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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

グルーミー・フォレスト

作者: ゆおたぬき

 グルーミー グルーミー 薄暗い森へようこそ。

 一人はダメよ。二人もダメよ。三人いても油断はダメよ。

 みんなまとめて食べられちゃう。

 無用心なお客様は背中にご用心。人食い森は、今日もお腹をすかせて待っている。

 今夜もあなたを待っている。

 早く逃げなきゃたべられちゃう。

 遅い足ではあっという間に。


 ほらつかまえた。



 薄暗い森には小鳥のさえずり、ウサギやリスの息遣い。

 蔦みたいに細い森の木々は、身体をうねらせ絡まり合って、太い一本の木を作りました。右へ左へ枝葉を伸ばして天井作って空を隠すと、木漏れ日のガーデンテラスへ早代わり。昨日は雨降り、今日は快晴。葉の隙間から降り注ぐ光が水玉にぶつかり、ドレスのようにキラキラと輝きます。

 見ようによっては天然のブドウ棚といったところだけれど、本当にブドウをつけるわけではありません。紫の肌に赤と黒の水玉模様。そんなヘンテコな色彩の洋梨が、たわわに実り上からぶら下がり、人の好む甘い香りを放ちます。

 木の根元にもカラフルなキノコがいっぱい生えて、それはそれは幻想的な光景です。

 そんな、まるで絵本から飛び出したような魔法の森に、好奇心旺盛な子供はたちまち虜となって、奥へ奥へと誘われるのです。

 ここは《グルーミーフォレスト》薄暗い森。

 大人はだれも近寄らない。

 子供はみんな帰る道を失う。

 魔女がいるとか、バケモノを見たとか、そんな不気味な薄暗い森なのです。

 けれども今日は、この森に珍しいお客様がいらっしゃいました。

 三人の仲間を引き連れた、合計四人。大人の男がのっしのっしと森を練り歩きます。

 先頭の男は手に猟銃を引っ下げて、その勇ましい姿は、まさに猟師といったところでしょうか。

 ザクザク踏みしだく枯葉の絨毯が、獣を退け、鳥を黙らせます。

 手で藪をかき分けて、血眼で探すのは一人の少女。

 名をチェルシー=シェザーニと言うのですが、彼女は今朝、この森に足を踏み入れたようなのです。

 森の入り口には彼女の持ち物であるイチゴのポシェットが置き去りにされていましたし、それを見つけた婦人が森を覗くと、彼女と思われる赤いずきんの少女がフラフラと奥へ消えていったのだとか。

 もし、この森の曰くが確かならば、少女もまた木々に魅了され誘い込まれた違いない。現にお昼になっても帰ってこなかったじゃありませんか。

 暖かいスープとパンも、彼女の席だけ手付かずで残され、今はすっかり冷めています。彼女の帰りを待っています。

 だからこうして探しに来たのです。

 真剣な八つの眼は、しっかりと暗がりを見据え、さらに奥へ奥へと足を運びます。

 ザクザク バキバキ

 甘い果実に目もくれず、枝を落として進む。

 ザクザクザク グシャリ

 かわいいキノコを踏み潰して進む。

 先頭の男がハンチング帽のツバをクッと引き寄せ顔をしかめました。

 キノコの胞子に鼻をやられないためなのでしょうか?

 それとも何か別の理由があるのでしょうか。

「チェルシー……無事でいてくれ」

 なるほど、彼はどうやら少女の父親のようです。そして集まった彼等は狩猟仲間といったところでしょうか。誰も彼も濃いヒゲを蓄えて、逞しい体つきでにらみを利かせまして、ギロリと睨まれればオオカミなんてたちまち尻尾を巻いて逃げ出してしまうというものです。

 怖いものなんてありません。あるとすればそれは――

 おっほん。やめておきましょう。きっと無事で居るはずです。彼等もそう願っているのですから。

 ザクザク バキバキ

 進んで進んで、奥へ奥へ。

 この森は深くて広くて“大の大人が数日かかってようやく通り抜けられる”とも言われています。それは決して誇張ではないのです。

 木々はどれもこれも同じ顔。パンくずの目印なんて、小鳥についばまれ、すぐに消えてしまうのです。キノコの胞子は徐々に集中力を奪いますし、甘い香りの果実をかじれば、その美味しさの虜になって、ここから出たいと思わなくなってしまうのです。

 本当ですよ? 食べた者は一人としていませんけれども。

 しかしご安心を。

 大人の猟師は果実に手をつけることもしませんし、キノコの胞子はハンカチのマスクで防いでいます。やはり子供の浅知恵とは格が違います。

 手にしたマチェーテで木の枝を落としながらズンズン進んでいきます。これならばパンくずの道しるべよりもずっとずっと安心です。

 ――と、これには森の木々も黙っていません。大迷惑な大人に向かって枝が真っ赤な樹液を流して、イタイイタイと訴えかけます。凄惨でグロテスクな光景に思わず目を覆いたくなりますけれど、そんな事ではこの大人達はひるみませんでした。

