第一話
【神誕歴一一六四年 二月二十六日 フラドル王国 とある高地】
雪積もった高地を、一人の男が傷ついた体に鞭を打ち走っていた。
吹き付ける風は強いが、男は後ろを振り向くことはあっても走ることをやめようとはしない。
男は白い息を吐きながら、必死に走っている。
目の下には隈があり、足取りは重い。
「!?」
男は雪で隠れていた段差につまずき、被っていた頭巾が風で飛ぶ。
頭巾が回収できないことを悟ると、男は再び走った。
二時間後、男の通った道を駆ける十騎の騎兵の姿があった。
彼らは、王都からやってきた兵士である。
先頭を駆ける兵士が何かを見つけ、馬を止める。
「聖兵の頭巾です、小隊長」
小隊長と呼ばれた男が頭巾を確認し、部隊に足跡を追うように命令を下した。
神誕歴一一六四年、フラドル皇太子が急逝して四年目の冬、聖兵の反乱が起きた。
このときフラドルは、再侵攻してきたインデグラルと戦いを繰り返しており、戦いには聖職者も動員されていた。
当時、フラドルの政を司っていたのは、『夜叉王』の名でインデグラル軍に恐れられたデルマ・エッフェルド王である。
デルマは、二十四歳で王位継承してすぐ、国を立て直そうと大規模な改革を行い、混乱していた政局を安定させた。
しかし、三百年近く疲弊していた経済を立て直すことは出来なかった。
結局、デルマの改革は恐怖政治につながり、既存勢力の抵抗と反発を呼んだ。
反発した勢力の中には、聖職者もいた。
【ショルパート地方 トンバルー】
ショルパート地方はフラドル北東部にあり、果実酒の名産地として知られている。
南西へ進めば、フラドルの王都が目前となるため、十六年前の休戦まで両軍が激しく拠点の攻防を繰り返していた。
トンバルーは、西ショルパートの山間にひっそりとある、人口一五〇人ほどの小さな村だ。
元々この場所は、小さな聖堂以外何もない土地であったが、十年前から社会的弱者が安住の地として訪れたことにより、村が形成されていった。
さらにトンバルーから少し山に入ったところに山小屋が一つあり、近くの開けた場所で、二人の人間が木剣で打ち合っている。
一人は、当時十三歳のノーリという少年。この山小屋で剣術、体術、学問等を学びながら生活をしている。
もう一人は、ノーリにそれらを教える師匠と言える人物。本人が一切名を名乗らないため、ノーリはその人物を『師匠』と呼んでいる。
ノーリが師匠に次々と打ち込んでいくが、師匠はそれを全て防ぎ、一定の距離を取った後、目にも止まらぬ速さで間合いを詰め、上段からノーリに鋭い一撃を放った。
ノーリはそれをどうにかいなし、がら空きになった師匠の胴に打ち込もうとする。
「くっ」
それを察した師匠は身体を捻りながらそれをかわし、再び距離を取ろうと下がった。
しかし、ノーリはすぐさま跳躍し師匠との間合いを詰め、全身に隈なく連撃を加えた。
不安定な体勢ながらも、師匠も応戦する。
目にも止まらない速さで、両者が打ち合っている。山には、木のぶつかる音が絶え間なく響いた。
連撃の精度はノーリが勝っていたが、体力面において師匠に劣っていた。
次第に連撃の一撃一撃の威力が落ちていく。しかし、師匠の一撃は変わらず重かった。
(このままでは負ける)
ノーリはすぐさま下がり、師匠の間合いから逃れようとする。
だが、ノーリの体力の限界を知る師匠は追撃を止めず、ノーリの頭めがけて鋭い突き何度もを放つ。
「はぁ!」
距離を置けないことを悟ると、ノーリは突きを全てかわし反撃の一手を考えた。
師匠は突きをかわされると、すぐさま足に連撃を加えた。
ノーリはそれをなんとか防ぎ、次に放たれた下段からの斬り上げも回転跳躍しながらかわし、距離を取った。
弟子の成長を目の当たりにした師匠は微笑んだが、ノーリはその一瞬で呼吸を整え、一気に間合いを詰めて、師匠に様々な技を織り交ぜた連撃を加えた。
