第三話
ウォンドの話を司教たちが聞いていた頃、ノーリと師匠はトンバルーに下りていた。
「いつもは先に聖堂に向かうが、今日は早く着いたし後でも良いだろう。さきに売りに行くぞノーリ」
「はい師匠。今回は冬にしては大量でしたから、結構なお金になると思いますよ」
トンバルーの民は、食料をたまにやってくる行商人か師匠から購入しているため、定期的に山から食料を格安で売ってくれる師匠の存在は必要不可欠である。
「お、師匠さん、今日の品は何だい?」
村で食料を商っているおじさんが、師匠に商品の内訳を聞く。
「兎が兎が五頭に、薬草が五貫ってところだな」
「う~ん、それなら銀貨十枚で」
「もう少しするだろう。銀貨二十枚」
「いやいや、せめて十五枚!」
親父も師匠もなかなか妥協しない。
「銀貨十八枚で!」
「いや、十七枚!これが限界ですよ師匠さん」
「なら銀貨十七枚で」
「まいど!」
結局師匠は、兎五頭と薬草五貫を銀貨十七枚で売った。
貨幣の相場は、金貨一枚で銀貨五十枚、銭貨四〇〇〇枚。つまり銀貨一枚で銭貨八十枚である。
当時、一般的な料理屋で丼一杯を食べるのに銀貨二十枚が必要だったため、師匠はだいぶ良心的であったと言える。
「よし、銀貨も手に入ったし、何か食べていくか」
「良いんですか師匠。貯金されていたはずでは」
「今日は特別だ。あの店で饅頭でも食べよう」
今日は、偶然饅頭屋も村に来ていた。
当時の饅頭は、小麦の不作が続いたため食用の葉っぱなどを混ぜ、嵩増ししていた。さらに具が入っていることは少なく、砂糖は高級品だったため当然入っておらず、甘くないことで有名だった。
そのことを以前聞いていたノーリは、とても心配であった。
「師匠。饅頭と言うものは美味しくないと聞いたことがあります」
「大丈夫。あの店は当たりだよ」
師匠は迷いなく饅頭を購入した。一個銀貨二十枚と高価であった。
店には椅子が設けられていたため、二人はそこに座り、皿に乗った饅頭を手に取った。
「師匠!聞いていた話と違って、饅頭が白いです!」
「中に餡子も入っているし、ほのかに砂糖の甘い匂いも感じる。やはり当たりだったな」
師匠は誇らしげにノーリに語ったが、ノーリは初めて見た饅頭に感動しており、師匠の話を聞いていなかった。
「はぶっ!」
饅頭にかぶりつく。まず感動したのは柔らかさである。
食感はとてもふわふわとしていて、ノーリの人生では経験したことのないほどの柔らかさだった。
次に、生地の甘味が舌を優しく撫でる。そして、キレのある餡子の甘味が味を引き締める。
人生初の饅頭に、ノーリは自然と涙した。
これまでの人生、獣肉や山菜、木の実しか食べたことのないノーリにとって、饅頭は特別な食べ物となった。
「師匠、ありがとうございます」
師匠は黙ってうなづいた。
弟子が、美味しい饅頭を食べることが出来たのは、師匠にとっても嬉しいことだった。
「あ、そういえば司教に渡す食材も全部売っちゃったな」
師匠は、普段村に下りた際には、司教に山菜などを分けているのである。
「安心してください師匠。ちゃんと司教様の分は保ってありますから」
「そうか、流石だ。もっと食べなさい」
ノーリの成長を感じた師匠は微笑んでいた。師匠は最近、ノーリが健やかに成長している様を見ていると、まるで本当の親のように嬉しくなっていた。
「カンカンカンカンカン」
その師匠の感情をあざ笑うかのように、早鐘の音が村中に響いた。
ノーリは不思議そうな顔をしているが、師匠は不穏な雰囲気を察知していた。
「危険を知らせる鐘だ」
師匠は立ち上がって、鐘の鳴る方を確認すると、走り出した。
ノーリも、饅頭をほおばって師匠に付いて行った。
早鐘の鳴る村の広場には、村中の者が集まっていた。
鐘は聖職者が必死に鳴らしていた。
広場の者たちは「何があったんだ!」「こんなことは初めてだ!」「何だよ!」と早鐘の鳴っている理由が分からず困惑していた。