 一刻も早く、彼女を見つけなければと、その一心でひた進み、森を蹂躙していきます。


 それにしても、おかしなものですね。居なくなったのはチェルシーという少女ただ一人だというのに、皆が皆どうしてこんなに険しい顔をしているのでしょう? それには理由があります。ここに集まった猟師。彼等は皆、この森に可愛い我が子を攫われてしまったのです。

 ある者はたった一人の孫娘を。

 またあるものはやんちゃな男の子を。

 忠告を聞かずに森へ入ったのが悪いと言えば、確かにそうかもしれません。

 ですが彼等にとって、そんな事は関係ないのです。

 大事な大事な子を攫われたのですから、それはもう血眼にもなりますとも。

「おーい! どこだー!」

 たまらず叫んでみたものの、どこにも少女は見当たりません。

 不気味な沈黙は、大人達に不安を与えます。

 日が暮れる前にと急いでいたのに、気付けばもうすぐ日が沈む。

 空が折れた枝の隙間から見えました。届く光が真っ赤に焼けて見えるのは、夕日ではありません。雨粒に混ざり合った樹液の赤が、光を染めているからです。

 振り返ると、村へと続く帰り道はひどい有様でした。

 ぐしゃぐしゃに潰れたキノコの絨毯。転がる果実のグロテスクな色合い。樹液と同じく、その果汁は真っ赤な色をしていました。

「……明日また、探そう。きっと見つかるさ」

「ああそうだな」

「きっと無事でいるはずだ」

 口々に慰めあう大人達の背中は、しょんぼりとしていました。


 日は完全に沈み、出直す為に背を向ける、まさにその時でした――

 ガサゴソ……奥の方で物音が聞こえ、一斉に振り向きます。

 木の実とキノコに紛れて、居ました、見つけました。赤いずきんと、赤いエプロンドレスの少女です。

 彼女、口元にハンカチを当て、胞子を吸い込まないようにしています。もう片方の手には、蔦で編んだバスケットをぶら下げて、赤い靴が軽快にトコトコと木の根を蹴って、奥へ奥へと進みます。

「チェルシー!!」

 大声張り上げたのはチェルシーの父親でした。

 居ても立ってもいられずに、銃をほっぽり出して追いかけます。

 マチェーテを放り出し、何度も何度も名を呼んで、木の枝を手で払い退け、ハンチングは枝に攫われて、頬には枝で擦り傷をこさえていました。

 それでも、一心不乱に赤い少女の背中を追います。ようやく見つけた手がかりを、どうして見逃す事ができたでしょう。息も絶え絶え、根に足をとられそうになりながら必死に森の中を駆けました。

 ……けれど、どうしたことでしょう。徐々に彼女の背中が遠ざかっていくではありませんか。大の大人が、それも鍛えた猟師が、年端もいかぬ少女に遅れを取るなど本来ならば考えられないことなのです。

 あと少し、もう少しで届きそうな距離なのに。

 それもさっきまでのこと、今はもう届かないのです……。

 歯がゆさが、更に大きな声を絞り出します。

「まってくれチェルシー!!」

 どうして彼女は逃げるのでしょう。その理由が、父親には皆目検討も付きません。実の娘なのに。これまで何不自由なく暮らしてきて、とてもお利口さんに育っていたはずなのに。

 どうして?

 気が付けば、少女の姿はどこにもありませんでした。

 膝で息をして、彼は額を伝う汗を拭います。枝で擦りむいた肌が、ジンジンと熱を持ちます。

 後から追ってきた仲間達は、拾った彼の帽子を手渡しました。もう一人は彼の銃を渡しました。

「もう少し、奥に行ってみよう……近くに居るかもしれない」

 誰が言ったかその一言に、四人は小さくうなずきました。

 ここまで来て、少女の姿を目の前にして、手がかりを失うわけにはいかないのです。これを逃せば、また一人の行方不明者を出してしまうことになるから――四人の意見は一致していました。


 消えた先は闇の中。ゆっくりと確かめるように進んでいきます。

 夜の森の不気味さは、昼とは比べ物になりません。

 手元にある灯りは一つ。油をしみこませた布と、折った枝で作ったたいまつだけです。揺らめく炎によって、歪な影が蠢いていました。手足のように伸びた枝が、大人達を取り囲み、ぶら下がった木の実の模様は、薄暗い中ではまるで人の顔のようにも見えます。それがゆらゆらと見下ろしているのです。

 ガサッ――と音が鳴る度に、大人達は視線と猟銃を構えます。

 しかしネズミ一匹鳥一羽出てくることはありません。

 あるのは枯葉の上に落ちた木の実だけ。顔に似た模様がケタケタと嗤っていました。

 ……もう帰りの道は気にしていても仕方がない。枝を落とす手間すらも惜しんで、前へ前へ突き進みます。明日、太陽が顔を出したら、山を目印にして森を抜けよう。そうすれば道に迷うこともないはず。四人に不安はありません。ズンズンズンズン進んでいきます。

