007. Going to work.
人気の少ない静かなビジネス街。
平時では大勢の人が立ち並ぶ会社に出勤し、やりたくない仕事を延々と繰り返すだけの監獄のような場所であったが、今はもう死んだ目で出勤するサラリーマンも、化粧の濃いOLもおらず、本当に死んだサラリーマンとOLのゾンビが数人うろついているだけの街になっていた。
小雨が降り出しており、建物や地面に雨が当たる音だけが静かにこだましている。
そこに、二人の人間が静かに歩いていた。
一人は身長が高く、質素だが動きやすい格好をしており、頭には白いヘルメット、背に黒いワンショルダー、手には大きな剣スコップと、およそビジネス街には似つかわしくない姿をしていた。
もう一人は小柄な見た目で、同じように頭に白ヘルメットを被り、赤いリュックサックを背負って、手には少し大きめのハンマーを握っている。
二人は無言のまま前に進み続けていたが、十字路に差し掛かって背の高い方が小柄な方の前進を片手で静止した。
十字路を曲がった先にゾンビが2体ほど留まっている。虚ろに空を見ているだけで、当分その場から動きそうにもない。
背の高い方が十字路の角に身を屈め、ワンショルダーにくくりつけていた警笛を口にくわえてゾンビ達の方を注視して様子を伺う。
念のため周りを見渡して他にゾンビが見当たらないことを確認すると、小柄な方を見て少し頷き、警笛を『ピッ!』と短く鳴らした。
音に気づいたゾンビ達は、そのまま音の元へとゆっくりと近づいてくる。
二人は改めて周りを見渡し、近づいてくるゾンビ以外のゾンビが現れないことを確認して、十字路の角で待ち伏せした。
背の高い方は軽く深呼吸をして息を整え、小柄な方は小さく震え続けていた。
1体目のゾンビが十字路の曲がり角まで到達し、そのまま曲がって来ようとしたとき、背の高い方が飛び出してゾンビのスネめがけてスコップを全力で叩きつけた。
足払いをされる形となったゾンビは、そのまま受け身も取らず前のめりに倒れる。
「うわぁああああああ!」
後ろで待機していた小柄な方が、叫び声をあげながらうつぶせになったゾンビの頭めがけてハンマーを叩きつけた。
何度も何度もハンマーを叩きつけ、グチャ、メキッと嫌な音をたてながら、ゾンビの頭がみるみる変形していく。
その間に、背の高い方はもう1体のゾンビに駆け寄り、そのまま助走をつけてゾンビの側頭部をスコップで殴りつける。
殴られた衝撃で横向きに倒れたゾンビに追い打ちをかけるように踏みつけ、背の高い方は無言のままゾンビの首を狙ってスコップの先端を突き刺した。
スコップの尖端はゾンビの首の3分の1ほど突き刺さり、刺さった部分から血液が漏れ出す。
そのままスコップを何度か左右に振って首元を抉ったあと、ゾンビの首から下がまったく動かなくなったことを確認して、背の高い方は1体目のゾンビの方へ振り返った。
1体目のゾンビの方は首から上が原型を留めておらず、小柄な方が近くで呼吸を荒げていた。
「……そっちは大丈夫、樹?」
樹と呼ばれた小柄の方は呼吸を少しづつ整えながら、
「ハァ……、ハァ。うん……、こっちは、大丈夫だよ……。歌乃の方は?」
「私がやられるわけないよ」
「……だね。ハァ、ハァ……」
歌乃と呼ばれた背の高い方は、スコップの先端を雨で洗い流しながら樹の元へ近づき、手を差し伸べた。
樹はその手を掴み、ゆっくりと立ち上がる。
「……ゾンビと戦う時に叫ぶのは、いい加減止められない?」
「止めたいのは山々だけど、いざとなるとどうしても出ちゃって……」
「今回はこいつらしか居なかったから良かったけれど、叫び声でゾンビに集まられたらヤバイんだけどね……」
樹はバツの悪そうな顔をして少し落ち込んだが、察した歌乃は、樹の頭をヘルメット越しにポンポンと軽く叩いた。
「まぁ、樹が無事ならそれでいいよ」
「うん、ありがとう。……でも、頭叩くのはやめてよ、同い年なんだからさ……」
子供扱いされているような気分になった樹は歌乃を軽く睨みつけたが、そう思う事自体が子供だと感じて、すぐに目をそらした。
