第九話
【同刻 王都ルナティア ルウンの屋敷】
ルウンの屋敷を、トンバルーから帰還したアルザム中隊長たちが報告に来ていた。
屋敷の門が開かれ中隊長たちが入ると、屋敷の奥からドニが出てきたためアルザムたちはドニに一礼した。
「おう戻ったか」
「はい大軍佐」
「特に何もなかったか?」
ドニの問いに、アルザムは少々困った顔をした。
「それが、少々厄介な事がありまして。連行した聖職者の中に、聖皇の弟弟子がおりました」
ドニは少し考え頷き、アルザムの肩に手を置いた。
「うむ、ご苦労だった。続きは後だ」
「はい大軍佐」
アルザムたちは一礼し、ドニは屋敷の奥へと戻っていった。
屋敷の奥では、ルウンとその部下が卓を囲んでいた。
そこに、中隊長からの報告を受けたドニが戻ってきた。
ドニはルウンに一礼し、兵士の帰還を報告した。
「乱を鎮圧した兵士が戻りました」
ルウンは頷き、ドニは席に座った。
優男が、ドニが席に座ったのを確認して発言した。
彼の名は『ガエル・アラス』。第八級武官『小軍佐』であり、的確な助言と優れた人間を見る目によってルウンに最も信頼されている人物の一人である。
「聖兵への尋問はひと段落しそうです。今度は矛先がルウン様に向かってきそうです」
第三級文官『奉行』の服を着た男が言葉を続ける。
彼の名は『エンゾ・アティアス』。内務奉行であり、内務省においてルウンの補佐を行っている。
「事態は極めて深刻です。事件は歪曲されています。そのことは皆気づいています」
丸顔の男がルウンに話しかける。
彼の名は『フィルマン・オージェ』。第七級武官『中軍佐』であり、短期であるものの兵法に明るく、ルウンの右腕として活躍している。
「義理の父君であるアドルフ元帥が呼び戻されたと言うと事は、陛下が既に弟君のアラン様の側である事を、示しているのでしょう」
「元々妙な話でした。反乱のような一大事が起きているのに、ルウン様だけが蚊帳の外とは」
その言葉にルウンは下を向いてため息をついた。
「陛下の四人の悪臣のせいでしょう。ビアロ・デグロフォン、『バグダ・ドルトル』、『サーガ・ズシム』、そしてマーレグ・ダッグナーです」
そう発言したドニは、第六級武官の『大軍佐』であり、髭面強面に似合って冷酷な性格の持ち主でルウンを守るためには手段を択ばない人物であった。
「出来るだけ早急に策を立てるべきです。アドルフ元帥の次は必ずや、ルウン様が狙われます」
ルウンは窓の外を見て再びため息をついた。
「お急ぎください。奴らが剣を抜く前にッ!」
ルウンはだいぶ考えながらも、口を開いた。
「あの四人衆は皆、長いこと父上が目を掛けてきた家臣だ。今すぐどうこう、することはできん」
ルウンはまたため息をついた後、ドニに問いかけた。
「そうだ。聖皇様がいらっしゃったと」
「はい。尋問場に行かれました」
ルウンが不思議な顔をしたので、ドニはさらに説明した。
「ポルトという弟弟子がいるそうです」
「そうか」
ルウンは此度の反乱で聖皇が苦労していると感じ、会っておかねばならないと思った。
「ならば、会いに行かねば。さあ、早速向かおう」
「「はい!」」
彼の名は『ルウン・エッフェルド』。フラドル王であるデルマ・エッフェルドの次男で、当時十八歳で内務省の第一級文官である元老を務めるほどの秀才であった。
弟の『アラン・エッフェルド』は当時十五歳で兄と同じ元老として宮内省をまとめていた。この二人の若者の異例の就任には、フラドル王の声があったとされている。さらにアランは武官としては四級の小軍将でもあった。
この二人が争う原因となったのが、四年前の長男『ロータム・エッフェルド』の急逝である。
神誕歴一一六〇年当時、七十歳を迎えたフラドル王は、人徳があり、多くの家臣や民に愛されたロータムに二十歳で王位を継承させるはずだったのである。
しかし、ロータムは王位継承の二か月に原因不明の死を遂げてしまったのであった。
これにより、次なる王位継承と家臣の派閥争いが絡み、仲の良かったルウンとアランは争う形になってしまったのである。
次男のルウンは第三級武官『中軍将』という武人でありながら政にも長け、デルマの家臣は行く末を考えて彼が王位を継承することを恐れた。
故に家臣は、まだ幼いため操りやすく旗頭にしやすい弟のアランを担ぎ、なぜか父親であるデルマまでもが、次男であるルウンを冷遇するようになっていたのであった。
ルウンはまさに、気の休まらない緊張の日々を送っていたのである。