 暗い暗い森。不気味な森。不安はぐるぐるぐると渦巻いて。

 けれどもこのまっくら闇に、心までは飲まれないように、押しつぶされないように、自分をしっかりと持って進んでいきます。

 足取りは徐々に早くなって、森を突き抜ける勢いです。


 およそ森の中央まで来たでしょうか。

 かわり映えの無い景色はここでようやく終わりを迎え、四人は足を止めました。

 木々の隙間から漏れる光が、そこにあるものをくっきりと浮かび上がらせます。

 それは森の中にできた広場でした。

 星降る空を、三日月を、そのまま落としたような鏡面の泉。淡い黄緑色の燐光が水辺を飛び回っています。

 思わず息を止めて見入ってしまうくらいに幻想的で、神秘的な光景ですけれど、大人達は何よりも、そこに家が建っていることに驚きました。

 それも単なる家ではありません。

 童話に出てくるような魔女でも住んでいそうな見た目をしていたのです。

 巨大な樹木をそのままくりぬいて造られた家。キノコの傘みたいなへんてこな屋根と、そこから伸びる煙突も、立ち昇る煙も、どこかの物語から抜け出してきたかのよう。

 そのように、人の造ったものとは外観を異にしていますから、猟師達が疑うのも無理はありません。


 あそこに、きっと居なくなった子供達がいる。

 そうに違いない――。


 磨りガラスの奥で蠢くのは角の生えたシルエット。

 彼等はそれを見て確信しました。この家には悪魔が住んでいるのだと。

 四人揃って一列になり。抜き足、差し足、忍び足。

 コソコソぞろぞろ近づくと、家の中から少女の声。

 キャッキャと、笑っているからきっと大丈夫。まだ無事なはず、食べられてなんていないはず。

 四人は顔を見合わせ、頷きました。

 ――やっぱりそうだ。

 ――やっぱりここだ。

 不安は消えて、今は固い団結力。足取りも少しばかり軽くなりました。

 いざ向かうは魔女の家。

 さあ取り囲むぞと、

 一人は窓の傍に身を屈め、中の様子を伺います。

 一人は裏口にまわり、息をひそめます。

 一人は彼等を見守るべく、家から離れて今は湖畔の切り株の前で待機です。手には揺ら揺らと燃えるたいまつを。どうやら彼が合図を出すみたい。

 切り株には斧が一振り刺さったままで、その柄に花冠がかけられています。

 触れればやわらかい。白くて小さな花は、まだ摘み立てのよう。

 そして、最後の一人。

 チェルシーちゃんの父親は、玄関の前でゴクリと息を飲み、突入の合図を待っています。

 猟銃を、ギュッと抱きしめるように抱えたままで、

 ゴクリ。緊張の一瞬。たいまつが、じゅわっと泉につけられて、フッと外の明かりが消えました。

 淡い光。暗い森。

 へんてこな家の明かりに群がるように、まわりを囲む三人の猟師。

 バタン! ドアを開け放ち飛び込んだのは二人。

 窓から覗いてた猟師を背中に置いて、先頭はやはり少女の父親です。

「チェルシーを返せ!」

「おやおや、まあ賑やかですこと……」

 暖炉の前で、ロッキングチェアーがゆらゆら揺れる。

 どうやら中から聞こえた少女の声はこの家の蓄音機から出ていたようです。

 今も陽気なリズムで少女の歌声が響きます。

 残念、ここに少女はいなかったようです。

 この家の持ち主である老婆は、シルクの寝巻きを身に着けて、椅子に腰掛け古めかしい表紙の本を膝に乗せておりました。

 角の生えた頭に小さなナイトキャップがちょこんと乗っていました。背は曲がり、顔はしわしわ。つぶらな瞳は瞼の奥に。

 そしてもっとも特徴的だったのは、毛に覆われツンと突き出た鼻でした。まるでオオカミのようです。牙も、鋭い爪も、彼女がこの森のバケモノ、あるいは魔女であるという事の証明に他なりません。

 父親は、部屋の中をキョロキョロと見て、青ざめた表情で銃口を突きつけます。ねらうのは老婆の左胸。心臓です。

 残る二人も背で退路を塞ぎ、老婆へ向けて銃口を突き出していました。

 無作法もここまで行けば逆に雄々しいといえるでしょうか。夜中に大勢で押しかけるなんて、お行儀が悪いことですけど。

 老婆は動じることなく、花の栞を丁寧に挟み、本をパタンと閉じました。

 ため息一つ。傍にあるのは切り株をそのまま用いた風変わりなテーブル。そこへ本を乗せ、老婆は立ち上がりました。小さな眼鏡は鼻の上にちょこんと添えられ。

 キイコキイコと揺れる椅子。

「子供、子供ねぇ……はて、ここに来たかしら?」

 コクリ。首をかしげる老婆の姿に、猟師はカンカンです。

 だって、証拠は既に目の前にあるじゃありませんか。

 暖炉の傍に、あんなにたくさんの“髑髏”が転がっているじゃありませんか。

 きっと奥にある階段を上れば、二階にも同じように食べた痕跡を見出せるに違いありません。

 ベッドの下にも、何か隠しているのでしょうか。

 あらゆるものが怪しく見えて、これではもう、言い逃れは通用しません。

 真実かどうかはわからなくとも、髑髏はそこにあるのですから。

 グルーミー♪ グルーミー♪

 歌い続けている蓄音機の中の少女が、猟師達には耳障りで仕方ありませんでした。

「バケモノめ、懲らしめてやる!」

 老婆の胸元に狙いを定めて、躊躇無く引き金を引く指。

 三人猟銃が、恨みを込めて一斉に火を噴きました。

 一人二回。合計六回のやかましい音が、重なり合って狭い部屋にこだまします。

 こんな事をして少女が戻ってくる訳ではありませんが、猟師は老婆を撃たずにはいられませんでした。せめてこれ以上犠牲者が増えないように、バケモノは撃ち殺してしまわなければならないのです。