「さぁ行こうか。この辺りはゾンビが少ないようだけれど、雨も降ってるし、そろそろ建物を決めて探索に移ろう」
「うん、それなんだけど……、あそこの角にあるビルにドラッグストアの看板が見えるよ。あそこはどう?」
ゾンビ達がいた十字路の更に奥に、ドラッグストアの看板が小さく見えていた。
「まぁゾンビの姿も見えないし、とりあえず行ってみようか」
歌乃が承諾すると、手に持った武器を握り直し、二人は再び無言になって看板の方へと歩いていった。
その後ろを遠くから静かに見つめる人影には気づかずに。
ドラッグストアの前にたどり着く頃には、二人は雨でびしょ濡れになっていた。
ドラッグストアは店舗ではなくオフィスビルの1階に入っており、窓ガラスから見える店内からは人の気配はない。
二人はすぐにでも入って雨宿りしたいところだったが、建物内にゾンビがいる危険性を考え、外から慎重に中の様子を眺める。
建物自体は5階建てで1階はロビーになっており、窓ガラスで覆われた正面玄関とドラッグストア直通の2つの出入り口がある。ビルの横には非常階段が設置されているが、頑丈そうな柵で囲われていて入れそうにない。
外から見る限りだとゾンビの姿は見えず、仮に居てもそう多くはないと踏んだ二人は、ドラッグストア側の入り口から侵入することにした。
入り口のガラスドアを押し開けてゆっくりと進んでいく。
店内は照明がついたままになっており、端から端の隅々まで照らされている。パッと見た限りでは荒らされた形跡はなく、無人のレジもそのままとなっていた。
歌乃は店内入り口で再び警笛をくわえ『ピッ!』と軽く鳴らしたが、ゾンビが現れる気配はない。
「とりあえず、近くにゾンビはいないみたいだね」
「……うん。何かないか探そう」
二人は寄り添うように店内を歩き、棚に置かれた商品を物色し始めた。ここはドラッグストアがメインだがコンビニの役割も兼ねており、薬や洗剤、清掃用品、生活雑貨の他に、飲食物や雑誌も置かれていた。
樹が近くの棚にあったから袋菓子を取って眺める。
「こういう袋菓子って最近あまり食べて無かったけど、今はすごく美味しそうに見えるよ」
「今日食べる分なら良いけれど、袋菓子はかさ張るからあまり持っていけないよ」
「うん、わかった。歌乃は袋菓子の好みとかある?」
「そうだね……、手の汚れないのを適当に」
そう言い残して歌乃は飲料の棚を漁り始めた。
「アルコールはと……、ビールしか無いか」
「こんな状況で呑むの?酔ってる最中に、ゾンビに襲われたらどうするつもり?」
「そうなれば樹、あなたが私を守って。期待しているよ」
「……」
歌乃の発言に、樹は何も返せなかった。
歌乃と樹は同じ大学に通っており、お互いスポーツサークルで知り合った。同年代と比べて頭一つ身長が高かった歌乃と、同年代と比べて頭一つ身長が低かった樹は似ているところを感じたのか、次第によくつるむようになった。
と言っても、そこに恋愛感情があった訳ではなく、"ただ何となく一緒にいる"という関係が長らく続いていた。
"あの日"も、いつものように大学の講義が終わった後、昼ご飯をなにしようか一緒に街中をぶらついていた時に巻き込まれ、近くのビルの一室に逃げ込んで、なんとか最初の騒ぎを乗り切っていた。
騒ぎが収まってきた後、ビルから防災セットをいくつか拝借して安全な場所に向かおうとしていたが、商業エリアの中心部と大学に近づくほどゾンビの数が多くなって近寄れず、とりあえず直近の食糧確保のためにビジネス街まで出歩いていた。
その間に何度かゾンビとの戦闘があったが、ある程度覚悟を決めて積極的に戦う歌乃とは逆に、樹はゾンビを目の前にすると萎縮してしまい、何度も歌乃の足を引っ張っていた。
そのため、樹の中では、男が女に守られる情けなさと後ろめたさを感じており、歌乃は、樹が負い目を感じていることを気にしていた。
樹はリュックサックに日持ちしそうな飲食物と目についた医薬品を詰め込み終わり、手には今日食べる分の袋菓子と飲料を入れたカゴを持っていた。
