057. サバイバルゲーム (7)
森田が慎重にドアを開けると、そこから純と弘人が中を覗き込んでいた。薄暗い店内に人影は見えず、出入り口周辺は安全そうだと判断すると、二人は慎重に店内へと入っていく。
「レーダーだとこの近くに一体潜んでいるかもしれない。気をつけて行こう」
「了解、注意しないとな」
そう言いながら純と弘人はテーブルの下や柱の陰を用心深く確認して着実に足を進めていく。そして、そのあとを彩葉がゾンビが出てくることを期待しながらソワソワと、森田がゾンビが出てくることを不安に思ってビクビクとしながら追いかけてきていた。
客席の辺りにはゾンビが居ないことを確認した弘人が更に奥へと足を進めようとしたところ、純が弘人の肩を叩いて引き止めた。
「……何か見つけたか?」
「ほら、あそこ」
そう言って純が指を指すと、その先には厨房が見えていた。目を凝らすと黒い点が飛び回っている様子が見え、それが蝿の群れだと気づくのにそう時間はかからなかった。
"何か"があるという確信を持った二人は無言で頷きあうと、迷うことなく厨房へと向かっていった。
厨房へと近づいた二人が中をそっと覗き込むと、そこにはかつて"人間"だったモノが床に倒れていた。
うつ伏せになって縮こまっているようだったが、頭髪が見えたおかげで辛うじて人間の死体だと認識することができ、身に着けていた衣服はところどころ薄茶色と緑色の染みが目立ち、それに吸い寄せられているかのように蝿と蛆が周囲に集っている。
ガスマスクのおかげで腐乱臭こそ鼻に届かないまでも、この場で息を吸うことすら躊躇するような光景に二人は顔をしかめたが、ここ数十日間で随分と見慣れた光景になったせいか落ち着いて観察している。
「ここの店員だったみたいだな……」
「肌の色からゾンビ化しているみたいだけど、まだ生きているのかどうかはわからないね」
「確かめるか?」
「そうしよう。もし生きていたら彩葉に撃たせてあげて、それで満足してくれればいいんだけど」
そう言って純は近くにあったコップを手に取ると、目の前の死体めがけて構えた。まだ生きているゾンビであれば物をぶつけられた衝撃で動き出すかもしれないと考えたためであった。
そうしてコップを投げようとした、その時であった。
『ドタンッ!』
突然、二人の後ろから大きな音が鳴り響いた。二人は驚くのと同時に銃を構えなおして振り返ると、そこには床に大きな尻もちをついて転んでいた彩葉の姿があった。
「いったぁ……」
「だ、大丈夫ですか?」
「……はぁ~、脅かさないでよ彩葉ちゃん」
「わざとじゃないですよ! ここの床が急に滑って!」
「床?」
純が床に注目すると、彩葉がいる辺りの床が液体で濡れていることに気づいた。近づいて目を凝らしてみると液体には少し光沢があり、それを指先で触ると彩葉の言ったとおり滑りやすくなっていた。
「これは……調理用の油かな」
「油? どうしてこんなところに?」
「もぅ! お店の人はちゃんと掃除しててよ!」
「いやいや、店員さんはそこでゾンビになって倒れちゃってるしさ……って、ヤバッ!」
店員の死体のことを思い出した弘人が慌てて振り返って銃を構えたが、厨房には先ほどと変わらない死体の姿が見えると、ホッと胸をなでおろした。
「ふぅ、あそこのゾンビはもう死んでるみたいだな」
「良かった。このタイミングで襲われてたらちょっと危なかっただろうね。彩葉も怪我はしてない? 立てる?」
「うん、ありがと。ちょっと転んだだけだから大丈夫」
「でも、どうしてこんなところに油がこぼれているんでしょうね? どこかから漏れ出たようにも見えないですし」
「それはたしかに……」
森田が指摘したとおり、床に油がこぼれていた原因については疑問であった。辺りに油を入れていた容器も見当たらなければ天井から垂れてきたような形跡もない。
いったい何がどうして油が漏れ出していたのか検討もつかず、今この場でわかることといえば、その油が床のそこかしこにこぼれていて廊下まで点々と続いていることだけだった。
その事になんとも言えない違和感を感じる純であったが……。
「もういいから早く行こうよ。奥にゾンビが居るんでしょ? ここに留まる理由ないじゃん」
「いやまぁ、それはそうだけどね……」
「じゃあ早く行こ!」
「わかったけど、進むのはゆっくり慎重にね。急ぐとまた転ぶよ」
「次からは気をつけるってば!」
転んだ照れ隠しなのか急かす彩葉に純はすっきりしない思いを抱いていたが、小さくため息を吐いて気落ちを落ち着けると、再び先頭に立って奥へと歩み出していった。
