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#03-02 献身【SIDE:葉月明日佳】 *

 三年生に進級してから、授業は受験を意識したスピーディなものになった。

 先輩として、後輩に、しっかりとした姿を見せねばならないから、プレッシャーもかかるし。……間もなく新しく部員が入部をする。仮入部の一年生に説明をするだけで、帰宅するとどっと疲れが押し寄せた。

 お昼を食べ終えた葉月明日佳は、自席に戻ると、吸い込まれるように、眠りに落ちていた。すると。

 とんとん。

 と、鼻の頭辺りをノックする存在。「なによぅ」と彼女は身を捩らせる。「あのな。いま、究極に眠いねんて。ほうっておいてま、深キョー」

 すると、耳に心地よく響く、テノールヴォイス。「――おれは、深キョー先輩違うねんけどなあ」

 何故か鮮明に目に浮かぶ。はにかむ……彼の姿。

 びっくりして葉月明日佳は身を起こした。すると、超至近距離から、梅村洋平が、明日佳の顔を覗き込んでいた。

「……寝顔も可愛いねんな。明日佳は」

 唇に息が吹きかかる。……どうしよう。仮に、いま。

 キスされても拒む理由なんか、見つからん……!

 ぎゅうっと固く目をつぶる明日佳を見て、「はは。酸っぱい顔しとる」ぽんぽん、と気遣わしげに彼女の頭を撫で、「……寝とるとこ悪いんやけど、大事な話があるさけ。……廊下で、話そか」

 言いたいことはいろいろあったのだが、一旦すべてを飲み込み、明日佳は、首肯した。「分かった」


「へーっ。一年二年のとこから見る景色とだいぶ違うげなあ」

 ――見る者の意識が、気持ちを定義する。それは、どんななにに対しても、同じ。機嫌の悪いときには、なにを見ても苛ついてしまう。自分に余裕のない証拠だ。

 だが。

 面白そうに、窓枠に手をかけ、中庭を見やる梅村洋平を見守る葉月明日佳の胸中は――水面のように、穏やかであった。……ヨーヘイとおると。なんやろ。陽だまりに居るときのように、

(こころがあったまる……)

 女の、生理的反応。

 それを知らずに居る男は、無邪気に、

「こっからやと椿がよう見える。綺麗やなあ」

「……話て。なに」敢えて質問を選ぶ。明日佳は腕組みをし、「……あたし。忙しいげから、なんか言うことあんねやったらはよ……」

「吹奏楽部入ろ思うて」

 明日佳の言葉は、遮られた。「……は?」

「といっても」くるり。窓側に背を預けると、「おれは楽器はやらん。ほら、大会あんねやったら。タイムキーパーとか必要ねんろ? タイムオーバーになると失格になってまうから」ヨーヘイの言う通りで吹奏楽部の面々は何回も何回も合奏重ねて、その都度時間を計る。「楽器のできん一年生がするてパターンもあるてマイクから聞いたけど……まだどんくらい一年が入るかなんて、分からんやろ?」

 呆気にとられる明日佳の反応をよそに、ヨーヘイは説明を続ける。「ほかにも、楽器の搬入搬出。……合奏のとき。恭ちゃん先生がなに言うたか記録する係りとか……あったほうがええん違うん?

 おれなあ、ちょーど。マイクが入ってから、吹奏楽に詳しうなったし。まるきしの素人違うやろ? そやさけ、雑用係として、入部しようかと……」

「……そう、思うてなあ」明日佳は、彼の見やる先を見つめた。昼休みだからこそと遊ぶ者以外に、引き締まった表情で独習する者の姿も見られる。三年三組と四組は、大学進学コースで、ほぼ全員が四大への進学を希望する。

 よって、休み時間も緊張感が走る……気の抜けない場所だ。その一方で、明日佳のように。勉強部活疲れで眠る……生徒の姿もちらほら。

 ヨーヘイも、同じものを見ているのだろう。「やっぱな」と彼の響き。

「三年生て、なにかと大変やろ……? こないだな。明日佳が帰りの電車で眠りこけとる様子見て。……おれになにが出来っか、最大で最善の選択がなにかって考え抜いた結果が」

 ……

 言い直すらしい。

 隣に立つ彼は、まっすぐに明日佳を見据え、「……惚れた女のために、なにが出来るかて考えたらな……、こうなった」

 と、照れたように頬を掻く姿がなかなかにスイートだった。

 明日佳の、胸は、ときめく。――なにこれ。

(ひょっとして告白されとるげけあたし……!?)

