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#03-01 戦士たちの休息【SIDE:三島由里子】

 空気が、やっと、なまあたたかく感じられる。

 緑川の冬は、長い。そして寒い。気温がマイナスを記録する日も珍しくない。

 そんな寒い日々とは、サヨナラ・グッバイ。教室の窓が開いており、入り来る風が心地よい――。

 人間のこころをほっこりとあたためてくれる、四月の風を感じながら、三島由里子は、お弁当箱を袋に入れた。入れるや否や。

「――ゆりっぺ!」

 はふはふ、と呼吸を荒くする犬さながらに、こっちにやってくる玉城マイクを見て、三島由里子はちょっと笑った。「なにね。これ片付けてくるさけ、ちょっと待ってま」

「――はよせい!」今度は。児島清一郎から命令される有り様だ。夕向京歌も楽譜を持ってスタンバイ済み。みんな、食べるのがやたら早い。――と。

 一緒にランチをとっていた友達には「ごめんな」と声をかけ。素早く自分の席に空のお弁当を置いてくると。――合奏開始。曲目は。

「――マイたま! 情感がこもっとらん!」恭ちゃん先生を真似て指示を飛ばす児島清一郎。「そんなんで審査員の皆さんに伝わるとでも思っとるんか!? おっまえ、惚れた女口説く勢いでやれえ!」

 傍から聞いているぶんにはちょっとどうなのかと。玉城マイクが、村崎実咲に玉砕してまだ一年と経っていない。よりによって実咲の今彼がその発言をするのかと……。全員の目線をものともせず。セイチロこと児島清一郎は、

「三連符が苦手なんやなあマイクは」

 マイクの弱点を、指摘する。「いいかあ。イントロの三連符は」

 由里子さん。由里子さん。みーしーまー。

「……な感じでやれ」

「はい!」と、従順な生徒になりきる玉城マイクを見て、三島由里子は笑ってしまうのをこらえた。略して笑コラ。……『大阪俗謡による幻想曲』のイントロのクラの三連符を、そのように解釈する者が居るとは……。

「にしてもなあ」と頭を掻くマイク。「Aメロっつうんかな。例の、不協和音とこ、難しくない? みゃーみゃーゆぅて、どの音『取れば』ええんか、全然分からん……」

「ピアノがあればもちっと掴めると思うよー」とゆうりん。「放課後、ピアノ使つこうてやってみよか」

「――うん」

 クラリネットで言うとミとファとソ。大栗裕以外絶対に思いつかない、この和音。マイクが手こずるのも無理は無い。三島由里子だって、中学時代、ここを攻略するのに苦戦した。

 まだ、四月の中旬。クラスの雰囲気に慣れ。去年は真新しく感じられた制服の着心地にも慣れ。しかれども、吹奏楽部に一年生はまだ入部していないため。正式なコンクール曲は決定しておらず、だが、みんなで過去のコンクール曲に取り組んでいるさなかである。

 ここに居るメンバーは、二年一組、三島由里子。マイたま。セイチロ。ゆうりん。……そして、

「なーな。Y高の演奏と比べると、ラストのアレグロんとこ遅すぎない?」とスコアを覗き込むのは――梅村洋平。彼も同じクラスだ。「アレグロってほぼほぼ、『極めて速く』の意味ねんろ?」……

 吹奏楽部部員でもないのに。セイチロやゆうりんからCDを借り。家で聴き込んだうえで、部員の昼休みの歌合奏に付き合っている。――もう。

(付き合っちゃえばいいんに。はっちゃん先輩と……)

 吹奏楽には積極的なくせに。そっち方面は積極的では無いらしい。たまに。梅村洋平と、はっちゃん先輩がふたりきりで喋るのを見かけることはあれど……。

 見ている側は、いつも、もどかしい。どう見ても両想いだあの二人は。

 クールな面持ちで、セイチロとトークを繰り広げるヨーヘイを見て、ぴんと、三島由里子の脳に、ひらめくものが、あった。「……なあ。せっかく今度休みねんし。みんなで遊びに行かんか?」


