054. サバイバルゲーム (4)
点々と道に続く血痕を追って、純と弘人を先頭に四人は進んでいく。
進行方向へのクリアリングは当然ながら、側壁からいきなりゾンビが乗り出してくることも考慮して道の真ん中を歩き、あるいは背後からゾンビの大群が追いかけて来た場合も想定して後方まで気を配りながら用心する。
いつどこからゾンビが襲ってきても対処できる万全の警戒態勢を敷く四人であった──が、しかし……。
「いないね、ゾンビ……」
彩葉が少し不思議そうにつぶやいた。
四人が追っていた血痕は道の途中で途切れ、さらにその先は袋小路である。そして、そこに追っていたはずのゾンビの姿は無かった。
「ン、どういうことだ?」
「塀をよじ登っていった……という訳でもなさそうですね」
「それなら壁にまで血痕がついているはずだけど、血痕はここまでしかないね」
「なら、たまたまここで出血が止まったんじゃないか? それならあり得るんじゃ?」
「そうだったとしてもゾンビがこの場所から消えた理由はわからないままだ」
「いったい、何が起きたんでしょうね……」
「う~ん……」
目標を見失った四人はその場で考え込んで立ち止まる。どんなに考えても推測の域を出ないことは薄々理解しつつも、チームで行動している以上は勝手に結論づけるようなことはできず、リーダーの純でも何を言って切り出そうか決めあぐねていた。
沈黙した空気だけが流れ、その間にも太陽光が強く照らされたアスファルトの地面から輻射熱が伝わってくると、じっとしているだけでも汗が吹き出てくる。
そして、そんな暑さと息苦しさに耐えかねた彩葉が無意識に襟元を緩めてガスマスクを外そうとすると、純がそれをパッと手で押さえて静止した。
「マスクを取ったら駄目だって」
「だって息苦しいし……」
「それはわかるけど、ゾンビが空気感染するかもしれないから外じゃ絶対にマスク着用って前に決めたよね」
「さっきゾンビを殺ったばかりだし、菌とかウィルスとかが服についてるかもしれないしな」
「それに、蚊を媒介して感染する可能性だってあるので肌の露出を増やすのも……」
「あ~もう、みんなわかったってば! でも早くこれからどうするか決めようよ! ここは暑いし汗だらけになって気持ち悪くなるし、それに……」
「それに?」
「その、臭いそうだし……」
そう言いながら彩葉は少し恥ずかしそうにうつむいていた。彩葉の姿をよくよく見ると、その全身から汗が蒸発して薄く湯気が出ているようであり、しばらくまともに洗えていない服と身体を触媒にして刺激臭が辺りに漂っていることは容易に想像がついた。
だが、純は特に気にする様子もなく、あっけらかんとしたまま答えた。
「あぁ、そこは心配しなくていいよ。このマスクなら臭いも遮断するからね」
「……もう、そうじゃない!!」
純の回答を聞いた彩葉は思いっきり不機嫌になっていった。そして、弘人と森田も白けた視線で純の姿を見つめている。
「純……、お前たまにすごくデリカシーに欠けるよな」
「もうちょっと言い方を……」
「え、なにかまずかった?」
「……まぁいいや。それで、これからどうすんだ?」
「そうだなぁ、目当てのゾンビも見失ってしまった以上、当初の目的通りにセーフハウス探しをするべきなんだろうけど」
「ゾンビの追跡はここで終わりにしますか?」
「いや、何にしてもこの辺りは安全確保しておきたいし、ここからは"アレ"を使おう」
そう言って純はリュックを降ろすと、おもむろに中を漁り始めたのであった。
──
一方その頃、悠気と阿依は、2階建て1Kアパートの一室に避難していた。
あれから住宅街の中を歩き回り、程なくしてそのアパートらしき建物を見つけると、悠気はそこへと向かった。
そのアパートは数十年の歴史を感じるほど古めかしく、外観から察せられるほど室内が狭いことがわかり、おまけにベランダの日当たりも北向きと決して住み心地が良いとは思えない物件であったが、それは裏を返せば籠城するのには不向きな場所で、今はもう人間が居ない可能性が高いと判断するのには難くなかった。
悠気は警戒しながらもアパートの敷地内に入り、目についた一階にある部屋のドアノブをゆっくりと回していく。
『ガチャリ』と音がしてドアが開いていくと、そこにはまだ生活感の残るキッチンがあった。中は薄暗く人間の気配は感じられないが、いざとなれば背負っている阿依を放り捨ててでも斧を振れるよう悠気は身構えて部屋内へと入っていく。
キッチンを通り抜け、風呂場やトイレに続く扉を無視して奥の部屋へと向かい、そこへと続くドアを開けると、そこは泥棒でも入ったかのように物が散乱していた。押し入れの中身もすべて引き出されて足の踏み場もないような状態であったが、そこに人間の姿は無く、ここ数日は誰かが居たような形跡も見当たらなかった。
(……思ったとおり、ここに人間は潜んでいないようだな)
ひとまず安堵した悠気は阿依を床に降ろすと、すぐにタブレットPCを取り出して阿依に話しかけた。
<<ここは安全そうだ。しばらくここで隠れていよう>>
<<はい>>
