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金魚わらしと水の街  作者: せせり
11.さよならの後、季節は変わる
21/22

 楓くんの自転車の後ろに乗って、石畳の通りを抜け、港へ向かう。はじめて通る道だ。

 黄昏のむらさきいろの空の下、風を切る自転車。楓くんのシャツをぎゅっとつかんだ。ごめんね。ブレスレット、ぜったいに元通りに直すから。

 港近くの、駅の駐輪場に着いて、自転車を降りる。楓くんは自転車をとめて額の汗をぬぐった。空のいろは藍に変わり、どんどん濃くなっていく。

 ぬるい、潮のかおりがまとわりつく。歩行者天国になった海べりの国道には、たくさんの出店や屋台が並んでいて、浴衣姿のひとたちがたくさん歩いている。その中を、たこ焼きやジュースを買いながら、進んでいく。

 フェリーのターミナルビル近くの海浜公園に着いて、あたしたちは空を見上げた。

「もうそろそろ、あがるな」 

 楓くんが自分の携帯で時間を確認した。花火は八時から九時までの間あがり続けるらしいけど、凪子さんが九時までにあたしを帰すように言ったみたいだから、途中で抜けなくちゃいけない。

 それにしてもひとが多い。楓くんとはぐれないようにしなくちゃ。

 そんなふうに思っていると、いきなり、ぽん、と大きな花が夜空に咲いた。なんの前触れもなかった。それを皮切りに、つぎつぎに花火はあがる。となりで空を見上げる楓くんの横顔が、光に照らされている。

 楓くんが好き。きゅっと、胸が痛んだ。

 ひかりが弾ける。花が咲く。見上げるひとたちが、めいめいに感嘆のため息をもらすのが、聞こえる。

「清良」

「うん」

「来年も」

「……うん」

 ふいに、楓くんがあたしの手をとった。ぎゅっと握り返す。ずっとずっと、離したくない。夕菜ちゃんにも、誰にも、渡したくない。

 更紗も、こんな気持ちだったのかな。

なのに、あたしは。あんなふうに、更紗に怒鳴ってしまうなんて。家に帰ったらあやまらなくちゃ。だって更紗は、まだ小さな子ども。永遠の、子ども。

ムキになってしまった自分のことが、情けない。

「清良、なんかあった? ……元気ない」

 わかってしまうんだ、楓くんには。

 あたしは、ゆっくりと首を横に振った。

 見上げれば、夜空にひらく大輪の花。咲いてはすぐに夜の闇に溶けてしまう花火たちを。一瞬の、光を。きれいだけど、悲しいと思う。

 夏が、終わる。

 ぽんぽんと、花火は打ちあがりつづける。魅入っている人たちの波をかきわけて、楓くんとあたしは歩いた。まだまだ花火は続くけど、帰らなくちゃいけない。立ち並ぶ出店の前をすり抜けていく。

「……あ」

 思わず、立ち止まった。金魚すくい。裸電球に照らされたみずいろの大きな桶に、たくさんの金魚が泳いでいる。

 ふいに、鼻の奥がつんとした。小さい頃、だだをこねてすくった金魚。すぐに死んでしまった金魚たち。一匹死んで、二匹死んで。さいごの一匹も、ひとりぼっちでがんばっていたけど、やがてひっくり返って浮いてしまった。

 ひとりぼっちの金魚は、更紗? 

……ううん、あたし。

「清良? どうした?」

「ううん。なんでもない」

 つないだ手に力を込めて、歩き出す。

ふわり、と。朱い兵児帯があたしのとなりをかすめていった。

「更紗……?」

 白地に朱い花の散った、あの浴衣。ひらひらの、蝶々結びの帯が金魚の尾びれのようにゆらめく。だけどその少女は、五歳の、ちいさな更紗じゃない。あたしよりわずかに背が高い。艶めくおかっぱの黒髪と、夜に映える、真っ白いうなじ。

 女の子は、ゆっくりと振り返った。

 美しい、大きな目があたしを一瞬だけとらえて、そしてすぐに前に向きなおり、歩きはじめる。

「更紗。待って更紗……っ」

「清良? おい、どうした?」

 楓くんの手をひいて、あたしは走り出していた。十四歳の更紗の姿を、追いかける。だけどその後ろ姿は、すぐに人ごみにまぎれて消えてしまった。

 人違いだったの……? 

 ううん。あれはたしかに、更紗だった。

 ある予感が胸のなかをよぎって、あたしは首を横に振った。そんなわけない。きっとまた、更紗はあたしのもとへ。


 その夜は眠れなかった。部屋の窓から星を眺めて、更紗があらわれるのを待ったけど、待てども待てども現れない。柱時計がなんども鐘を鳴らして。空が白みはじめるころ、あたしはようやく眠りについた。


 九月になった。

 午後から、らむね屋に出向いて、翠さんに教えてもらいながら、ブレスレットの修理をした。とんぼ玉はぜんぶそろっていたし、留め具やテグスは翠さんが新しいものを用意してくれたから、簡単に元通りになった。

 あんなにムキになって、怒鳴るんじゃなかった。

 今さらのように悔やんでも、もう、時は巻き戻せない。更紗は消えてしまった。

 つぎの日も、更紗はあらわれない。いないの? 

 それとも、あたしには見えなくなってしまったの?

 花火大会の夜、すれちがった十四歳の更紗の、瞳に浮かんでいたのは。さよならの、色。

 そして。いよいよ今日が夏休み最後の日。明日からあたらしい中学校へ通うことになる。

 陽がゆっくりと傾きはじめた午後、凪子さんの部屋のとびらをノックした。凪子さんはすぐに、入っておいでと返事をくれた。

「金魚の掛け軸を、見せてほしいの」

「いいよ。好きなだけ、どうぞ」

 さやかな笑みをうかべると、凪子さんは描きかけの絵に視線を戻して、絵筆を動かしはじめた。作業中に、部屋に入れてくれるなんて。ありがとう。

 邪魔しないように、その背中の後ろを、そっと通っていく。

 凪子さんの描いたたくさんの魚たちの絵にかこまれた、ふるい掛け軸。日に焼けて黄ばんでいるけど、金魚の、白に朱の更紗もようも、ひらひらと揺れる朱い尾びれも、あざやかでまぶしい。きっとこの絵を描いたひとが、更紗の、さいしょの「友だち」。

 そっと手をのばして、指先で触れてみた。

 手をつないだね。頭を撫でてくれたね。聞き分けのない妹みたいな、いたずら好きの小さな友だち。

 あなたに、「もう来ないで」と言ったのは、あたし。置いて行かないと約束したのに。

「清良」

 凪子さんの声。凪子さんの顔は絵の方に向いたまま。絵筆をうごかす手も止めない。

「今夜。夕食のあと、いっしょに温泉に行こうか。アーケード街の」

「……? うん」

 なんとなくうなずくと、凪子さんはゆっくりとほほえんだ。




                                  

         

次話、ラストです

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