第六話
【同刻 王都ルナティア 王宮】
聖兵の反乱を受けて、王宮周辺は厳重な警戒態勢が取られていた。
王宮守護を担当しているのが、軍の精鋭で編成された千人の『王宮衛士』である。
それを統率する『王宮衛士長』の権限は、武官十二級の四級官位に匹敵し、武官の中でもなかなかの権限を持っているのである。
王宮の応接室で笑い声が響いていた。
「その手で来たかぁ」
「いかがでしょうか?」
「騎士を取れば、歩兵と騎兵に取られるかぁ。はっはっは、こりゃ困ったなぁ」
二人の男が駒取をやっており、周りでは女侍たちが食べ物や飲み物を運んできている。
高雅な椅子に腰かけている尊老の横には、一人の魔術師が常に控えている。
「おや、また酒が運ばれてきよったわい。これで何本目だ?」
魔術師は機嫌を取るかのように振る舞っていた。
「騎士で、再び王手をかける気だなぁ」
尊老の言葉に、駒を打った中老は少し微笑んだ。
「式部卿、焼酎です。また飲めますぞ」
魔術師が、不敵な笑いを交えながら酒を勧めた。
それに対して「そうですな」と、式部卿と呼ばれた中老は笑いながら答えた。
「何をしておる。駒取の相手は何処へ消えたぁ?」
尊老が式部卿に問いかけ、式部卿が盤を見たときには形成は逆転していた。
「これは弱りましたなぁ。よそ見をした隙に、逃げ場が無くなりました」
式部卿はそう言いながら、一手を指した。
尊老は愉快に笑っていた。
「まだ酒が足りないようだ、酒が。もうすでに二本開けているというのに、まだ飲み足りないという顔をしておる」
すかさず魔術師が尊老に問いかける。
「陛下、もっとお注ぎいたしましょうか」
「そうしよ。まだ酒が足りないようだ」
この尊老こそ、フラドル王である『デルマ・エッフェルド』である。この時七十四歳であった。
十七歳で初陣を飾り、二十四歳で王位を継承。
戦場に出れば連戦連勝で、その軍略と武芸によってインデグラル軍を圧倒したことにより『夜叉王』と恐れられた名将でもある。
また抵抗勢力への容赦の無さも、異名の理由でもある。
しかし、数年前の嫡子急逝によって一気に老け込んでしまい、かつての姿は微かに見えるほどとなった。
「はい陛下。さあお注ぎしましょう、イルテ式部卿」
「あぁこれはこれは」
イルテの盃に焼酎がなみなみと注がれ、イルテは魔術師とフラドル王に礼を言い酒を飲んだ。
「そなたはかなりの大酒飲みだ。その焼酎はかなり強い。二本開けておいてけろっとしておる」
「そんなことはありません。酔っぱらってしまい、前がよく見えません」
イルテは笑いながら、身振り手振りをつけていた。
「どんどんゆけ。さて。これでどうだ!」
フラドル王が気迫のこもった一手を指した。
「あぁそんな。それではわたくしはこうやって逃げるしかありませんな。あぁ酔いが回ってきました」
イルテはそう言いながら、身体を前後に動かした。
フラドル王は少し険しい顔になる。
「白々しい真似を。何が酔いが回っただ。しっかり逃げておるではないか。ん?」
イルテは戯けた顔でフラドル王を見た後、にこっと大声で笑った。
魔術師も不敵に笑っている。
「いやぁ、お察しください」
フラドル王もすこし微笑んだ後、魔術師の名を呼んだ。
「マーレグ」
「なんでしょう」
「私にも酒を注げ」
「はい陛下。かしこまりました」
マーレグは、フラドル王の右手側に移り酒を注いだ。
「そうきたか・・・」
巧く逃げるイルテへの一手を、フラドル王は考え始めた。
その頃、王宮の門前にオレサー=ポア城から若者を先頭に一団がやってきた。
若者は素早く馬から降り、衛士長に挨拶をした。