「――見える。見えるて先輩!」

 女の三島由里子でもたまらず目を手で覆う。「はっちゃん先輩、ボウリングしに来たのにミニスカートって、なんでやね!」

 意外と照れ屋さんらしい。顔をそむける梅村洋平は、耳まで赤い。……リーゼントでキメてる硬派なヤンキーぶってるくせに、ウブで、可愛い。……

 梅村洋平の、新たなる魅力を発見した三島由里子は、「次。マイクの番やね」と声をかける。……マイクは、『投げ方』が分からないらしい。どっすんと、どう見ても初心者らしい投げ方で、ひとまずボールを落っことした。「……ガーター……」悲しげなマイクの声音。見た目はパーフェクトなくせに、このひとは、『はじめてのこと』がなにかと苦手だ。

 ふと三島由里子の脳裏に、

(『はじめて』のこと……!?)例えば。それは、こんなふうに。

 ――ゆりっぺ。

 なぁに、と三島由里子は答える。場所は彼女の部屋。両親は、留守……。

 彼女と真摯に向き合う玉城マイクは、

『――おれが、もし、ゆりっぺと、ずっとこうしたかったって言ったら、どうする……?』

(きゃああああ!)やさしく――ベッドに押し倒されたりなんかして。のしかかられ。首筋を吸われ……でも。

 動きが止まる。

 当惑し、三島由里子が顔をあげると――

 きゅう。

 と、玉城マイクは、ゆりっぺを、宝物のように抱きしめ、

『『おれ』。 ――どきどきしすぎて、どうしたらいいか、よう分からん』

 ……と、花開くような、スイートな笑みをこぼ――

「……三島さん?」

 目の前にひらひらと白い手が振られる。深キョー先輩の手だ。「……次。三島さんの番ですよ」

 不埒な妄想をしていた三島由里子は、自分を――恥じた。はっちゃん先輩と、ヨーヘイをくっつけるために来ておるがに、わたしがこんなんでどうするよと。

 緑川には、この手のアミューズメント施設が皆無なので。七倉という、緑川から電車で四十分ほどで行ける距離の、若者が遊べるスポットに来ている。面子は、夕向京歌。深キョー先輩。はっちゃん先輩。プラス由里子。男性は、セイチロ。マイたま。ヨーヘイ。

 ……村崎実咲を誘おうかとも迷ったのだが。それは流石にマイクに気の毒かと思い、由里子は自粛した。ほかに、別のクラスとなってしまったが、ヨーヘイのよくつるむ二人――黄サルにオッチャンもメンバーから外した。

 あくまで、クラリネット四人娘プラス二年一組吹奏楽メンバーとの交流を深める。

 それがコンセプトである。……そのあとも、みんなで健闘を重ねるも。マイたまに至っては、一向に上達する気配がなく。みんなの和やかな笑いを誘っていた。そう、みんな、笑顔だった。……学校では、生徒として、吹奏楽部部員として戦う彼ら。そんな彼らの事情を配慮して、恭ちゃん先生は、たまに。

『おっまえらー。たまにはめいっぱい遊べやー! 出かけろやー! ……ただし、不純異性交遊だけは、勘弁なー』

 恭ちゃん先生の台詞に、みんなどっと笑う。合奏なんかでいつも、『恋をしろ! 恋を! 恋をせんやつにひとのこころをつかめる音楽が奏でられっか!』

『おいはっちゃん! ヨーヘイ口説き落とす勢いでそのフレーズ吹いてみい! 愛が、足りんぞ!』……『恋をしろ』『愛を知れ』だの口酸っぱく言っているくせに。……高校教師としては、さすがに。

 性のなんたるかを知れ。……とは、アドバイス出来ないらしい。……ゆりっぺは。それから、妄想を繰り広げつつも、はっちゃん先輩のショーツのいろを盗み見るヨーヘイを見て笑み。ひさかたぶりに訪れる、戦士の休息を満喫していた……。


