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#02-03 変容

 異変を感じたのは、控え室に入った頃だった。

 手足が、……震えている。自分のものでは無いみたいだ。

 生まれて初めて味わう感覚。……歯の根が合わず、かちかちと音を鳴らす。

 体育館で歌い上げる前は、全然平気だったのに。歌は――人前で何度も歌っている。karaokeはカナダでも流行っていた。

 だが、『吹奏楽』は、違う。

 ――みんなの前でクラリネットを吹くのなんか、初めてだ。

「マイたま。だいじょーぶ?」マイクの様子に気づいた夕向京歌が声をかけてくる。「緊張しとんねやったらあれするといーよ? 手のひらに『人』書いて飲み込むっつうあれ……」

 二人で、一緒に、やってみる。……うん。

「さっきよかだいぶマシかも……」笑みを作ろうとするのだが、どうにもぎこちないものになってしまう。だがこれ以上ゆうりんに心配をかけるわけには行かないので、「うん。平気」と気丈さを取り繕う。

 壁にかけられた時計を見た。

 本番まで、二十分を切った。

 自身の精神の整理もままならず。顔面蒼白のまま、がくがくと足が震えるのを感じつつ、玉城マイクは、その日舞台に立つみんなと一緒に、ステージ裏へと向かった。


 ――おい。

『おまえ』。聞こえてんなら返事しろよ、ったく……。

『もう一人』の玉城マイクは自身を嘲弄する。――『おまえ』。最近なんもかも上手く行っているからっていって。調子に乗ってんじゃねえぞ。

 するとマイク自身は反論を試みる。……『ぼく』は別に。調子になんか……

 乗ってない、の一言が、どうして言えない。何故ならば、『彼』の言うことは、事実なのだから……。確かに、自分は、『力』を持っていることに酔いしれ、過信しているのかもしれない。自分に出来ないことなど無いと。

 叶えられない夢など無い、と。だが――。

 実際に『夢』を叶えられる人間は、ほんの一握りの人間。

 ヒエラルキーの頂点に立つ、実力も人気も兼ね揃えた人物。

 そのことを思い出した玉城マイクは戦慄した。思い出して――しまったのだ。自分が、本来、『最下層』に居たはずの人物であったことを。たまたま、幾つかの貴重な出会いを経て、Aグループの底辺辺りに所属してはいるが……、それは、自分の力に依るものでは、無い。

 ということは。

 努力で取り返せばいいだけの話――と、判断しかける前向きな自分を、もうひとりの自分が追いやる。違えだろ。おまえは分かっているはずだ。本来の、あるべきおまえの姿を。おまえは、所詮、――

「よそ者だ」

 舌のうえで単語を転がしてみる。ウィスパーボイス。だかはっちゃん先輩が振り返った。「ちょっとあんた大丈夫?

 べ。別にあんたのことなんか心配しとるわけやないからね。やけど……一緒に頑張ってきた仲間やさけ。

 頑張ろ。――な」

 違うんです先輩、ともう一人の玉城マイクが泣き叫ぶ。自分は、本来は、こんな晴れがましい場所にいるべき人間じゃあ無いんです――と。

 彼は膝を折り、崩れ落ちた。――

 真っ暗闇に、潰えた夢の果て。そこに、手招きをする人物が居る。全身黒ずくめ。頭っからフードをかぶった、ダースベイダーみたいな人物が。おいで……と。

『そこは、おまえの居るべき場所じゃない』何故ならおまえは、日本人にもカナダ人にもなりきれない、中途半端な……人物だから、と。さあ。おいで――


 音は、切れ切れで、本来の伸びやかな音がいろを失っていた。――手を伸ばせば、届くはずなのに。それを拒む自分が、居る。違う。違うんだと。『ぼく』は、日本に来たときから周りからじろじろと見られて。

 この目立つ銀髪。忌々しい――。

 いっそスキンヘッドにしてみようか。そうすれば、……いや、でも、駄目だ。結局、どんななにをしても注目を集めてしまう。異端者なのだ。

 だから、だから、……どんななにをしても、絶対に、認められるはずがないのだ。

 音が、指の隙間をすり抜けていく。大切にしてきたパッセージが。メッセージが。――

 本来の自分が涙を流していた。ただひとり、暗闇で。顔を覆い、滂沱の涙に暮れ、神から与えられた孤独を、満喫していた。


 ――気がついたときには、自分は、ぴっかぴかに照らされたステージのうえで、お辞儀をしていた。……え?

 なにが起きた?

 戸惑うマイクだが、……一緒に演奏をしたはずの仲間の顔を見ればなにが起きたかは瞭然。自分は、取り返しのつかないことを、しでかした……。

 やっと、歩き始めると、自分が主導権を取り戻せた感覚がした。この肉体は自分のもので。この精神は、『ぼく』のもの。だが……『乗っ取られて』しまった。

 大事なところで。二年生の先輩たちにとっては……最後のアンコンだというのに。

 結果は、銀賞。

 玉城マイクは、ほとんどなにも喋らずに、会場を後にした。金管のメンバーが県大会へと駒を進め、歓喜に湧いていた……それをマイクは、虚ろな瞳で、ただ、見ていた。


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