②
「ああ。うん、だいじょうぶ。熱さまし飲んで寝てるよ。ただの風邪だと思う」
障子戸のむこうで、凪子さんの話し声が聞こえる。顔が熱くて、からだも熱くて、凪子さんの声が頭の中で反響してがんがんする。
「疲れがたまってたのかもな。ゆっくり休ませるから。……うん、いや、だいじょうぶだって来なくても。忙しいんだろ?」
だれと、何の話をしているんだろう。やがて障子戸が開いて、凪子さんがため息をつきながらあたしのそばに来た。
身を起こそうとするけど、からだがふわふわして力が出ない。
「ああ、いいって清良。寝てな?」
凪子さんがあたしのおでこの氷まくらを取りかえた。
「あんたのママがねー。明日、仕事休んで来てくれるんだと。よかったねー」
ママ、が……。
「ついでに新しい制服も取りに行くってさ。それぐらいわたしが行くのに」
雨の音は、もう、しない。風鈴がちりんと鳴る。ひんやりする風が吹きこんで、あたしの頬を撫でていく。どうやらあたしは、二階のじぶんの部屋じゃなくて、池に面したお座敷に寝かされてるらしい。
「なぎこ、さん」
「どうした? ほら、これ飲んで」
身を起こし、差し出されたスポーツドリンクのペットボトルに口をつける。
制服。あたらしい制服。
吐く息が熱い。あたしはふたたび横になって、目を閉じた。すうっと、眠りの世界に落ちていく。深い、深い、水のなか。
紺色の制服の群れが泳ぐ。笑いながら。プリーツスカートを揺らして、たがいに顔を寄せ合って、ないしょ話しながら。
はじまりは、一年生の二学期。
その日は朝から、何かがおかしかった。
おはようを言っても、だれも返してくれない。だれもあたしにおはようを言わない。遠巻きにあたしを見て、ひそひそ話をしている。
気のせいだろうと思っていた。嫌われるような何かをしたおぼえはなかったから。空気を壊すようなことも言ってないし、していない。はずだった。
二時間目の前。理科室に移動しなきゃいけなくて、ノートと教科書とペンポーチを重ねて胸に抱き、いつものように梨乃ちゃんの席へ駆けた。保育園からずっと一緒で、仲良しの梨乃ちゃん。
梨乃ちゃんはあたしの目をちらりと見ると、一瞬、くちびるを噛みしめてうつむき、そして、立ち上がった。
「梨乃ちゃ……」
「行こ。有紀ちゃん」
梨乃ちゃんは有紀ちゃんの手をとって、あたしを置き去りにした。話しかけることすらさせてもらえなかった。有紀ちゃんも。明るくて冗談を言ってはみんなを笑わせている、太陽みたいな有紀ちゃんも。あたしの目をみない。ほかのグループのみんなも。目立つ子たちも、地味な子たちも。男子たちも。
「……はぁ。はぁ。はぁ……」
胸が搾り取られるみたいに苦しくなって、必死にあえぐ。
遠巻きにあたしを見てくすくす笑う、目立つグループの女子たち。申し訳なさそうに口をつぐんで、だけどあたしに手を差し伸べることはしない、梨乃ちゃんと有紀ちゃん。
破られた教科書。なくなった靴。泥まみれになった体育着。
どうして。どうして。どうして。
「はぁ、はぁ、……はっ、」
息ができない。はやく水面へ行かなきゃ。新鮮な空気のたくさんある、水面のほうへ。泳ごうとするけど、水がまとわりついて動けない。
だめ。ひっくり返ってしまう。だめ……、
「清良」
すずしい風がふいた。あたしは目を開けた。
ここは。ここは水槽のなかじゃない。教室じゃない。
ひんやりした手が、あたしのほおをつつんだ。
「更紗……?」
いつもの、五歳の更紗じゃなかった。ぞくりとするほど美しく、艶めかしい、少女。はじめて会ったときに見せてくれた、十四歳の姿。
「清良。わたしたちは、友だち」
白くて細い小指をそっと、あたしの指にからめる。
「友だちなら、更紗がいるよ」
肺のなかに、すうっと、冷たい空気が入り込んでいく。気持ちいい。
「更紗も、ほんとうの、十四歳になれたらいいのに。清良と同じ、十四に。なれたらいいのに」
更紗のつぶやきが聞こえる。更紗。あたしは、あたしは……。