「えーっ。ヨーヘイ下手すぎ……」

「百年の恋も冷めるわな」と苦笑するのはセイチロ。「もういい。部員の耳に毒だから、続きはマイクが歌え」……


「きっもちええなあー」

「ちょ」スカートの裾を押さえるはっちゃん先輩。「アホ。ヨーヘイ。あたしにこれ以上ぶっかけたら頭かち割るからね」

「……おれがおまえにぶっかけたいもんを言わせたいんか?」

「んも! サイテー」

「ちょ」自慢のリーゼントを崩され、「これおれ。毎朝三十分かけてセットしとるんやでえ」

「……ストレートのほうが似合うわ」

「なぁに? もいっぺん言って? おれの明日佳」

「誰が!」……


 がたんごとんがたんごとん。

 帰りの電車に揺られる全員が爆睡している。日頃の疲れが出たらしい。……が。

『彼』以外を除いて。

「マイたまは? 寝んでへーき……?」

 ヨーヘイに左肩を重くされているマイたまは、窓の外に目を向けている。「……なんか。カナダとも向こうとも全然景色がちごうて。すごい、面白い……」

 三島由里子には、見慣れた景色だ。田んぼ田んぼ田んぼ……。緑の、連続。それこそ。モネの描いた絵画のように、緑の筆を叩きつけたような世界……。

「マイたまって電車あんま乗らんの?」と、はっちゃん先輩に肩を預けられる由里子は、外を見やるマイクに魅せられながら言葉を発した。「んー」とマイク。

「出かけても、親乗っけてくれる車だけで……そやな」

 ここで、彼はまっすぐ由里子を見据える。ひとと話すときはきちんと相手の目を見る。……誠実さが見て取れる。髪のプラチナが目に眩しかった。男らしい喉仏を動かし、マイクは、

「こんなふうに、友達と出かけるなんて、全然なかったわ」

 にか。

 と、マイクは笑みをこぼし、「ありがとうなあ。ゆりっぺ!」

 きゅうん。

 と、胸がときめくのを抑えられない。……彼は、自分の言動が周囲にもたらす効果を、自覚していない。余波が。余韻が。どんな影響を及ぼすかについて……あまりにも、『無自覚』だ。

 痛くなる胸を押さえつつ、由里子は、「……礼言うんは、わたしのほうなんよ……。吹奏楽部に誘うてくれたん、マイたまねんし」由里子は、同じクラスになって気づいた。マイクは、『知らない』生徒が居れば。いまだに、ヨーヘイに、フルネームと漢字を訊いている。……おそらく。面識もなかった三島由里子の名前を、玉城マイクが記憶していたのは、ちょっと一年一組に由里子が顔を出した、そのときであったのだろう……。誰に対しても誠実であろうとし、なにに対しても一生懸命なマイクが、……愛おしくて。

 気づけば、由里子は、『選択』を、していた……。「訊いてもい?」

「その……」通路を見て反対側に、珍しくも無防備な寝顔を晒すセイチロの様子を目で確かめ、「村崎さんのこと。まだ、その……」

「ああそれ?」思いのほか、吹っ切れた声だった。「なんやろな。一生懸命部活んことやっておるうちに、……消化できたっていうか。そんな気にならんようになった。……やってさ」

 マイクも、セイチロに目を向け、「……あいつ。おれと数ヶ月違いの初心者やんに。『神話』あんなに上手に吹けて。努力のひとやねん。……せぇっかく村崎さんとつきおうておるんに。ろくろくデートも出来ん状況やのに……不満ひとつこぼさずに。おれに対しても、フェアに、接してくれる。……そんなセイチロが。おれは、大好きやねん」

 太陽のような、明るい笑みが、由里子の胸を灼く。

 この少年のなかで、苦い初恋が、大切な思い出に変化したのなら、それは、それで、よかった……。例えば、由里子が、中学時代に抱いた妬ましさや葛藤とも無縁、の様子。

 せっかくなので。

 もう一歩、由里子は踏み込んでみた。「新しい恋とか、考えとる?」

「ぜーんぜん」残念なことに、目の前の美少年は首を振る。「『吹奏楽』が恋人やわ。……なんやろなあ。『吹部』始めてから、……ほら。ソルフェージュで音変換するやろ? あれで曲変換してみたらおもろうて。世界観が変わるよなあ吹奏楽て……いままで興味なかったもんにぐいぐい興味湧いてくっし」