不意を突かれた師匠は、胴、足、小手は防いだものの、最後の首への突きに対応できなかった。
ノーリの木剣の先が、師匠の喉元すれすれで止まる。
初めて師匠から一本取ったことに、ノーリの顔には思わず笑みがこぼれた。
「ガサガサ」
ノーリの右斜め前の茂みから音がした。ノーリは注意は茂みに向く。
その瞬間、師匠はノーリに足払いをし、倒れたノーリの胸に剣を向け笑った。
「隙を見せるな。棒だろうが剣だろうが、何を持っているかは関係ない。肝心なのは集中だ。上の空では戦えんぞ」
「はぁ・・・うっ・・・わかりました。とても師匠には敵いません」
「当たり前だ。お前に負けたら、私の立つ瀬がないだろう。もう十年間教えているんだ。上達したな」
師匠はそう言いながらノーリに手を貸し、ノーリはその手を握って起き上がった。
師匠の手は温かく柔らかかった。
二人は笑った。師匠はノーリの成長を喜び、ノーリは師匠から学べることがまだあることを喜んだ。
「さて、今日の剣術はこれで終わりだ。行こうノーリ」
「はい師匠!」
剣術の後は小屋で学問等を学び、そして食料などを買いに村に下りる。これがノーリの生活である。
小屋は大変質素な木造建築で、それほど多くの物はない。
師匠は、山で採れる動植物を売って生計を立てていた。
「防城側は五〇〇。対する攻城側は四五〇〇。誰がどう見ても、城は劣勢だ。さて、お前ならどう守る?」
「はい。まずは周辺の友軍に救援要請を送り、敵が殺到しやすい東と南の守りを固めます。あとは、城壁で弓や石を放って持久戦に持ち込みます」
「ちっちっち。教えた通りを繰り返しているだけじゃないか。いいか、策というものは戦場で経験し、培っていかなければならない。それが兵法だ」
師匠は少し厳しめの口調だった。
「そのような型通りの答えでは、弱点を突かれやすいというものだ」
「はい・・・師匠」
ノーリは少し落ち込んだ。型通りの策は多くの場面で使えるが、弱点も多い。
そのことを教えられた。
「まったく、憎めないやつだ・・・戦術や戦略というものは、相手の考えを読むという事だ。資質がないと到底読み切れない。お前にはその資質がある」
師匠は柔らかく温かい笑顔になっていた。
「前世では、名のある将だったのかもしれないな」
ノーリは照れた顔を隠そうと下を向いた。
「ブヒーッブルブルブル」
猪の声が聞こえ、とっさに外を向く。
(春先で、もう猪も活動し始めているのかな)
そんなふうに考えを巡らせていると、不意に薬缶を叩く音が聞こえた。
「よそ見をするな」
師匠が注意するために叩いていた。
「あっすみません」
「それで、『志士教記』はどこまで読んだ?」
志士教記とは、騎士や上級兵士などの教育に使われる教科書である。
「はい、『中庸』を読んでいます」
「中庸とは何だ」
「『中』とは、一方に偏らないことで、『庸』は平常を意味します。真理に到達するには知恵も必要です。中庸は、それを研究する学問です」
「よしよし、一層励みなさい。今のように懸命で、真理に到達するため精進し、世の中のことを知りなさい」
師匠は優しい口調になっていた。
「だが、まず第一は、精進することだ。男として、この世に生を受け、万人のために生きるのも悪くない選択だ」
「はい、師匠」
「・・・お前はこの山奥で、ずいぶん長く暮らしている。故に世の中を知らん。この厳しい世の中で、はたしてそれが良いことなのかどうか。私にも分からん」
師匠は、何か思いつめた様子だった。ノーリは十三年の間、ずっと山間で暮らしていた。
「今は乱世だ。世が乱れすぎている。一寸先も見えない」
ノーリは、その言葉をただ聞くだけしかできなかった。
「さて、買い出しの時間だ。山を下りよう」
「はい、師匠」
二人は、採った動植物をかごに入れ、それを背負って山を下りた。