数十分後、尋問場の前でルウンは王宮からやってきた聖皇と出会った。
尋問場周辺は、重武装した多数の兵士が小隊で巡回する厳重な警備がなされていた。
「聖皇様」
ルウンは聖皇に深く一礼し、ルウンの家臣も共に礼をした。
それに対して、聖皇とお供の聖職者も返すように一礼をした。
「父上の所に行かれたと聞きました」
その言葉に、聖皇たちの表情が一気に険しくなった。
「ええルウン様」
「さぞや、ご傷心のことと存じます」
「これほど多くの聖職者たちがこのように、迫害を被るとは。神様に、顔向けできません」
「何のお役にも立てず、申し訳ありません」
それまで一切ルウンを見ようとしなかったお供の聖職者が、その言葉を聞いてルウンを見た。
「とんでもありません」
ルウンは軽くため息をつき目を閉じた後、ゆっくりと目を開け尋問場を見た。
「行きましょう。ご案内します」
ルウンを先頭に家臣と聖皇たちは尋問場の門をくぐった。
ルウンが尋問場にやってくる数分前、尋問場にビアロとマーレグがやってきた。
ビアロは監督席の椅子を引き、尋問官であるバグダとサーガを見た。
「尋問は済んだそうだな」
「はい、完了しました」
「報告は全て受けた。どのみち反乱に関わった聖堂だ、聖職者は全員首を刎ねてやれ」
あまりにも急な沙汰に、聖職者全員が言葉を失っていた。
「さて、一体どいつだ。陛下の元から逃げた奴隷は」
「あそこにいる餓鬼です」とバグダが棒をノーリに向けた。
「父親は立夏の乱を企てたバルトです。あの餓鬼は、その息子のノーリです」
「ノーリか」
「左様です」
ビアロはため息をつき椅子に座った。
「おいマーレグ」
「はいここに」
「逃亡した奴隷の処罰はどうなっておる」
「それはですね。通常の場合でしたら、焼き印を押して主に返すか或いは国の労役場に送る規定になっております」
マーレグは終始にやついた笑顔で返答した。
「そうか」
「ですが此度のように、国に対する叛逆事件に関わっている場合は少々異なります。まずは逃げた証として顔に焼き印を押してやり、そしてその後首を刎ねる事となっております」
話を聞いているノーリは鬼のような形相でマーレグを睨み、マーレグの非情な沙汰を聞いたクドルムが牢を叩いた。
「黙れマーレグ・ダッグナー!そんな馬鹿な話が通るか!ノーリに何の罪がある、奴隷だったことも知らない赤子が自分で逃げたと言うのか!極悪非道な魔術師め、地獄に堕ちやがれ!罰当たりめ!」
マーレグはクドルムの発言に激怒し睨みつけた。
クドルムがマーレグへの罵倒をしている途中で、ルウン一行が尋問場へと入ってきた。
尋問場の多くの人間がまだルウンたちが入ってきたことに気づいておらず、バグダが兵士に黙らせるように命令しマーレグはクドルムに叫んだ。
「生意気な聖職者め。なぜ寄ってたかって私ばかり目の敵にするんだ!」
そこまで言ったときにルウンがマーレグの目の前までやってきたため、マーレグは慌てて一礼し口をつぐんだ。
突然のルウンの来訪にビアロも立ち上がって一礼した。
「これは、ルウン様がなぜここに。聖皇もご一緒で」
「はい、そうです」
「もしやポルトという司教に、会いに来たのですか?」
「左様です」
聖皇が兵士に抑えられている司教を見て、再びビアロを見た。
「陛下のお許しをいただきました」
それを聞いたビアロはノーリの方に向き直った。
「それでは刑の執行だ。これまで連日尋問が続き、皆疲れている。先ほど言った通り聖職者は全員川辺に連れていき、首を斬る。あの奴隷はマーレグの言う通り、顔に焼き印を押した後首を刎ねてやれ」
「承知しました」
ビアロの執行内容を聞いたルウンたちは全員驚いた顔でビアロを見た。
ビアロの命令を聞いた兵士が、熱々に熱せられた焼き印を取り出した瞬間だった。
「お止めください」
全員が声の方を見る。声の主は聖皇だった。
「先ほども申した通り、私は陛下にお会いしました。陛下はまた改めて処分を下すと仰せでございます。それ故暫し、刑の執行はお待ちください」
「陛下が?」
「左様です」
尋問場を見渡しながら発言した聖皇に対し、ビアロは怪訝そうにため息をついた。
「何と言うことだ。聖皇が直々に頼めば、陛下も応じましょう。しかし、念のために確認します。まずは法通り、顔に焼き印を押すのだ」
「はい、只今」
一旦置かれた焼き印が再び取り出され、兵士がそれを持ちながらノーリに近づいた。
兵士がノーリの目の前にやってきて、焼き印を顔に向けて伸ばしていく。