 瞳をきらきらスパークルさせながら言うものだから、由里子は、

「例えば、なに……?」

「ひとの在り方。それに……」長いプラチナの睫毛を伏せ、「ひととひとの繋がり」あぁーんなにみぃーんなで一個の音。もんのすごい真面目に出す体験、なんて。

「したこともないもんなぁ……『恭ちゃん』先生やないけど、だいたい、みんなの機嫌がどんなんか、おれ、分かるようになってきた」

 それを受けて由里子は驚いた。「えっ誰の?」

 数秒。

 もったいつけてから、いたずらに少年は笑った。「クラっ四人全員」

 えっ、と由里子は声をあげた。直後、当惑し、「……わたしも含まれるわけね……」

「音だけやないよぉ?」天井を向くマイクの声。「喋り方とか目の動きとか……ひとの表情や声音とか、いっろんなもんに気ぃ向くように、なったわ……」

「ヨーヘイ。両想いやと思うんやけど……どう思う?」

 まっすぐ、青い瞳と視線がぶつかる。とくとくとく……由里子の胸は、ときめいてしまう。そんな由里子の胸中気付かず、マイクは、「どう考えてもそうやわ」と断言。「おれの目から見て……ヨーヘイが、遠慮しとる感じやな。ほら。はっちゃん先輩は、最後の夏やさけ……。

 ふたりをくっつけようっていうんが、ゆりっぺの意図やってんろ?」

 まともに看破され、由里子は、動揺した。「……んな深い意味やのうて。みんなでたまにはぱーっと遊びたいなぁって……思て」

「やさしい性格しとんのなあゆりっぺは」熱くなってきたのか。襟を掴んで自分の胸元に空気を送り込む仕草。なんでもない仕草なのに、ちらと鎖骨が見え、……慌てて由里子は目を逸した。「『おれ』……ここ来て恵まれてばっかや。楽しいわほんまに。みーんな、周りのひとを大切に思うておる……。そーゆー、誰かの思いやりがおれんなかで根付いて、大きうなって……誰かのこころに、胸に響く、音楽を、届けられるような人間に、なりたい……」

 電車のアナウンスが流れ。みんな、徐々に目を覚まし始める。……重かったぞーヨーヘイ。その声音は、親友に対する思いやりに満ちており、

「ああ、わり」

「……あヨーヘイ。前髪戻っておる。残念」

「ふん」すぐにはっちゃん先輩の声が飛ぶ。「あんたには、しょーもないそのスタイルがお似合いよ。……べ。別に、前髪下ろして欲しいなんて。あたし、そんなこと言うとらんからね!」

 唇を尖らせるはっちゃん先輩の可愛さに、一同爆笑。通路を挟んで座るセイチロと深キョー先輩も笑っている。ヒーヒー引き笑いをするヨーヘイは、「ほんなら。明日佳が好きなときに、卒業までに、一日だけ。おれ、前髪下ろしてくっわ……なあいつがいい? やっぱ全日の本選?」

「てあんた見に来るつもりながかいね!」……由里子も、驚く。マイクを通して吹奏楽にのめり込んでいるふうな彼は、大会の行われるバスに乗り、畑中市に、行くというのか……?

 すると、ヨーヘイは、前髪を整えつつ、「こんだけ入れ込んどるんやさけ。見届けたい」

 きっぱりと言い切る。……電車が、緑川に到着。途中で、槍水在住の夕向京歌と別れている。

 ホームに降り立ち。空を振り仰ぐ。……奥能登は、曇りが多いのが残念なのだが、今日はとても、いい気候。わたしたちを祝福してくれるかのような、青空。「……でまじで、考えておいて。明日佳」

「いやいいほんといい。あんたに見られるて思たら……緊張するがいね」

「おれに聴かせる思うて吹いてみたらいいがいね」

「……それよう恭ちゃん先生に言われるわ」

「……てなに?」大胆にも、はっちゃん先輩の腰に手を回したヨーヘイは、「おれたち、公認ってこと?」

「――なわけないがいね!」

 ……何故。そこで。ハグをしない。突き飛ばすのか、可憐な乙女よ……。

 どう見てもラッブラブな二人を、じれじれした思いで見守るマイたまとゆりっぺだが、

「あれが、彼女なりの、愛情表現なのですよ」

 と、深キョー先輩が静かにまとめた。それは、主旋律を奏でていいのに、みんなを支える3rdという、道を譲りまくるポジションを敢えて選ぶ、はっちゃん先輩らしい、言動であった。……


 *


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