 けれど三人の前にある現実は、とても残酷なものでした。

 猟師の持つ銃では、このバケモノに傷をつける事はできなかったのです。

 老婆はまるで、羽虫に集られたようにうっとおしそうな顔をして、穴の開いた寝巻きを引っ張ります。その下には甲冑のような銀の鱗がびっしりと並んでおりました。

 弾はその表面に食い込むように止まり、ポロリと床に転がります。

「ああ。娘に作ってもらった大事なお洋服でしたのに」

 しくしくと、涙を拭う仕草はどこか白々しいけれど、嘘つきオオカミの一芝居というにはちょっぴりお粗末です。手の隙間から睨みつける瞳が、猟師達を震え上がらせ、彼等はあわてて弾を込め始めます。

 三人そろって、視線はしっかりと老婆を見据えていましたから、

 気づかなかった。

 忍び寄る赤い影に。

「あらあらお客さん、そんな物騒なものは持ち込まないでくださるかしら?」

 銀のナイフはきらりと光り、無防備な首筋をぶすりと一突き。

 裏口の男がぐるんと白目を剥き、膝を折りました。彼の手からは、猟銃と薬莢がカラカラと、音を立て零れ落ちます。

 家にやってきたのは、猟師が森で見たあの少女でした。

 赤いずきんと洋服。それはチェルシーのものと全く同じですけれど、その顔は彼女よりも一回り幼く見えます。

 ギョロっと大きな瞳に、金色の巻き髪。マシュマロほっぺで笑顔をつくり、スカートの裾をちょこんとつまんで、ぺこりとご挨拶。

「ただいまおばあさま。ほら見て。今日はわたし、森で沢山の食べ物を見つけてきましたの。褒めてくださるかしら?」

 ずきんもドレスも真っ赤な色で、今は頬まで血に濡れて、キラキラ見開いた両目だって、暖炉の炎で真っ赤にみえます。

 目の前にある男の亡骸を踏みつけて立ち、乱雑にバスケットを放り投げました。

 ぽーいと、放物線を描いて飛んで、落下地点はチェルシーの父親。

 彼は咄嗟に、飛んできたバスケットを手で打ち払います。

 バシッと、乾いた音立て、バスケットは足元へ。

 倒れたバスケットの中からは、何か丸い物がゴロリと転がり出します。

 果実でしょうか。それともウサギでしょうか。

 ……じっーっと、注目。

 あれあれ? 何だかみんなの様子が変ですね。

 見下ろす猟師の視線は転がった果実に釘付けですし、老婆も顔を寄せ、あごに手を添える仕草。

 入り口の男などは一目散に逃げ出してしまったじゃありませんか。

 けれどそれも仕方の無い事。

 だってこの果実、チェルシーちゃんの頭――


「まあなんて失礼な方。せっかくのご馳走なのに、逃げ出すなんて」

 赤いずきんはくるりと反転。足元の亡骸がぐええと変な声で鳴いたのを聞いてケタケタと嗤い、暗い暗い森へと駆けて行きました。

 取り残されて、ガタガタ指をくわえる猟師はもう、猟銃を構える事はできません。

 うなだれて手を伸ばした先、チェルシーちゃんはもう笑ってくれません。

 抱きしめても温かい体温はありません。

 咽び泣く。いい歳の大人がわんわんと声を上げてわめき散らす。

 みっともないと、誰が言うでしょうか。笑うでしょうか。

 声はしばらく続いて。

 それが消えた時……家の中には二つの死体と一つの頭が転がっていました。

 老婆は血に濡れた指先をぺろり。椅子に腰かけ、ケプッと。

 満足そうにおなかをさすり、楊枝を立てました。

 蓄音機はカリカリと変な音を立てていました。

 暖炉の火はパチパチと鍋肌に跳ね返り、火花を散らしました。

 ご馳走がいい香りを漂わせていました。


★★


 そんなに急いでどこへ行くの?