「ご苦労だな」
「これは、ルウン様」
ルウンと呼ばれた若者は、周辺や兵士の表情を一通り見た。
「客人がいるのか?」
「式部卿、イルテ・ギュート様がおいでです」
「ああそうか。入るぞ」
衛士長は一礼し、入宮を許可した。
そのとき、後ろからまた一団がやってきた。
ルウンが後ろを振り返る。
ルウンの部下は、先頭でやってきた馬上の男に一礼し脇へ退いた。
男は馬を降り、ルウンに一礼した。
「これはルウン様」
「ああビアロ公爵か、忙しいそうだな。父上が、聖兵の反乱事件をそなたに任せたと聞いた」
「此度はそのように。ルウン様が、内務省のお仕事でご多忙なため、此度の件は私にお任せになったようです」
それを聞いたルウンは大声で笑った。
「そういうことか。はっはっは」
王宮では、まだ駒取が行われていた。
イルテは、注がれた焼酎をどんどん飲んでいく。
「さて、先ほどまで調子が良かったが、一体どの手でいこうか、とんと思い浮かばん」
イルテは盤を再確認し、マーレグは盤の真横に立って様子をうかがっていた。
「こっちもあれだし、あっちもあれだし。ふん、これでは王国の政治と同じだ。やれやれ」
その言葉を聞き、イルテは微笑んでいた。
「ところで、ギュート。そなたは一体いくつ雅号があるのだ?」
イルテは恥ずかしそうに、顔を下に向けた。
「ある時は、『月痴画狂』と呼ばれたり、またある時は『詩狂老人卍』とも呼ばれたりするそうだな。その『卍』とは何だ?」
「大した意味は。ただ酒を好み詩を愛し、また様々な芸術を嗜むということで、暇な人たちが付けてくれました」
「ほほう、そうか。これはなんとも愉快な話ではないか」
そういうと、フラドル王の顔は徐々に下を向いていった。
「もう私は、旅立つ日も遠くない。そなたのように、好きなことをしてのんびりしたいものだ」
「フラドルは、陛下がおられることでこうやって成り立っております。陛下の肩に将来がかかっておるのです。のんびりされる暇などございません」
イルテは真剣な顔で申し上げた。
「これこれ。そなたも、世辞がうまいのぉ」
「お世辞ではございません」
イルテの言葉に、マーレグはにっこりとしていたが、フラドル王の声はどんどん重くなっていく。
「私あってこそのフラドルと、民が思っておるのなら、何故千人を超える聖兵どもが、私を殺そうと、真夜中にロリマリア北門を破って攻め入ったのだ」
イルテは言葉に一瞬詰まったが、フラドル王の目を見ることはせずに答えた。
「それは、考えの足らぬ輩がおるからです」
「さ、左様でございます。近頃の聖職者は皆愚かな者ばかりで、悉く腐っております」
マーレグはすぐに便乗したが、フラドル王は否定した。
「いや、違う。私もすっかり老いてしまった。気づけば、民の声を聞く耳も遠くなり、世の中を見る目も霞んでしまった」
その言葉を聞いた二人は、何も言えなかった。
「だがこれでも、民のためによく働いたのだが・・・」
フラドル王は天を仰いだ後、盤上の駒を手で散らした。
「これは、どう見ても引き分けだ。だろ?引き分け」
フラドル王は二人を見て確認した後、駒を初期位置に並べ始めた。
「へ、陛下。きょ、今日は酔っ払い過ぎました故、この辺で」
それを聞いたフラドル王は、手で座るように振った。
「酒ならいくらでもある、案ずるでない。そなたはほら、そう後四、五本飲まねば、本来の腕前を発揮できぬではないか。マーレグ」
「はい陛下」
「もう一杯注いでやれ」
「かしこまりました」
イルテは手を開いて前に伸ばし、止めるような手振りをしたが、フラドル王の手前強く出ることはできなかった。
