050. 出発の初日
翌朝、悠気はショッピングセンターの前で座りながら出発前の最後の確認を行っていた。
リュックの側面に括り付けた斧がしっかり固定されていることを確認し、首から掛けたポーチにはガストーチと数本のガソリン着火剤が緩衝材となるタオルにしっかり巻かれていることを入念にチェックする。
(よし、これで持ち物は大丈夫だな。あとは……)
荷物の確認を終えたちょうどのタイミングでタブレットPCが光って着信を知らせた。
それに気づいた悠気が後ろを振り返ると、そこにはスマートフォンを手に持って佇む阿依の姿があった。
頭からつま先まで汚れきっている悠気とは違い、阿依はきちんと身だしなみを整えてきた様子で、制服の汚れとシワはできる限り取り除かれて、素肌もボディシートでしっかり汚れを落としている。
化粧こそしていないが髪も丁寧に梳かされており、ボサボサだったポニーテールも生前の輝きを取り戻していた。
<<お待たせです、悠気さん>>
<<こっちもいま準備を終えたところだ。もう出発しても大丈夫?>>
<<はい。これ以上、ここを探しても何も見つけられへんと思うんで>>
<<そうか……。まぁゾンビや死体で見つからなかったのなら、同級生も生きてここから脱出したんだろう>>
<<私もそう思います。二人ならきっと元気にしてるって!>>
チャットから送信されてくる言葉は元気そうな様子であったが、阿依の表情は暗く落ち込んでいた。
結局、ほぼ丸一日ショッピングセンター内を探索していた阿依であったが、泰智や琴音の痕跡は何一つ見つけらなかったからであった。
それで二人が生きて脱出したという可能性が高くなったと捉えることもできたが、それは阿依自身が二人に置いて行かれてしまったという蟠りを強める結果にもなり、その上、これからよく知らない男、しかもゾンビと二人きりで大阪まで徒歩で帰ることになると考えれば、決して明るい気持ちにはなれなかった。
そんな阿依の心情を、悠気はなんとなく察していたが、これ以上ショッピングセンターに留まることは危険だという思いも強くあり、出発を遅らせないためにも淡々と話を進め始めた。
<<地図を見たところ、このショッピングセンターから出てすぐに大きな道路があるらしい。そこを通って昼過ぎまでに隣の市街地にたどり着くのが今日の目標だ>>
<<昼過ぎまで? 夕方くらいまで歩けばもっと遠くまで行けると思うんですけど>>
<<着いてから暗くなる前に安全な場所を探す時間が必要になる。野宿はなるべく避けたいし、それに、ここから離れると状況がわからなくなるから慎重に進みたい>>
<<なるほど。大阪に帰るまでけっこうかかるんかなって思ってしまって>>
<<少なくとも一ヶ月はかかると思う。徒歩だからどうしても時間がかかるな>>
<<一ヵ月……長いですけど、それぐらいかかりそうなんですよね……>>
<<危険なルートは避けたいし、急がば回れと考えてくれれば助かる。とりあえず、そろそろ出発しよう。俺が前を歩いて安全確認をするから、阿依ちゃんはその後ろから着いてきて欲しい。何かあったらチャットで>>
<<はい、わかりました>>
会話を終えると悠気はタブレットPCをポケットに挿し込んでリュックを背負い、阿依も用意されていた小さめのリュックを背負って、ようやくショッピングセンターから出発した。
二人が少し歩いて角を曲がり、そのまままっすぐ住んでいくと、すぐに大きな道路へとたどり着いた。
道路上には自動車が無造作に乗り捨てられており、その隙間を縫うかのようにゾンビ達が行ったり来たりと彷徨っている。
悠気にとっては既に見慣れた光景だったが阿依にはまだ新鮮な景色に写ったようで、時折、進む足を止めては周りをキョロキョロと観察していた。