 追いかけるのは赤いずきんと銀のナイフ。

 暗闇に浮かぶ二つの赤は、ルビーのような彼女の瞳。

 トントントンっと木の根を蹴って、森の中。駆け抜ける。

 逃げろ逃げろ。急いで逃げろ。

 大人はひぃひぃぜぇぜぇ息切らし、彼女の影に怯えていました。

 湖畔の仲間は置き去りにして、今は不気味な森の中。

 たった一人で逃げろや逃げろ。

 まあ! 仲間を見捨てて一人で逃げるだなんてあんまりじゃない、酷いじゃない。

 ――なんて言わないで。だってあの人息してないもの。

 ぐったり。身体は切り株抱いて。

 ざっくり。斧で首落とされて。

 花冠の乗った頭だけ、切り株の上に乗せられて。

 はっきり見えた。苦悶の表情。

 くっきり見えた。血の涙。

 だから怖がったって仕方がないの。

 逃げ出したって責めたりしないの。

 大人だって、ちびっちゃうほど恐ろしものくらいあるんです。

 ケタケタ、ニヤニヤと。少女はとっても楽しそう。

 歌口ずさみ、まんまる結んだスカートが、風を抱いてフワリ膨らむ。

 ぐるーみーぐるーみー♪ 魔法の森へようこそ♪

 ガサガサ藪を駆け抜けて、枝をくぐって前へ前へ。

 逃げる男と追う少女。必死になって追いかけっこ。

 こんな楽しい夜は初めてだわと、口ずさむ歌も益々ごきげん。

 一人はダメよ♪ 二人もダメよ♪

 三人いても油断はダメよ♪

 闇夜の森に帰り道なんてありません。

 目印なんてありません。

 ほんの少しの月光頼りに、男は前へと突き進みます。

 折れた枝と、飛び散る樹液の赤い滴が少女に位置を教えます。

 男へと続く赤い絨毯。道しるべ。少女は風切り追いかけます。

 ケタケタとケタケタと。不気味に笑うその声が、男の耳に届きます。

 すぐそこに来ているのかもしれません。

 遅い足ではあっという間よ♪

 早く逃げなきゃたべられちゃうわよ♪

 歌声に怯え。

 追い立てられ。

 振り返った……その拍子。

「あっ!」と前のめり。ビタンと両手を地面について、ごめんなさいのポーズです。

 曲がった木の根が、まるで罠みたい。ガッチリと男の靴を掴んでいました。

 枝を沢山折ったから、その罰が当たったのかもしれません。

 もがいて引っ張って、グッと力を入れ、ようやく木の根の間から足がスポッと抜けました。

 けれどそうこうしてる間に、少女はそこまで迫っていました。

 追いついていました。

 ……鬼ごっこはここでおしまいです。

 とすんと背に乗る。お馬さんみたいにまたがって、男の耳元に顔を寄せました。

 抱きついた柔らかな子供の肌、木の実のような甘い香り。ふにゃりとした胸はまだ手におさまるには物足りないくらいで、頬をくすぐる髪の毛はふわふわとわたがしみたいです。

 ぷるんとした唇で、男の耳たぶをはみはみしながら、少女はゾッとするような声で囁きます。

「ほら……つかまえた」


★★★


 森の奥にひっそりと構える、魔獣の隠れ家。

 その中から、綺麗な音色が漏れ出した。

 蓄音機はカリカリと円盤を削り、少女の奏でるソプラノの声を、暖炉の火に乗せレンガの壁へと映写する。

 あの子の、まだ幼き日の、記憶を綴った歌声を。


 ああ きっとこの子 大人になれないの

 グルーミー グルーミー 薄暗い森は子供を喜んで受け入れてくれたわ

 それが最初で最後の手心だって事くらい 寝ぼけたクマさんにだってわかるわよ

 可愛い? 可哀想? 可愛い! そう、可愛い彼女は子供のまま大人になれないまま

 森の中 沢山のお友達に彼女は言います「おいしそうね」

 リンゴは山ほどぶら下がって 野イチゴだって実をつけて

 いつだってここは彼女のおなかを満たしてくれますわ

 お一ついかが? ほらそう言ってるから遠慮はいらないわ

 ちっちゃなおててが 木の実をもいで 溢れるジュースでべっとべと

 まあ はしたない

 まあ お行儀の悪い

 まあまあ そうおっしゃらずに あなたもお一ついかが?

 差し出す手は真っ赤なジュースがしたたる

 おいしそう? おいしいわ♪

 ほっぺがおっこちるくらい あまい あまい

 広がる香りは 濃いけど癖になる

 大人はこれくらい気にしない

 むねをはる彼女は まだ子供 大人になんてなれないの

 背伸びしたって なにしたって

 なりたきゃ森を出て行きなさい

 グルーミー グルーミー 陰鬱な森に もう御用は無いでしょ?

 見送るリスさんに手を振って

 駆けつけたウサギさんに背を向けて

 出て行きなさい 早く早く でないとあなたもたべられちゃう

 おばけに追われ 大人はこの森には居られないの

 グルーミー グルーミー 薄暗いこの森に

 追われないの 子供はずっと

 終われないの 子供はずっと

 子供のままで 魔法の森に ずっと

 おやすみなさい お母さま お父さま

 わたしはここよ 薄暗い森に どうして置いて 行ってしまわれたの?

