップ姿でのっそりとあらわれた凪子さんが、台所をのぞくやいなや目を見開いた。

「つくってくれたの? すごい!」

「へへ。はやく顔洗って来て。いっしょに食べよう?」

 凪子さんは子どもみたいに目を輝かせると、だだっと洗面所にダッシュした。


つくったといっても、あたしが料理したのはお味噌汁のみ。凪子さんはおいしいおいしいと言いながら飲み干しておかわりをした。

「そんなにほめてもらったらくすぐったいよ。冷蔵庫にあった、このお味噌がいいんだと思う。どこの?」

 はじめての味。白味噌なんだけど、やわらかくて、まるくて、やさしい風味がふわっと広がるの。

「らむね屋の若奥さんにもらった。自家製なんだって。この漬物もだよ」

 甘くてしょっぱいたくあん漬け。ゆずの香りが効いていておいしい。きゅうりのお醤油漬けも。ぴりっと辛くて、ごはんがどんどん進んでしまう。

「へえ。すごい」

「野菜とかもね、ご近所さんからいっぱいいただくんだよ。ここに越してきてから、食費がすごい安く済んでる。ありがたいことだね」

 凪子さんはずっと「浮き草」だった。ママいわく。絵を描きながらふらふらといろんな街を転々としていたらしい。凪子さん本人も、「趣味は引っ越し」と豪語していた。

 だけどおばあちゃんが亡くなって、ママが若い頃にすでに亡くなっていたおじいちゃんとおばあちゃんの仏壇と、このお屋敷を守るために、凪子さんはここに住むことにしたんだ。

「清良も家で料理してたの?」

「ときどき。朝はママが忙しいから、自分でパン焼いてインスタントのスープにお湯注いで勝手に食べる、って感じだったよ」

「そっか。じゃあ、朝、パンにしてもいいんだよ? あたしに合わせなくってもさあ」

 あたしは首を横に振った。

「お味噌汁すきだもん。そんなに手間じゃなかったし」

「ふーん。ま、将来のことを考えるとそのほうがいいか。楓も和食派だしねー」

「ちょっと、どうして楓くんが出てくるの?」

 しかも「将来」ってなに?

「いやほら、食の好みが合うか合わないかって結構重要らしいよ? いくら好き合っててもね、一緒に生活するとなるとね」

「だっ! だ、だ、だれと、だれが、なんで。なんの話なのっ!」

 す、好き合ってるって。勝手に決めつけるなんて!

「ちょ、清良真っ赤だし。あー、うぶな中学生をからかって遊ぶの、ほんとおもしろい」

凪子さんはおなかをかかえて笑っている。あたしはぶーっとむくれた。

なんなの? ひどい。

たしかに、楓くんとは緊張せずに話せるし、ちょっと強引だけどからっと明るいキャラだから、どんどん外に引っ張り出してくれるような、そんな感じはする。友だちになれたら心強い存在かもしれない。

だけど。

きのうはなんだか遠く感じた。あの子たちに囲まれてからかわれてる姿を見てたら、ふだんの学校での楓くんの様子が、たやすく想像できてしまったんだ。

男子にも女子にも人気があって、クラスでも部活でも中心にいて、光のあつまる場所にいるんだ、きっと。

あたしは箸をおいた。ようやく落ち着いて麦茶を飲んでいる凪子さんに、そっと切り出す。

「凪子さん。あの、まじめな話なんだけど」

「ん? なに? 楓に告られた?」

「ちがうってば。もうやめて? あのね、これからあたしに、家事をさせてほしいの。ママとふたり暮らしだったから、お料理以外もある程度はできるし、実際やってたし」

 勢いで、ひといきに言い放った。

 凪子さんは黙り込むと、腕を組んで渋い顔をした。なんで? てっきり、ラッキー、じゃお願いするねと軽い感じでオッケーしてくれると思っていたのに。

「遠慮しとく」

「どうして?」

「あんたさ、もしかして、わたしに世話をかけて申し訳ないとか思ってる?」

「そういうんじゃないよ」

そりゃ、凪子さんの気ままな一人暮らしに割り込んでごめんねって気持ち、まったくないかといえば嘘になるけど。

凪子さんの目を、まっすぐに見つめた。

「あたしね。何かを、してたいの。学校の勉強と、街の探検と、……それ以外にも。やるべき仕事が、ほしいの」

 目の前に「やるべき仕事」があれば、余計なことで悩む時間がなくなるんじゃないかって、そう思ったんだ。

 凪子さんはふうと息をついて、

「じゃあいいけど、無理はしないで。分担していこう。あのね」

 そこで、ちょっと「まじめ」な顔になった。

「あのね、清良をここに呼ぼうってお姉ちゃんに提案したの、わたしなんだ。でも、お姉ちゃん、なかなか決心つかなくてさ。だけどわたしには、なんだか予感みたいなものがあって。根拠はまったくないんだけどね、きっと清良にはこの街の水が合うだろうなって。わたしも清良と暮らすの、楽しいだろうなって。だから」

 手をのばして、あたしの右のほっぺをむにっとつまんだ。

「ぜったいに、申し訳ないとか、思っちゃだめだよ」

 胸のまんなかが、ぎゅっとなった。うれしいのに、ぎゅっとくるしくなる。

 ほっぺたをつままれたまま、「ありがと」って言ったら「ありあと」になって、凪子さんはぶっと噴き出して、また笑った。


 池に面したまわり縁を、だだっと雑巾がけする。まるでお寺で修業している小坊主さんみたい。端まで行って振り返ると、今しがた拭いたところが、濡れて光ってレーンみたいに見える。

 額にかいた汗を腕でぬぐった。

 午前中のすずしいうちに掃除をすることにしたのに、思いっきりからだを動かせば、やっぱり暑い。

 午後からは勉強をしなくちゃ。近くに図書館はあるかな? 楓くんに聞いてみようか。中学でどこまで授業が進んでいるのかも、教えてくれるかもしれない。

 と、そこまで考えて、あたしは首をぶんぶんと振った。

 楓くんにまとわりついていた女子たちのかん高い声や、あたしのことをねめつけていた、あの子の瞳 を、思い出してしまったから。

 振り払うように、雑巾をしぼって、ふたたびだだっと廊下を拭きあげる。ととととっ、と、ちいさい足音が追いかけてきているのに気づいて、後ろを見た。

 くすくす、と、更紗が笑っている。

「清良、なにしてるの?」

「お掃除だよ。廊下を拭いてきれいにしてるの」

「その布きれは?」

「雑巾。床をきれいにする道具だよ」

 そう言ったあと、思わず、手のなかにある雑巾を見つめた。ねずみ色の、薄汚れた雑巾。

 そうだ。雑巾は、いろんなものをきれいにする道具。だれかを汚すために使うのは、間違った使い方だ。

「きよらー。もういっかい、だだって、してよ」

「ひと休みしてからでいい?」

「やだ。すぐやって」

 しょうがないなと、もういっぺん雑巾がけ。更紗のころころした笑い声が追いかけてくる。

「清良、おしり突き出して走ってる。おもしろーい」

「ちょっとやめてよ、しょうがないじゃん」

 これが雑巾がけのただしいスタイルなんだし。ていうか、見たことないのかな。

「清良―。ちょっと早いけど、お昼ごはんにしようー」

 凪子さんに呼ばれて、はあいと返事をする。「ごはん」と聞いた瞬間、あたしのおなかが、ぐううっと間抜けな音をたてた。

「やだ。聞こえた?」

 返事はない。

 きょろきょろとあたりを見回すけど、更紗の姿は、もうどこにもなかった。



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