悠気もそれに気づく度に足を止めたが、特に声をかけることもなくジッと待っていると、待たせていることに気づいた阿依がスマートフォンを取り出して話し始めた。
<<すいません、何度も止まってしまって>>
<<別に急いでいるわけじゃないから気にしてないが、何かあったのか?>>
<<いえ、この辺りにはもう人がおらへんのかなって……大きな街やのに>>
<<もう別の場所に逃げたか、もしくは建物内に隠れているかもしれないな>>
<<……もしの話なんですけど、近くに人がおったら私達みたいに協力し合うとかできないんですか?>>
阿依の質問に対して、悠気は少し怪訝そうな顔になったが、それでも個人的な見解として阿依の質問に答えた。
<<人間から見たら俺達は他のゾンビ達と同じだ。出会えばコミュニケーションをする間もなく逃げられるか、まぁ戦うことになるだろうな>>
<<戦いに……>>
"戦う"というキーワードを聞いた阿依は、また一段と表情が暗くなっていった。
人との戦いになることをまったく考えていなかったわけではないが、言葉にして言われれば自ずとそうなった場合のことを想像して気がさらに重くなっていく。
その様子を見て少し不安にさせ過ぎたと感じた悠気は、フォローするように言葉を付け足した。
<<ただ、俺も人間達と無駄に戦いたくはないし、理由がない限り人間との遭遇は避けていくつもりだ>>
<<それでも、もしばったり会ったりしたら……>>
<<それも考えている。なるべくゾンビの居る安全な道を通って行けば、人間とばったり出会うなんてこともまず起きないだろう>>
<<その"ゾンビの居る安全な道"って言い方がすごく引っかかりますけど、ゾンビが居れば人は寄り付かへんってことですよね。そこを通って行くんなら確かに安全かも>>
<<まぁそういうことだ。とにかく西へと進もう>>
なんとか不安を紛らわした二人は、そのまま道路を進み始めた。
その後も何かを思いつく度に二言三言の会話を繰り返したり、たまに不意打ちのように現れるゾンビに驚かされたりしながらも、二人は順調に西へと進み、お昼も近くなる頃には目的の市街地まであと少しの距離となっていた。
市の端付近なせいか、周りの建物もいつしか商業施設より住宅が目立つ場所になっており、それに併せて付近に居るゾンビの数も先ほどより少なくなっている。
(まだ近くでゾンビがうろついているが、少し用心しておいたほうがいいか……)
付近に人間の居るような気配は感じられないが、それでも悠気は住宅街を慎重に進むようになっていた。
付近の家に人間が籠城している可能性が十分にあり、こちらから住居に侵入しようとしない限りはまず襲われることが無いにしても、阿依の命まで預かっている以上、決して油断するつもりはなかった。
そういう気概を持ちながら悠気は前進し続け、阿依も悠気の後を追っていく。
いつしか会話も無くなって二人は静かな住宅街を歩き続け、複数の住宅密集地を抜けると開けた場所にたどり着いた。
二人の目の前に現れたのは、大きなマンションが複数棟にわたって建て並ぶエリアであった。
敷地内には各棟を繋げる道や大きな駐車場、子供が安全に遊べるよう広場まで併設されており、マンションの部屋数から換算すれば平時は千人規模で人が住んでいたと思われるが、今はもう騒音一つ聞こえてこない。
<<こんな立派なマンションでもゴーストタウンになったんですね>>
阿依がそうメッセージを送信してくると、悠気はゴーストタウンというよりゾンビタウンだなと思ったが、わざわざ否定せず軽く頷き返す。
そして、悠気は目の前のマンション群が安全かを確かめるために目を凝らして見回した。
(マンションに人影は見えないが、付近にも動いている者の気配はない……ここにはゾンビも人間も居ないのか?)