阿依からの返信は素っ気ないものであった。だが、その素っ気なさは安堵と冷静さの表れなどではなく、動揺と放心から言葉が出てこない状態によるものであったことは阿依の表情から容易に察することができた。
その阿依の様子を見てマズいと感じた悠気は慌てて言葉を付け足していく。
<<大丈夫だ。ここに居れば人間達にはまず見つからないし、外から撃たれる心配もない。その脚も千切れたわけじゃないなら数日あれば治ると思う>>
阿依が気にしていそうなことをフォローするように悠気はメッセージをつらつらと送信していくが、それに対する阿依の反応は薄いままで、その朦朧とした眼差しはまるで死人のようであった。
(駄目だな、この様子じゃしばらく置いとくしかないか……)
阿依の激励を早々に諦めた悠気は床にあった物を適当に除けると、そのまま床に座り込んだ。悠気も肉体的な疲労感はなかったが、殺されかけた緊張から解放されたせいか心労が溢れて疲れを感じていたのであった。
(夜になればあの銃を持った人間達もどこかに籠もって朝まで大人しくしてくれるだろう。そうなれば、この辺りから安全に離れられるな。だが、置いてきたリュックを取りにマンションまで戻るのは危険か……となると、また旅の道具を一から集め直さないといけないか……)
などと時間潰しに物思いに耽る悠気であったが、しばらくしてようやく落ち着いてきた阿依がスマートフォンを手にとって操作すると、間もなくタブレットPCの画面がパッと光って届いたメッセージが表示されていた。
<<あんなにも他人が怖いと思ったんは初めてでした……。もしかして、これからも人に襲われ続けるんですか?>>
メッセージを見た悠気は今更な質問だと少し眉を潜めたが、阿依がほんの数日前まで生き埋めになっていたことと、ゾンビになってから人間に出会うのは今回が初めてであることをふと思い出した。
(そうか、もう少しはっきりと説明してあげるべきだったな、人間は"敵"だってことを……)
今までの会話でも人間との遭遇は危険だとやんわり伝えていたが、遭遇即ち生命のやり取りに直結するということまでは認識も覚悟もできていなかった阿依は、名前も知らない赤の他人に問答無用で殺されかけたことに酷くショックを受けていたのであった。
悠気はどう返すべきか悩んだが、ここでまた曖昧な回答をすれば認識がずれたままになってしまうと思い、より具体的に危機感を伝えようとした。
<<あぁ、そういうことだ。俺もゾンビになった初日に人間と殺し合いをする羽目になったし、この一ヶ月の間で何度も人間達に殺されかけた。流石に銃を持った人間は初めてだったが、武器を持った人間は積極的にゾンビを殺そうとしてくるし、そういうのと正面から戦っても勝てる見込みはまず無い。だから、人間は非常に危険なバケモノだとでも思って欲しい>>
<<そうなんですね……でも、まだ人がそんなバケモノだなんて思えそうになくて……>>
そうメッセージを返してくる阿依は悲痛な思いを露わにしていた。
阿依はまだ自分が人間寄りの存在だと思っていた節があり、悠気との出会いも相まって普通のゾンビとは違う、人間達とは共存可能なゾンビであると"勘違い"していて、それを真っ向から否定されたのだと受け止めていた。
人間とは異なる別の存在になったのだと理解し始めたが、それに対する心の整理が追いつかない。もしかすると泰智達や家族は人間のままで、自分だけゾンビになってしまったのではないだろうかと、そしてゾンビになった自分に対して皆は殺しにかかってくるのではないかと考え始めると、阿依の心中には恐怖が沸き上がってきていた。
ゾンビになってから初めて気づかされる、人間達とはもう殺し合うしかないという理不尽な運命。それでも泰智達や家族のことを想う気持ちは変わらず、その気持ちの折り合いをつけるのにはまだ阿依は幼過ぎていた。
そんな阿依の心情を理解しつつも悠気は続けてメッセージを投げかけた。
<<簡単に割り切れることじゃないのはわかっているが、これは受け入れないといけない現実だ。すぐにとは言わないが、まずは考えて気持ちを整理して欲しい。外が暗くなるまでここで隠れることになるから、考える時間も十分にあるよ>>
そうメッセージを送信した、その直後であった──。
『ガチャリ……』
玄関の方から聞き覚えのある音が聞こえてきた。ほんのつい先程、聞いたばかりのような音……。
その音がドアノブを回したときの音であると気づいた悠気が反射的に玄関の方へと視線を移すと、玄関のドアがゆっくりと開いていく様子が見えていた。
(ドアが勝手に開いて……? いや、それはおかしい!!)
直感的に危機感を覚えた悠気は壁の裏に隠れるようにして玄関の方を覗き見し、阿依も身を強張らせてその様子を見守る。
(いくら安アパートでも流石にドアがひとりでに開くなんてありえないだろう……まさか、な……)
緊迫しながらも何がどういう理由でドアが開いていくのかを考えようとする悠気。いくつかを想定し、その中でも最もあって欲しくない可能性だけに絞って(それだけはありえないでくれ……!)と心の中で願い続けていた。
そして、ドアがとうとう開き切ってしまうとそこに姿を現したのは、まるで悠気の願いが聞かれていたかのように立っている、あの銃を持った人間達であった。