 帰ってこない 私は子供

 返ってこない あの日からずっと 私は子供

 グルーミー グルーミー 陰鬱な森の

 グルーミー グルーミー 薄暗い森の

 グルーミー グルーミー 希望の無い 夜は明けない

 ほら あっけない

 ああ きっとこの子 大人にはなれないのよ


★★★★


「おばあさま、おばあさま。お肉をつかまえてきましたわ」

「お帰りなさいエメリア。ちゃんと手は洗ったの? ……あなたそのお顔、怪我をしてるの?」

 少女の頬に付いた血の跡を目にして、老婆は椅子から腰を上げようと身を乗り出します。

 けれど心配する必要は無さそうです。少女はニッコリと笑いを浮かべました。

「いいえおばあさま。これは先ほどのお肉をつかまえるときに付いたものなの」

 事も無げに言い放ちました。彼女は頬に付いた血を真っ赤な服の袖で拭い取り、小さなお口でチューチューと、乳飲み子が母のミルクを飲むみたいに吸いました。

 鉄くさいような、生臭いような、その香りが鼻に抜けると、少女は恍惚として袖から口を離すのです。

 チュゥッと。

 まあ、はしたない音。

 それから袖を払い、バスケットをくんくん匂う、鼻に残るかすかな香りと同じです。

「おばあさま。痛まない内に、さあ、早くお食べになって」

 ぺラリとはぐられた白いナプキンの下に、先ほど森で手に入れた“お肉”の首がゴロリと顔を覗かせて。

 それをポイッと放り投げ、老婆に渡すと少女は裾をつまんで上品にお辞儀しました。

「ありがと。それじゃエメリア。あなたは泉で水浴びをしていらっしゃい。土をつけたまま家に入るのはダメよ」

「え~」と不満を漏らした少女。しかし赤いずきんの中に木の葉が紛れ込んでいるのに気が付き、手で払うけど中々取れません。これはどうしたものかと、ずきんを脱いでみたものの、やはり小さく砕けて髪の隙間に詰まってしまいます。さらに枝や木の実の汁など飛び散って、染み付いていて……思った以上に散々でした。

 これじゃあふわふわの金色髪の毛も、みっともないクリスマスツリーみたいだわ。

 そんなこんなで――

「仕方ありませんわね」

「お夕飯もしないといけないんだから、早く浴びてきなさいな」

「は~い」

 ご機嫌に。少女は髪をなびかせ泉へ向かいます。

 その背を見守る老婆の表情は神妙に、何を思うのでしょうか。

 繰り返される蓄音機のソプラノと、少女の鼻歌を比べてみても、何一つ変わらぬ色をしています。

 自分はすっかり老けてしまったのに、あの子は変わらないわねぇ、と言わないのも老婆の懐の広さです。

 気を取り直して、手元のバスケットから頭を取り出します。

 瞼を指先でくっと持ち上げると、その奥から瑞々しい宝石が顔を覗かせました。

「あら、美味しそう。いただきます」


 老婆がおやつをかじっている間、少女は泉の畔で水浴びを。

 鼻歌のリズムに乗せて、生白い肌を打つ水音が泉から森へと広がります。

 少女の姿は月光のドレスを身に纏う。きらきらと濡れて、燐光が彩って。

 穢れ払われ、清められたかのように、頬を伝う水はただの水か、それとも涙か――。


★★★


 椅子に腰かける老婆の手には、綺麗に舐めとられた髑髏が一つ。

 カタカタとあごを動かし笑い出しそうな醜悪。ですが、それは動かず、暖炉の火にあぶりだされた影だけが躍ります。

「ふう……ご馳走さまね」

 ゆっくりと立ち上がり、向かうは暖炉の髑髏の山。コトッと、食べカスを置き、満足そうに腹をなでる。

 新入りの髑髏は四つ。今日は大量大量と。

 背の曲がった、杖をつく姿は子供を攫う魔女さながら、暖炉にくべられたまるい鉄の釜もそう。だけどその目鼻耳口は獣のように鋭く獰猛です。角もあります。人食いというのはどちらも変わらないのですけれど。

 バタン。

 扉は唐突に開き、顔を覗かせたのは金糸の少女。惜しげもなく肌は白。

 手には銀のナイフをちらつかせ、ゆらり歩み寄ります。

「おばあさま。これでよろしいですわよね?」

「……エメリア。あなたお洋服はどうしたの?」

「あれは土で汚れていましたので、お部屋には持ち込めないの。だから、お外に干してありますわ」

 窓の外。切り株の傍に置かれた赤い衣装はくったりとして、ぐっしょりとしていました。可哀想、老婆はため息吐いて外へ向かいます。

「“干した”とは言わないでしょ? ちゃんと裏にロープがあるんだから、そこに干しなさいな」

 やれやれ、少女はその言葉を聞いているのかいないのか、暖炉の前であったかい髑髏に手を突っ込んでパクパクと返事をします。

「わ、か、り、ま、し、た(カタカタ)」

 おふざけもここまでいけば立派なものです。老婆は黙って扉を出ました。

 切り株にかけてあるだけの衣服は、ちゃんと水をしぼってありましたので、そこは後でほめてあげようと、腕に抱き裏へ向います。

 優しい老婆の気持ちなど露知らず、少女は蓄音機の前で踊る踊る。

 鼻歌も一層機嫌よく。ソプラノの二重奏とでもいいましょうか。外にも漏れる音量で。

 さて、老婆は家の外。

 裏に物干し竿は無いけれど、干物用のロープにしっかりと細木を組んで作られた手作りハンガーが役に立ちます。プラプラと赤い袖がぶら下がり、ちょこんと乗った頭巾も可愛らしい。