悠気は地図を取り出し、近くにあるマンション名が書かれた銘板から現在地を調べたところ、目の前のマンションの敷地内を通ればすぐに目的の市街地まで到着することがわかった。
悠気は少し悩んだが、近くに人間の居る気配が無いということと、もし仮に人間が居たとしても十分に対応できる考えと装備があるということを鑑みてすぐに決断を下した。
<<このマンションの敷地内を突っ切って行こう。万が一、マンション内に人間が居ても襲われないようになるべくマンション入り口から距離を取って、遠くからでも見つかりやすい位置を通るぞ>>
<<えと、わざと人に見つかるんですか?>>
<<そうだ。人間達だってゾンビを見かけても見過ごせるなら見過ごすだろう。逆に、俺達が先に人間達を見つけたら、さり気なく距離を取って離れるぞ>>
<<りょうかいです>>
そうして二人はマンションの敷地内へと足を踏み入れていった。
しばらく周りを注視しながら進んでいったが、変わらず付近で人間の居るような気配は感じられない。
悠気はこのマンションに人間がまだ居るなんて考え過ぎたかと少し反省し始め、阿依にいたってはまたキョロキョロと付近を観察しながら歩き始めた。
そして、二人はそのまま何事もなく敷地中央にある広場にまで到着した。
マンション入り口から少し離れた場所にある広場は、手入れされなくなったせいで雑草が無造作に伸び始めていたが、日に照らされながら風に揺られてさわさわと動いてる草木の姿を見ていると、自然と心に安らぎを取り戻していく。
(まるで何も起きていなかったと言わんばかりに長閑な場所だな……)
そう思いながら悠気は広場へと足を進めた。広場の方にもゾンビや人間が居る様子は無く、木陰になっているところで鳥が数羽うろついているのが見える程度だった。
久しく忘れていた緩やかな雰囲気に癒されて警戒心が薄まっていくのを悠気は実感していたが、それに抵抗するような気持ちは起こらず、どうせならここで少し休憩していくのも悪くないなと考え始めていた。
──そのときであった。
『ヒュン──……』
悠気の耳元で風を切るような音が聞こえた……ような気がした。
悠気は無意識的に耳元を手で触って振り返るが、そこには何も無い。
(……耳の近くで虫でも通ったか?)
それ以上の考えが思い浮かばないが答え合わせする気にもなれなかった悠気は、そのまま何事もなかったように再び前進し始めた。
が、しかし……。
『バズッ!』
次の瞬間、悠気の身体に強い衝撃が走った。
横から胸のあたりを強く押されたような感覚が全身を駆け巡り、その衝撃に反応する間もなく悠気はその場で倒れていく。
そして、倒れ切った後になって悠気はようやく自分が倒れたということを自覚した。
(……な、なんだ? いま、何が起こった!?)
自身が地面に倒れたという事までは認識できても、それ以上のことはまったく理解できてない様子だった。
悠気は何が起こったのか必死に考え始め、倒れる瞬間に胸に走った衝撃のことを思い出すと、それを確かめるかのように視線を胸元に落とした。
そこには、見慣れない"穴"が見えた。
右胸の真ん中辺りに百円玉程度の穴が開いており、そこから漏れ出る液体がスーツを赤く汚し始めている。
悠気が恐る恐る手を伸ばして穴の中へと指を入れていくと、指は抵抗もなくズブズブと中へと入っていき、そして指先に何かがあたる感触を感じ取った。
骨や内臓とは違う、何か金属の表面をなぞるような触り心地……、これらの判明した情報から頭の中で一つの答えが思い浮かぶと、悠気は血の気が引くような思いになったが、それを打ち消すかのように、今度は喉奥から血が逆流し始めて喀血した。
(え……、悠気さん、なんで急に倒れたんやろ?)
悠気の身に何が起きたのかまだわかっていない阿依は、倒れた悠気を心配して近寄ってくる。
それに気づいた悠気は、片肺まで穿っている穴のことも気にせず阿依に向かって叫んだ。
(く、来るなッ!)
そう叫びたかった。叫んだつもりでもあった。
……だが、悠気の口から飛び出たのは「ゔあ"ぁぁ!」と言葉にならないうめき声と血飛沫だけで、その思いまで阿依には届かない。
そして、その結果がどうなるかすぐにわかることとなった。
『バズッ!!』
乾いた音と共に阿依の太腿から赤い体液と肉片が飛び散り、そして阿依もまた、受け身も取れず地面に倒れ込んでいった。




