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修行

作者: 京本葉一

 歩数を百まで数えて歩く。

 百まで数えたら、また一から百まで。

 それを延々と繰り返しながら、通い慣れた道を歩く。


 何かに気を取られ、数えることを忘れたら、また歩数に意識をもどす。

 ひとつのことに意識を向けつづける点は、瞑想と同じ。

 歩行禅とは違うが、それなりの効果は期待できるとおもい、試している。


 流行に敏感な性質ではないが、世界的に瞑想が評価されていることは知っている。効果が素晴らしいことも疑っていない。


 主流のやり方は、呼吸だけに意識を向けつづけること。

 あふれでる雑念を流して、流して、流して、何も考えないようにする。

 はっきりいって難しい。

 練習するほど効果があるそうだが、つづける自信がない。


 もっと簡単な方法はないものか。

 情報を集めて思いついたのが、歩数をかぞえながら歩くという、歩行禅もどき。

 効果があるのかないのかわからないが、修行している感はある。


 心の修行。

 メンタルトレーニング。

 これで新たな成長がはじまるのかと思えば、ちょっとわくわくする。


 よいことだ。「わくわくすることしなさい」と異国の元気なおじさんも言っていた。元気な人のアドバイスには価値がある。たとえ三日坊主になろうとも、やってみて悪いことはなにもない。


 と、妙なテンションで駅前のバス停あたりを歩いていると、加齢臭を漂わせる一団を前方にみつけた。


 病院を往復するバスがある。

 そこから降りてきた高齢者集団とおもわれた。

 向かう先は同じらしい。駅に向かって、スローペースで歩いておられる。道いっぱいに広がっており、自然と集団の後ろを歩く形になった。


 歩数をかぞえる。ゆっくり歩くことに苛立ちはないが、最後尾にいたご老人のふらふらした歩き方に意識がもっていかれる。心配になったが、ずっと後ろにつくわけにもいかないので、乱れはじめた集団の隙間を縫うようにして歩をすすめた。


 なにやら大きな話し声が聞こえてくる。

 男の楽しそうな声と女性の笑い声。

 集団の前方にみえてきたのは、身体を寄りそって歩くジジイとババアだった。


 背中は曲がっていない。熱々の高校生カップルのような寄りそい方だ。人生を楽しんでるとかなんとか、病人とはおもえない元気な会話をしている。事情はまったくわからないが、ぜったいに夫婦ではない。それだけはわかる。


 ジジイがババアの腰に手をまわした。

 ババアはそれを拒否しない。


 老い先が短いにちがいない二人を追い越して、足早に集団をとび出した。ちょっと加齢集が強烈だっただけで他意はない。いつのまにか歩数を忘れていたが、とくに問題はない。また一から始めればいい。なにも問題はない。離れた意識をもどすのがポイントだから。そういう訓練だから。まったく問題ない。


 修行はまだ、はじまったばかりだから。

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