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#02-01 わたしほんとは【SIDE:深見恭子】

 音楽が得意であっても、喋りが不得意な人間は、珍しくない。

 深見恭子も、そのひとりである。『アイネクライネ・ナハトムジーク』。来月に開催されるアンサンブルコンテストに出場する彼女は、Esclエスクラを担当している。メロディの多い、ハードなパートだ。

 この寒いのに、『こんなところ』に居るのは彼女ひとり。音がよく通るから、……自分の『音』がどんなだか、よく分かる。廊下よりも『響かず』、他人の音が聞こえないぶん、彼女はこの場所を気に入っている。

 ただひとり、自分の『音』に向き合う作業を継続する彼女だったが。……

 背後のドアが開く音が耳に響く。大きな音だ。ズックの足音。続いて――

「あーれぇ。『約束』の子と違うやんけ」

 彼女は振り返った。くちゃくちゃとガムを噛む男。緑高生は、ポロシャツの裾をズボンから出すことを禁じられているはずだが、裾から思い切り出している。ピアスもしている。……この寒いのにブレザーも羽織らず。その男が素行の悪い男だという解が、一瞬で、彼女の脳に生成される。

 下卑た笑いを浮かべるその男は、彼女のつま先から頭のてっぺんまでを眺め回し、

「ええやん」

 と、近づいてくる。

 なにか、とても危険なものを感じた。……彼女はときどきこの屋上で練習をする。が、誰かがここに来たのはこれが初めてだ。彼女は後ずさりし、

『……来ないで!』

 と、こころの底から叫ぶのだが。その叫びを声に変換することはならず、ただ楽器を持ったまま、じっと顔を俯かせる。

「……せんぱーい!」

 聞き慣れた声にほっと救われた心地となる。玉城マイクだ。入り口から顔を覗かせた彼は、ずんずんと素早い足取りで、深見恭子に接近し、「佐藤先生が呼んでおりましたよ。職員室です。さ。はよ行きましょう」

 まごつく深見恭子を促し、自分は彼女の譜面台を持つと、「はよ。……なんか先生えっらい剣幕でしたよ。はよゆかな雷落とされるとです」

 残された男子は呆然。目論見が完全に外れたかたちだ。だが、玉城マイクは、そんなことは気に留めず、さっさと先輩を屋上から連れ出した。


「玉、城、くん……。あのっ」

 深見恭子の声で、ようやく玉城マイクは気づいたようだ。「あっ、……と『おれ』、えらいすいません」

 ようやく深見恭子の手首を開放する。屋上から出るときからずっと握りしめたままだった。

 みな、パート練習をおのおのが行う、三階の廊下にて、玉城マイクは、深見恭子に向き合ったまま、

「……二度と、屋上でひとりで練習したらあかんとです」

 思いのほか、怖い顔をしている。こんな玉城マイクの表情を、初めて見る。「緑高生のあいだで、あすこがなんて呼ばれておるか。先輩、知っておりますか」

 恭子が大きく首を振ると、

「――緑高生の、『性の掃き溜め』」

 背筋がぞっとした。……さっきの男は、『それ』が目的で……?

 守るように、楽器を持たない方の手で自分の肘を擦る深見恭子を見て、玉城マイクは、「『おれ』も。ヨーヘイから聞いて初めて知ったとです。『レドブラ』の『ハル』がおとなしうなってから、『その手』の用途で使われることは減ったみたいですが……。分かりますよね。『おれ』の言っている意味が……」

 玉城マイクは、感情が昂ぶるときにだけ、『おれ』呼称になると聞く。それを目の当たりにした深見恭子は、

「……分かった。さっきはありがと。玉城くん」

 恭子が頭を下げると、「なんも」と首を振る。「――さ。戻りましょう深キョー先輩。先輩おらな、『成り立たん』とですよ……」

「あれ?」と、深見恭子は当惑する。「職員室行くんや……」

「ないとです」と、玉城マイクが遮る。「嘘も方便ちゅうやつです。――さ。みんな待っておるとです。

 一緒にいっぱい、練習しましょ……」

 惑うことなき彼の足取り。彼の背中を見て、深見恭子は胸をときめかせる。……こんな自分が素直になれる相手がいるとしたら、ただひとり。何故なら、前を向く前に一瞬見せた玉城マイクの笑みは、額縁に入れておきたいほどに、美しかったから。


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