迫る焼き印を目にしたノーリは憎悪のこもった目で兵士を睨んだ。
その場にいる全員がノーリと兵士に注目していた。
ノーリはその視線をビアロやバグダたちに向け、歯を食いしばった。
そして再び視線を兵士に戻し、その強烈な気を兵士の目に叩き込んだ。
兵士はたじろいで数歩下がってバグダたちの方を見た。
「何をしておる!早く焼き印を押せッ!」
「はい、只今」
兵士が再びノーリに焼き印を近づけていく。
ノーリはその兵士の顔をじっと見つめ、自らの憎悪を向けた。
「お待ちください」
声の主は聖皇だった。聖皇は何歩か前に進み、ビアロを見た。
「少々行き過ぎではありませんか」
「聖皇様」
「あの者は赤子の頃に父親に抱かれて逃げたそうですな。故に私はあの者には罪があるとは思えません。焼き印を押し斬首とは、あの者も納得できないと思います。違いますかな?」
ビアロはため息をつきながら首を横に振った。
「ルウン様もそう思いませんかな」
「聖皇様、ここは罪人を裁く場です。口出しをされては陛下もお怒りに」
「ですがルウン様、奴隷には必ず主がいらっしゃるのでしょう。陛下の奴隷であったのならば、その所有権はそのままルウン様に移るのではありませんか?」
ノーリは聖皇をどうにか顔を上げながら見ようとしていた。
聖皇の話を聞いたビアロは尋問場に響くほど笑い、拍手をしながら監督席を降り聖皇の目の前にやってきた。
「一本取られましたな。確かにそうだ。奴の親が陛下の財産であったのなら、確かに奴はルウン様の財産であるとも考えられます」
ビアロとルウンは互いを見ながら笑っていた。
「ですが、法は法。逃げた奴隷には焼き印を押すのです。しかもそいつが此度のように重大な反乱に関わっている場合、刑は免れぬとマーレグ・ダッグナーも申しております」
ルウンは聖皇とノーリを見た後少し考え、笑いながらビアロを見た。
「されど、聖皇様がこうしてそなたに頼んでおるのだ。情けを掛けてやってくれ」
満面の笑みでルウンはビアロを見た。
ビアロは微笑み返し、聖皇とノーリを見た。
ルウンの発言にその場の全員が、ビアロの返答に注目した。
「情けですか。ははははは。ルウン様に従います。刑は中止だ」
それまで気を張っていたノーリは少し安心したように目を閉じ、マーレグは面白くなさそうにしていた。
「ですが、逃げた罪だけは償わねばならん。命は助けてやるが、築城の労役場に送るのだ」
ノーリは驚いたようにビアロを見て、少し落ち込んだようにうなだれた。
「これで満足ですかな」
「ありがとうございます、ビアロ公爵」
ビアロは家臣たちを引き連れ、大いに笑いながらルウンの横を通って尋問場を出ようとした。
「それでは失礼しますルウン様」
「ああ」
ビアロは帰ろうと一歩目を踏み出した瞬間、何かを思い出したかのような顔をしてルウンを見た。
「あぁ、義理の父君のアドルフ・ジャネ元帥ですが、お気の毒でした。私も大変残念に思っています」
ルウンは微笑んで返したが、家臣は全員顔を険しくした。
「ではこれで」
「お待ちを!」
ビアロを呼び止める司教の声であった。
「なんだ」
「王宮に浪人が一人向かったはずだ。兵士二名ほどに付き添われ、国王に交渉しに行くと。その者はどこに」
昨日王宮に向かったはずの師匠の影はおろか、その消息までもがこれまでの会話に出てこなかったことを司教は疑問に思っていた。
「王宮に浪人。一体何の話だ。バグダ、マーレグ聞いておるか?」
「いいえ、そのような者は来ておりません」
「尋問場にもそのような情報は来ておりません」
「だそうだ。司教、もしかしたらその者は裏切って逃げたのではありませんか?はっはっはっはっは」
そう言ってビアロたちは笑いながら尋問場を去っていった。
裏切って逃げたという言葉にノーリは大きく動揺した。師匠を信じる気持ちと王宮には到着していないという情報の間でノーリは揺れていた。
「中隊長!師匠殿は王宮には到着しておらぬのですか?」
「実は付き添った兵士二名は未だ帰還しておらず昨晩から王宮に問い合わせているのですが、そのような者たちは来ていないの一点張りで」
「そんなまさか」
「とりあえず、この者は労役場へと連れていきます。この者を降ろし労役場へ連れていけ!」
「「はっ!」」
失意の中にいるノーリを降ろし、兵士が縄で縛って足枷をはめて馬で引っ張りノーリを労役場へと連れていった。
全員が罪を許され解放されるという司教たちやノーリの期待は、一瞬にして崩壊するという後味の悪い尋問として終わったのである。