廊下は外からの日光が届かないためさらに暗く、そしてフローリングの床に油が点々と続いているのが微かに見えていた。
油を踏んで転ばないよう先頭に立った弘人が銃に取り付けていたライトを点灯させてゆっくりと歩いていき、その足取りに三人が続いていく。
そのまま何も問題なく進んでいた一行だったが、一室の前にまでたどり着いた弘人が慎重に部屋を覗き込んだところ、覗き込むポーズのまま動きがぴたりと止まった。
「……ちょっと、ストップ」
「え〜、今度はなに?」
「部屋中が血だらけ、壁にもべったりだ……」
弘人が恐る恐る部屋へと入っていき三人がそれに続いていくと、目の前の光景に全員が息を呑んだ。
部屋は居間のようだったがテーブルや棚には大量の赤黒い血が飛散しており、壁にも引きずって歩いたかのような血の手形がいくつも残っていて、床には血痕のほかにも割れた食器や鏡の破片がそこら中に散乱していたのであった。
「いったい、ここで何があったんだ?」
「誰かがここで襲われたのでしょうか……」
「うん、それもごく最近に。血が全然乾いていないよ」
純がそう答えながら部屋中を観察していると、血痕がさらに奥の部屋へと続いていることに気がついた。
「どうやら、この血の跡は奥まで続いているようだ。まだ近くにいるかもしれないから気を引き締めて」
「ねぇ、この血ってもしかして……ゾンビじゃなくて人の?」
「……そうかもしれないね」
「この有様は抵抗して争った形跡のようにも見えますしね」
「レーダーの光点は2つだったし、それが人とゾンビだったのかもな」
各々がこの家内に人がいる可能性を口にするが、その口ぶりは一様に喜んでいるようには聞こえなかった。そのことに気づいたのか彩葉は続けて質問を投げかける。
「……もし、その人がまだここにいたらどうするの?」
「どうするっても、なぁ……」
「怪我の具合次第ですかね。もう手遅れの状態だったら……」
「そうなっていたらどうすることもできないね。それに、感染していなくてもこの出血量じゃ……」
「…………」
ゾンビ退治から一転、久々となる生存者との遭遇を予感しても素直に喜べない状況に皆は押し黙る。もしその生存者が生きていたとしてもゾンビになりかけていたり、あるいは致命傷を負っていたりしていたとすれば介錯しなければならないと頭をよぎったためであった。
日常からサバイバルゲームで撃ち合いを楽しみ、ゾンビを撃つことにも抵抗感が無くなってきていたとしても、まだ生きている人間を撃ち殺さなければならなくなることは三人でも流石に躊躇する思いを隠せなかった。
だが、その沈黙を真っ先に破ったのはやはり彩葉であった。
「まだこの家の中にいるかもしれないなら、とりあえずその人を探そうよ!」
「いや、オレ達だって助けられるなら助けてあげたいけどさぁ……」
「そうじゃなくて! もう死んでいてもゾンビになりかけだったとしても、まず見つけてから考えようよ!」
「……そうだね。彩葉の言うとおり僕達が存在に気づいたのなら助けられなかったとしてもせめて看取ってあげよう」
「わかったよ、それにまだ助からないと決まったわけじゃないし、案外なんとかなるかもしれないしな」
「悲観的に考えるよりポジティブにいきましょう。助けることができたら人手が増えることになるので、それだけでも後が楽になりますし」
「うん! それがいいよ!」
「じゃあ、その人を探すためにまたレーダーを使うか?」
「いや、もう電池を節約しておきたいし、この血痕を追っていけばたどり着けそうだよ」
気持ちを切り替えた一行は床に点々と垂れている血痕を追って再び歩み出した。血痕は台所を通り抜けて再び廊下へと戻り、洗面所の前を通り過ぎていく。その道中にも食器などの欠片がところどころに落ちていて、踏みつけるたびにジャリジャリと音を鳴らしていた。
そうして結果的に1階のほとんどを見て回ることになったが人もゾンビも見当たらず、それでも四人は血痕を追って歩き続けていくと、2階につながる階段前までたどり着いた。
血痕は階段を伝って上へと続いていたため、弘人が階段下から2階の様子を覗いてみたが何も見えず、物音も聞こえない。だが、血痕が上へと続いている以上、この暗闇の先には何かが居るかもしれないと思うと体中に緊張感が走って銃を握る手にも力が入っていった。
弘人は背後の三人に目配せをし、まずは最初の段を上ろうと足をかけた、その直後であった。
『…………ガタンッ』
突然に建物の外から物音が聞こえ、驚いた四人はその場で硬直してしまった。
色々と重なって執筆速度がゾンビのように遅くなっているので、次話投稿時期は不明瞭です……。