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⑷『埴谷雄高論』・・・眼前に明示される、不動の言葉達

⑷『埴谷雄高論』


   ・・・眼前に明示される、不動の言葉達



もう随分と、埴谷雄高の小説を読んでいない。一時の読解量に比べると、本当に実の場所から、訳の分からない場所へと埴谷は存在している。しかし、作品論を考える時、やはり現在でも、埴谷が眼前に明示されるのは、当たり前となっている。自分は、埴谷の作品の、難しさに影響を受け、惹かれているのだろう。何も、殊更に難しい小説を読む必要もないのだが、何かを解明しないと、意味がないような、まさにパズルの様な感覚を以って、埴谷雄高論に挑んでいるという状態である。雨雲をずっと眺めていると、いつ晴れ間がやってくるのだろうという、一種の絶望の様な感覚に、埴谷の小説は影響する。



埴谷の言葉は、一見適当に使用されている様でいて、いつも的を射ている。まさに、取捨選択された場所から、不動の言葉として、小説内で躍動し、定位するのである。この飛躍性と、定位性の、二つを持っているという現象は、極めて小説家にとって、有利であると言える。揺るがない、アイデンティティの様なものが、読者には感じられる訳であって、それは、我々読者を、小説内に閉じ込めてしまうのだ。この、述べた様な、眼前、という言葉通り、小説内容は、宇宙的なくらいに、我々から離れているのにも関わらず、言葉は目の前で不動の状態で居ることが、何とも不思議である。



考えるという余地を、読者に与えないという点で、つまり、考えはするのだが、思考を止められるという、難しい影響を、読者に及ぼすのである。観念は、観念にしか通用しないし、また、観念は観念だけが受け止められる、言葉の狭間に、埴谷は存在している。難しいことを、吐露しているだけでなく、言葉と言葉の連なりや関係性もまた、複雑怪奇であるし、夢がそのまま夢として存在しているかの如く、我々を夢の中に誘う点でも、埴谷の執筆力は、並外れており、読者は、その小説内容に、追いつけ追い越せの関係性でもって、小説に対峙するのである。

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