「明日佳」いまだ、彼の頬の高いところは赤い。けれども彼は視線を外さず、「大事なときに、変なこと言うてすまんな。ほんでもおれ……明日佳の、力に、なるから。

 ――もう駄目だ。

 明日佳は、その胸に、飛び込んでいた。「ちょ!? 明日……」

 涙が、自然と、ぽろぽろとこぼれる。――いろいろ、考えていたこととか。プレッシャーに感じていたこととか。このひとなら、全部、受け止めてくれる……。

 周りの受験生に迷惑をかけないよう、明日佳は、声を押し殺し、肩を震わせ、静かに涙を流した。……そんな明日佳に対し。ヨーヘイは、そっと背に手を回し、やさしく、髪を撫で続けてくれていた。


「そこ。座って」

 指し示されるのはよりにもよってベッド! もう!? と、……明日佳の頭はこんがらがってしまうのだが、「違うて」とヨーヘイは笑った。

「なんか下で飲みもん取ってくるわ。オレンジジュースとかでいい?」

「ん……」そうして、部屋の外に出るヨーヘイを見送る。男の子の部屋なんか、入るの、はじめて……。

 周りを見回す。ヤンキーなんだから、例えば矢沢永吉辺りのポスターでも貼っておけばいいものを、内田有紀と来た。……好きなのか。

 明日佳は、顎を引いて自分の胸元を見る。……こころもとない。

(『彼氏』の部屋来るてそういう……展開やよね?)ヨーヘイとは、『あれから』お昼休みのうちに、恭ちゃん先生に一緒に報告に行き、ヘルプに入ってくれることを先生は喜んでくれた。……ヨーヘイは、非常に、優秀だ。何故かタイピングスキルも高く、合奏で恭ちゃん先生が指摘したことを一言一句聞き漏らさず、パソコン部から借りたノーパソに叩き込み、時間が終われば人数分コピーを配布してくれる。号外! 号外やでえ! ……と。

 茶化すことはあるものの彼の仕事ぶりは真剣だ。

 入部してまだ一週間。土曜日は、比較的帰りが早いのでと……ヨーヘイから誘ってきた。

『うち、寄ってかんか? 親、店で働いておるさけ、誰もおらんけど、ほんでもよければ……』

 明日佳はブレザーを脱ぎ。腕毛の剃り残しが無いかを確かめる。……よしオッケー。ムダ毛なんか見せて彼氏を幻滅なんかさせられない……。

『――安心してな、明日佳。おれが、おまえを守ったるさけ……』あの日、明日佳の背中をそっと抱き寄せ。言ってくれた台詞が、いまだに明日佳のこころをやさしく照らし出してくれる。告白した、しない、などなくとも、明らかに二人は恋人同士……。

 不思議と、誰もいない部屋なのに、ぬくもりを感じる。これは、

(ヨーヘイがあたしのこころをあたためてくれとるから……)