ただ事ではない、何かが起きた。皆それだけは理解している。
師匠はすぐさま周辺の状態を確認した。
早鐘を鳴らすときは大きく二つ。災害などの緊急事態を知らせる場合と、敵等の脅威が迫っている有事の際に避難を知らせる場合である。
山間で起こり得る土砂崩れなどの兆候は見られなかったため、師匠は脅威が迫っていると判断した。
「皆さん逃げてください!早く!逃げてください!」
師匠は村人の背中を押し、急いで逃げるように促した。
村人が大体広場からいなくなったのを確認した師匠は、ノーリの手を強く握った。
「ノーリ、今から私は聖堂に行く。お前は急いで小屋に戻りなさい」
「しかし・・・師匠」
「意見は聞かん。急いで戻れ。さぁ!」
師匠の口調は厳しく、ノーリの背中を強く押した。
「師匠」
ノーリは師匠を心配しつつも、言われた通り小屋への道を戻っていった。
それを確認した師匠は、聖堂へと駆けていった。
聖堂でも、クドルムが召集の鐘をならし聖職者たちを集めていた。
皆、手には棒を持っている。有事のための備えである。
「皆、村へ下りるのだ!王都の兵が直にやってくる。急げ!早く村の者たちを逃がせ、良いな!」
「「はい!」」
聖職者たちが次々を村への階段を下りていく。
「おい!師匠殿の姿がない!師匠殿ォ!」
「司教様、使いの者によると、既に小屋にはおられませんでした。恐らくは村の方におられるかと」
「なんと・・・」
「司教様行きましょう。さぁ!」
階段を下り始めた司教の目に、村に向かってくる兵の姿が見えた。
「大変です!もう兵が来ました。司教様、お逃げください」
クドルムの言葉を聞いているのかいないのか、司教は階段を下り始めた。
師匠がノーリと別れた頃、村の入り口には総勢二十人の兵がやってきていた。
兵士の姿を確認した村人たちは慌てふためいていた。
隊長と思われる男が、手を振り下ろして突撃を指示し、騎兵が先行して通りを逃げる村人を斬り殺していった。
「おいお前ら!逃げる者は躊躇なく殺すぞ。全員一か所に集まれ!さっさとしやがれ」
「逃げるんじゃない!」
兵士たちが集まるように指示するが、村人たちは捕まれば終いなので逃げている。
通りの騎兵を恐れ、住居区画に逃げ込んだ村人は歩兵によって殺されていった。
殺し方は残虐で、女子供も容赦はなかった。
殺戮という言葉が相応しいほど、村は血の海となっていった。
武器を持たないノーリも、逃げるので必死だった。
住居区画を巧みに抜けていったノーリだが、死角から飛び出して来た女子とぶつかってしまった。
「大丈夫?さぁ手に捕まって」
後ろから兵士が迫っているため、ノーリは女子の手を引っ張りながら、再び走り出した。
目の前で繰り広げられる惨状に、思わず女子が悲鳴をあげる。
ノーリはいったん壁に背を着けて、通りを見た。
親から引き離され泣いている女児が、兵士に連れていかれそうになっていた。
行かねばという思いで行こうとするが、女子が制止する。
女子は目に涙を浮かべ、顔を横に振っていた。
彼女には女児が見えておらず、ノーリが自分を見捨てるのだと勘違いしていたのである。
そのようなことをしていると、先ほど鐘を鳴らしていた聖職者が、兵士に突進しぶっ飛ばした後、女児の手を握って逃げるのが見えた。
ノーリは安心し、再び住居区画を走り出した。
しかし、先ほどの聖職者の行為が裏目に出てしまう。
聖職者の姿を確認した小隊長が、部下に村を焼くように命令したのである。
「ダブ、この村は逆賊の村だと判明した。焼き払ってしまえ」
「はい、小隊長」
部下は、火矢や松明を家屋に投げ燃やし始めた。
「小隊長、あそこの聖堂へ行け。隅々まで調べ、隠れている聖職者を引きずり出せ!」
「承知しました中隊長。行くぞ!」
中隊長から命令を受け、小隊長が聖堂へ向けて駆け出した。
村の広場近くで、聖堂から下りてきた聖職者と兵士たちが対峙した。
前列の兵士が、止まるように命令する。
その状況を、偶然通りがかったノーリは見ていた。