 けれど、その隣には大きな“肉”が干されておりました。

 まるで人の身体のようと、言われて見ると確かに手足があります。内臓はどこかへ捨てられたのでしょうか。見当たりませんけれど。

 老婆はお腹をさすり、舌なめずり。でもこの肉には手をつけません。

 ロープから垂れるその数は三つ、今日手に入った男の数と比較すると一つ足りませんけど、それもそのはず。残りの一つは老婆の腹の中というのですから、見当たらないのも仕方ない。

 楽しみは明日の晩にでも。ぶどう酒と一緒に。


 部屋に戻ると出迎えたのは蓄音機の前にちょこんと座ったエメリアの白い横顔。暖炉の火に少しだけ輪郭は赤くなりますが。頭には髑髏を乗っけて。

「あら、おかえりなさいませ」

 振り向いた少女の笑顔よりもまずその格好を何とかしないとね。遊女ではあるまいし、老婆の頬も引きつるというものです。

「お洋服を着なさいな。そのままじゃ風邪をひいてしまうわ」

「でも、風がとっても気持ちよかったんですもの」

「ここはお部屋の中よ。風なんて吹いているものですか」

 小さなタンスに向かう老婆にむーっと頬を膨らます少女の瞳は、キラリ赤の光を湛えて。手にもつ銀の凶器もキラリ。

 髑髏を床に置き、はだしでそっと近づくと、老婆の耳にも足音は入らないのです。

 タンスの中に手を突っ込んで服を漁る、無防備な姿。

 耳だけこちらに向けていても、蓄音機の音に混じった少女の忍び足は拾えない……徐々に距離は無くなる。

 あと一歩。

「つかまえたっ♪」

「ひゃあああ!」

 歳に似合わず可愛らしい声が出るものだ。少女はクスクス笑っていた。

 ふかふかの首元に這う少女の白腕は、まるで蛇のよう、ズルズルと首に巻きついてはなさないのです。

 内股に足を伸ばし絡ませると、逃げようったって簡単にはいきません。

 ひしっと寄せられた身体は暖炉の熱で思いのほか暖かい。けれどそこは厚い鱗に覆われた肌の老婆。少女のぬくもりを感じるには頬を寄せてもらうほかありません。

 なので少女は頬を寄せ、老婆の耳をハミハミしておりました。

 握ったナイフを老婆の目の前にちらつかせるのは無意識からの行動か。

 けれど気が気でないのは老婆、彼女少し震えていました。

「今晩は、そのふかふかの耳を枕にして寝るのもよさそうね」

 悪戯な言葉が老婆の耳に飛び込みます。

 けれど、無邪気というには少しだけおいたが過ぎるようで、寝巻きを無言でポンと渡されました。

「お洋服も着ないような子は、ベッドじゃなくてお外の草の上に寝転がった方がいいわね」

「あっ、それも気持ち良さそうね。虫さんが寄ってくるのはご遠慮願いたいけど」

「はいはい、お馬鹿な事を言ってないで早く着替えをおし。みっとも無いったら」

「は~い」

 渋々部屋の真ん中へ引き下がる少女を、じっと見たまま老婆は胸をなでおろしました。

 いつか自分も狩られて肉にされてしまうのではないかと、その恐怖は蓄音機の声を歪めます。

 ケタケタと、耳にしみこむような狂気を湛えた声で。

「ほらつかまえた♪」と、笑っていました。


 そうこうしている間に……少女の着替えが済んだようです。

 白銀をした絹の布地が、テカテカときらめき、立ち上がるとフワリ広がります。

 薄い羽衣のような衣装は、ちょっぴり透けてて、さっきよりもちょっぴり大人。

 背中見て、お腹見て。くるり一回転。

「よしばっちりね。おばあさま。早くお夕飯にしましょ?」

「待ってて、今二階から下ろして来るから」

「うふふ。柔らかい小さなお肉。今朝から楽しみでしたの……まだ少し浅いかな。でも癖があって美味しいかもしれませんわね」

 んむーっと人差し指押し当て、唇の端からは涎も落ちそう。

 ディナーは待ちに待った柔らかなお肉だそうです。この森ではあまり手に入らない特別なお肉で、今朝見かけてつかまえておいたのだそうな。

 まだかな、まだかな。

 座る事も忘れ、二階の入り口をじっと見ていた。



★★


 夕食が始まる。テーブルを部屋の隅から引っ張り出し、二人は椅子に腰かけ食卓を囲む。

 向かい合い、見つめるのは大きな皿に乗った美味しそうなお肉でした。

 内臓は抜き取られ、頭は無くて、足は太ももまでしかありません。

 表面はこんがり狐色に焼かれているものの、その形ははっきりとしていました。

 まだ幼い少女、あるいは少年なのでしょう。グッと握られた小さな手から伝わる苦痛は、計り知れません。見てられません。けれど、少女は何の遠慮も無くナイフを突き立て、切り取った肉を口に運びます。