そんなときである。外から衛士長の声が聞こえた。
「陛下、ルウン様とビアロ様がお見えです」
それを聞いたフラドル王は、険しい表情になった。
「通せッ!」
女侍が部屋の扉を開けようと動くと同時に、イルテも脇に退いた。
扉が開かれると、ルウンとビアロが立っていた。
二人は一礼し部屋に入ったが、フラドル王は二人を見ようとしなかった。
「父上、ビアロ公爵によると聖兵の反乱はほぼ鎮圧したそうです。ご安心ください」
「その通りです。中心となった者たちは、殺すか捕縛しました。今後、さらに反乱の中心人物を尋問し、反乱の内幕を明らかにします」
フラドル王は閉じていた目を開くと、脇に退けているイルテに駒取を続けるように言った。
「陛下、今日のところはこれで」
「ほれそこにさっさと座らんか」
「陛下、お二人の報告が」
それを聞いたフラドル王は、二人を見た。
「国を治めていれば反乱なぞ珍しくない。権力の座に身を置くものは、絶えず命を狙われるものなのだ」
その言葉に、その場にいた全員が驚き、フラドル王を見た。
「そんなことより、ほれ例の、進めておった『兜網毬』大会はどうなっておる」
「反乱が起こった故、延期しました」
ルウンの言葉を聞いたビアロがすぐに言葉を付け足した。
「ですが、一週間ほど前に全国に触れを出しました故、参加者が王都に集まってくるでしょう」
フラドル王は安心した表情で膝を叩いた。
「そうかそうか。近頃ときたら、何の暇つぶしもなかったからな。今から大会が楽しみでならんよ」
フラドル王は身を前に出しながら喜んだ。
ルウンはその様子を見て安心した。
「ところで、マーレグ」
「はい何でしょう」
「召集令状はいつ送った」
フラドル王の声が一気に重くなった。マーレグは黙っている。
「ノンドルギアに送った召集令状の事だ。前線のアドルフを呼びに送っただろう!」
ルウンとイルテは目を見開いて驚き、ビアロとマーレグは分からない程度に微笑んだ。
「はい陛下。反乱軍を尋問したその日に送りました」
マーレグはルウンを一回見て、言葉を続ける。
「つまり、二日前でございます」
それを聞いたフラドル王は深いため息をついた。
「井戸の深さは測れても人の心は測り難いと言われる。まさにそうだな」
ルウンが恐れながらもフラドル王に問う。
「私の義父をお呼びとは、どういうことでしょうか」
「そなたの義父が、私の命を狙ったそうだ」
ルウンが「父上」と言うが、フラドル王は続ける。
「恐らく、権力への欲が湧き上がったのだろう」
「父上、父上それは誤解です。義父は絶対そのようなお方ではございません」
ルウンが必死に庇うが、フラドル王は深くため息をついた。
「大昔から権力を前にすると、親も子もなく、兄弟もなくなると言う。ましてや、義父なら尚更であろう!」
ルウンは何も言えなかった。
「まったく、そなたらのせいで気分が台無しだ。おいギュート」
「はい陛下」
「座れ。一杯飲んで、一局相手をせよ」
フラドル王の声からは、どこか悲しさを感じられた気がした。
「はい陛下」
ルウンは必死に考え、どうにか義父を守ろうとしている。
「父上、義父は今前線でインデグラル軍と戦っています。しかも、フラドル軍のノンドルギア方面軍総司令です。前線の総司令を呼び戻すには、何百何千と令状を送らねばなりません。父上」
ビアロはルウンの顔をチラリと見、フラドル王は険しい顔を変えなかった。
「此度の尋問は、そなたの隣に居るビアロが行ったものだ。ビアロの話が嘘だというのか」
ルウンは言葉に詰まり、何も言えなかった。