 期待ばかりしているとからだが火照ってきた。ブレザーを、そこら辺にあったハンガーにかけていたところに、お盆にジュースを二人分乗せたヨーヘイが到着した。「お待たせ」

 冬は、こたつにしていると思われる、正四角形のテーブルにそれを乗せるが。彼は。

「ああもう……」

「ひやっ」

 明日佳に抱きつくと。彼女を、ゆっくり押し倒した。彼女の背に手を回す気遣いつきで。「……好きや。

 好きや好きや好きや……明日佳」

 余裕をなくした彼の声に、きゅんと女の本能がうずく。「あたしも……」

 瞳のなかに、星がきらめいている。愛という、まばゆい感情が……。

 彼に体重をかけられ、愛の重みを感じ、ベッドのうえで。二人は、甘い甘い……キスを、交わす。

「ヨー……ヘイ」ちゅうちゅうと唇を吸われ、明日佳は、喘いだ。「あたし……おかしくなっちゃう……」

「――こっちは?」

 ポロシャツを裾から出し、滑りこむ彼の手が、明日佳の肌をまさぐり、「……感じてる? 明日佳?」

 目を閉じたまま、こくこく明日佳が頷く。……と。

 彼は思い切りまくりあげ。

 明日佳の、感じる部分を、吸い上げた。

「やっ……ヨーヘイ……」明日佳が声をあげた。その声が。どんな質感を持って、男のこころに届くのかを知らぬ意識を持って。「やばい……それ。気持ちい……」

『――言っておくけど。最後まで抱くから』

 ……と。部屋に連れ込む前に、彼は、堂々と宣言した。公明正大な男だ。愛する男に丹念に愛しこまれ、女としての幸せを感じながら、明日佳は、はじめての絶頂を迎えた。

 事後も。

「……好き。ヨーヘイ」

「おれも」

 服なんか着ておらずとも、空気が冷たくない。冬はもう、過去のこと。若い恋人たちは、なかなか、離れられない。はだかのまま触れ合う。……キス。

「好き」

 キス。

 彼の大きな背中に手を回し、明日佳は、すこし大胆になってみる……。「もっとちゅっちゅして。ヨーヘイ」

「ええよ」

 それからも、時間いっぱい、彼の部屋で、女として生まれた幸せを実感するひとときを、明日佳は、過ごしたのであった。


(……あり?)

 指揮をしていて気づいた。音が――違う。葉月明日佳の音が……。

 一瞬で佐藤恭吾は、看破した。……週末、結ばれたかなんかか?

 指揮棒を下ろすと、恭ちゃん先生はくるりと、涼しい顔でストップウォッチを押す梅村洋平を振り返り、「……おいおまえ。

 避妊は、ちゃんとしろよ?」

 きゃああ! ……と、音楽室が女の子の悲鳴に湧く。……やっぱな。やっぱな! はっちゃん先輩、なんかちごうてあたし思うておってん! ……

 ひとしきり、部員が騒ぎ終えると、ヨーヘイは全員の期待と興奮に満ちた視線を受け止め、

「しとります」

 断言するものだから、部員たちはヒートアップ。きゃ―! まじで。まじでぇ!? ……

「だまらっしゃい!」とうとう、立ち上がるはっちゃん先輩。「あ……愛の営みなんか! ときが来たら誰でも経験するもんなげから! そんなに騒ぐこと無いがね!」……はっちゃん先輩。

 認めてどうするんですか。

 と、クールに見つめる玉城マイクの視線には気づかず。みんなのの中で拍手をされる始末。わー。ロスト・バージンおめでとー! 愛やね愛。ヨーヘイが入部したときから、こうなるって分かっておったわー。……

 ここで、恭ちゃん先生が、静かに言う。「……夏のコンクールの曲。『ダフクロ』にすっか? せっかくやし……」

 ダフニスとクロエ。2世紀末から3世紀初め頃の古代ギリシアで書かれた恋愛物語。この原作を元にモーリス・ラヴェルが作曲したバレエ音楽が存在しており。フィギュアスケートを観戦する人間にはお馴染みの曲だが、ちゃんと吹奏楽曲も作られている。コンクールの曲として定番だ。

「いーえ」毅然を取り戻したはっちゃん先輩の態度。「例年通り、ちゃーんと投票で行きましょう」

「うし」ぱん、と壇上の恭ちゃん先生が手を叩けば途端に場が引き締まる。「貫通祝いはここまでとして。……さ。続きやっぞ。……のまえに」

 恭ちゃん先生は後ろを振り返り、「いまから十五分間、指摘を連発するけど、準備はええか?」

 笑ってヨーヘイは頷いた。ノーパソのキーボードに手をかけ、

「――いつでもどうぞ」


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