「これで当分の食料は確保できたね。あとは、このビルが今日の寝床にできるかどうかだけど……」
歌乃はスコップを強く握り直し、ロビー側に繋がるガラスドアをそっと開けた。樹はその後姿をじっと見つめる。
三度警笛をくわえ、今度は外までは聞こえない程度に、軽く音を鳴らした。
建物1階に音が響き渡り、しばらくすると、奥からうめき声とともにサラリーマン風のゾンビが這い出てきた。足を怪我しているようで這うことしか出来ていないが、歌乃の存在に気づき、まっすぐ向かってくる。
歌乃は動じること無くスコップを構え、ゴルフでフルスイングするようにゾンビの頭を振り切った。
『カァン!』と大きな音が響き、当たりどころが良かったのか、ゾンビは一撃でうつ伏せの状態から動かなくなった。
歌乃が追い打ちでゾンビの頭を何度か殴った後、スコップで器用にゾンビの身体を移動させて、ロビーから外へと放り出した。
一連の作業をじっと見ていた樹が歌乃に質問した。
「いつもみたいに首切らないの?」
「まぁ食事前にグロテスクなものは、なるべく見たくないしね」
あぁ、なるほど、と納得した樹は、周りを注意深く見渡しながら他にゾンビが出てこないことを確認し、歌乃の元へと駆け寄っていく。
1階の安全を確保できた二人は、ロビーに飾ってあったフロア説明から、ビルの構造や入っているテナントについて確認した。
外から見たとおりビルは5階建てで、それぞれの階はバスケットコートくらいの広さの部屋や、ワンルーム程度の小さい部屋に複数分けられている。
各部屋には企業が入っており、名前からはどういう会社かは分からないが、多くは事務所として利用されていた。
他にもエレベーターが2基設置されており、その近くには階段が設けられている。
非常階段はエレベーターや階段と対になるように、ビルの端同士に設置されていた。
「とりあえず、1階ずつ昇ってゾンビがいないか確認しよう。安全そうなら、ここが今日の寝床だね」
エレベーターはランプが点灯して稼働していたが、エレベーターだと目的階に到着する度に音が鳴るためゾンビを呼び寄せてしまう。
目的階に着いてドアが開いた途端、ゾンビの大群と鉢合わせする危険もある。もちろん、エレベーターの中では逃げ道も確保できない。
そういう事態を考えていた二人はエレベーターを使わないとあらかじめ決めていたため、歌乃はそのまま奥の階段の方へと向かい、その後を樹がついていった。
その姿をビルの外から眺めている者がいた。今まで向かいの建物裏に隠れ、窓ガラスから除き見える範囲で二人の行動をじっくりと観察している。
(まさか、俺の会社があるビルに入っていくなんてな……)
遠くから眺めていたのは悠気だった。
元々、目的地は自社だったが、道中で二人を見かけて食料確保のチャンスと思い、ずっと後をつけていた。
二人がゾンビに襲われたら、どさくさに紛れて乱入して噛みついてやろうと考えていたが、思いのほか二人が強く、かと言って次の食料はいつ手に入るかわからないため、諦め切れずに着いていったところ、悠気の会社が入っているビルにまで辿り着いていた。
────
ここからどうするかだが……、元々、俺は食糧を確保するために会社付近まで着ていたので、早々に人間を見つけられたのは幸運ではあった。
だが、あの背の高い方の戦いぶりを見れば、正面から挑んでも先のゾンビ達の二の舞いになることは容易に想像できる。
しかも、こっちは独り。
背の高い方に挑めば返り討ちに遭い、小さい方は一対一なら勝てるだろうが、あの背の高い方に邪魔されて、やはり返り討ちに遭うだろう。
けっきょく、正攻法ではどうしようもならないことだけは判明している。となると、正攻法でない方法を考えなければならない。
不意打ちで背の高い方を襲うか、背の高い方を隔離して、小さい方と一対一になる状況をどうにかして作るか……。
幸い、あの二人が入っていったビルの中は俺の方が詳しい。
あの二人がビルの中にいる間に、どうやって出し抜いて襲うかを考えなければ……。