 もぐもぐ。

「んっ。美味しい。ねえおばあさま、美味しいですわね」

「そうね……」

 老婆の手はゆっくりと動きます。

 今日は突然の来客もあったせいで、お腹一杯になるくらい間食をしましたから、仕方ありません。

 それをちょっとだけ後悔しつつ、目の前でがっつく少女に微笑みかけます。

「入るだけ食べていいわよ」

「んむぐはぐ……ふぁい」

 口にものを入れたまま喋る姿は、ワイルドな森の獣そのものというのでしょうか。

 健啖。健啖。「可憐な」という言葉もはだしで逃げ出すほどに。口のまわりに付いた汚れも気にせず、どんどん食べます。見事な食いっぷりです。

 泉の水をコップでググッと飲み、まんまるお腹をポンと叩く。

 まだまだ入りそう。少女の手は止まりません。

 太ももからお腹へ。

 お腹から胸へ。

 そして今は腕を食べ進んでいます。右半身は腕を残してすっかりと肉がそぎ落とされました。

 露出したあばら骨は綺麗にアーチを描いています。

 少女は指を一本づつ、根元から切り離して口へ運んでいきました。

 まるで小さな口の中から指が生えているみたいに、それは奇妙な光景です。

 くにくにと動いて、指は少女の中に飲み込まれていきました。

 もぐもぐ。

 頬袋を膨らませ「むむっ」と何か口の中で遊んでいるみたい。

 しばらくしてから、ペッと吐き出されたのは綺麗に肉を落とした指の骨。

「軟骨はまだ食べられるわよ」と、老婆は爪の先で指し示しますが、少女は「硬いから嫌い」と言って次の指を頬張ります。今度は中指。さっきより少しだけ大きめに、頬が膨らんでいます。

 天真爛漫とはこの子の事を指す言葉なのでしょう。ですが気品はちょっぴり控えめに。見た目だけならばそれこそ、大きなお屋敷に住んでいてもおかしくないくらい美しく煌びやか。

 けれども、マナーのマの字も知らないくらい野生的。そこがチャームポイントでもあるのですけれど。


「ごちそうさまでしたわ」

 綺麗さっぱり皿の上のご馳走を平らげた。もう入らない、お腹一杯。途中から老婆も加勢し、おお捕り物となりました。久しぶりに食い扶持のある食事で、二人とも大満足のご様子……ちょっと苦しいかな。

 背もたれに体重を乗せ、パンパンに張ったお腹をなでる少女。純白の寝巻きを押し上げて膨らみ、まるでメロンがそこに隠れているみたい。小さい身体がボールみたい。

 老婆も老婆で「ちょっと食べ過ぎたわ」とベッドに寝そべります。穴の開いたお洋服は明日繕ってもらおうかしら? なんて考えていると、トコトコと歩み寄る足音が一つ。

 ぐわんとベッドがゆれました。

「おばあさま。食べてすぐに横になるなんて。はしたないですわ」

「まあ、あなただって同じじゃない。お行儀の悪い子ね」

 並んで互いに嫌味を言って、クスクス笑って、仲良くごろんと寝転がった。

 老婆は、角で少女の目を突かないように、ちょっとだけ頭を離して横を向きました。

 視線は隣にいる愛娘の横顔に。

 少女は天井見つめたまま、ボーっと考え事をしているみたいに、目は閉じられていました。

「毎日、このくらいたっぷり食べられたらいいのですけれど……」

 少女の小さな手が、服をめくってその下にある大きなお腹をさすります。さらさらとした肌の気持ちよさ。張りのある肌をちょっとだけ強めに押すと、口からぷふっと吐息が漏れます。

「この半分くらいで、いいかもしれませんわね」

「うふふ。そうねぇ。明日は少し量を減らそうかしら」

 すりすり。肌を擦りながら少女はコクッと頷いた。

 しばらくそうやって、動かないままベッドに背を乗せていたら、眠くもなってくるものです。

 うとうとし始める少女に、老婆は片手を差し出しました。

 鱗に覆われていない掌。綺麗な肉球がぷにっと少女の枕になりました。

 ふわふわの毛じゃないけれど、これはこれでいいものです。すぐに少女の顔も蕩けて、今はもう夢の中に。

 スゥスゥ……。

 金色の髪を老婆はそっと撫でてあげました。


 ――ああ、かわいそうな子。

 瞳から、頬を伝い、真珠のような粒がぽたり。

 ――おやすみなさい お父様 お母様

 どんな夢を見ているのでしょう。

 その微笑みはとても柔らかで、悲しげで、美しかった。

 ――どうしてわたしを置いて行ってしまわれたの?

「おやすみなさいエメリア……私の愛しい娘」



 帰ってこない両親を追いかけ、深い森の中。

 わたしは子供、足も遅いったら。

「わたしはここよ♪」あの日からずっと言い続けても、「グルーミーグルーミー♪」陽気に歌い続けても。

 薄暗い森の中で、おばけに拾われて子供のまま終われないまま。私は一人。

 ここにならずっと居たっていいの。暖かいお食事も、綺麗なお水もお洋服も。優しいお母様だっていらっしゃるわ。今は二人。

 もう終わりは無いの。あの日からずっと。

 陰鬱な森の、薄暗い森の、希望の無い夜は明けないまま。ずっとそこに張り付いたまま。

 魔法の森、グルーミーフォレストに抱かれて、ぐっすりとおやすみなさい。

 ゆりかごはいつまでも揺れてるから。

改行の誤りを一部修正

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