049. 旅立ちの準備(下)
屋上に出ると、そこには爽やかな風が吹いていた。そろそろ夏を感じさせてくれる気持ちのいい風だ。
遠くに見える街並みは清らかさを感じるほど静まり返っていて、まるで時間が止まっているかのように錯覚する。
明日には二度と見られなくなる景色だと思うと、もう少しゆっくりと眺めていたい気持ちにもなったが、今日中に旅の支度を終わらすためにも、ここでのんびりしている場合じゃないと俺自身を戒めた。
さっそく辺りを見渡して目当ての物を探し始める。アイツが持っていた物と状況から考えれば、探している物はこの屋上にあるはずだ。
数台の車が駐車されている間をすり抜けながら俺は屋上を歩き回り、程なくして、入ってきたのとは別の出入り口付近に雨避け用の屋根が見え、そして、そこには1台の中型バイクが駐車されているのが見えた。
……あった。俺が探していたものだ。
アイツのポケットから見つけた物、それはバイクのキーだった。おそらく、このショッピングセンターからの脱出手段として用意していたものなんだろう。
キーを見つけたあとにそのバイク自体はどこにあるのかを考えたが、人間達がこぞって屋上に向かっていたことを思い出せば、自ずと答えは絞りこめていた。
バイクに近寄って眺めてみると、最近まで整備されていたのかドロ汚れ一つなく、表面も顔が映るくらいキレイに磨かれている。
試しにキーをそのバイクに差し込んでみると、キーはすんなりと入っていき、このままエンジンをかければすぐにでも動き出しそうな気配を感じた。
間違いない、アイツのバイクだ。
もし俺がアイツを見逃していれば、このバイクに乗って逃げていたんだろう……そう思うと、このバイクの役目を奪ってしまったようで少し後ろめたさを感じたが、これから追い打ちをかけるような真似をすると思うと、さらに申し訳ない気持ちになってくる……。
このバイクを探していたのには理由があった。残念ながら、俺の身体じゃ運転することはできないが、目当てはそうじゃない。
バイクが動かせる状態にあるということは、そのバイクには当然、燃料が入っているだろう。俺の目的はこのバイク自体ではなく、その燃料となるガソリンの方だった。
ガソリンタンクにある蓋を開けると、思っていたとおりガソリンがなみなみと入っていた。
それを確認した俺は持ってきたバケツを地面に置き、ガソリンタンクの蓋を開けたままゆっくりとバイクを寝かしてバケツにガソリンを注いでいく。
バケツ内にガソリンが半分も溜まると、バイクを再び立たせて蓋をしておいた。キーも挿しっぱなしにしておくので、あとは誰かがこのバイクを発見して乗ってくれることを願おう。
さて、目的のガソリンが手に入ったことだし、蒸発してしまわないうちに次の作業をしなければ。
バケツ内のガソリンをコップですくい、用意していた漏斗を使ってこぼさないよう栄養ドリンクの空ビンに注いでいく。最後に蓋を締めると完成だ。
ガソリンが入った小瓶、俺が作りたかったのはこの"ガソリン着火剤"だ。
栄養ドリンクサイズなら持ち運びしやすいし、普段は割れにくいが、いざというときには壁や床に投げつけることで割ってガソリンを撒くこともできる。
流石に火炎瓶のようには使えないが、狭い範囲を急速に燃やすのにはこれが最適解だと考えた。
俺はずっとガストーチを持ち歩いていたが、燃焼させる触媒となる物を持っていなかったため、火を点けることができなかった。まぁ結果的にはそれで焼死せずに済んだんだが……。
それでも、また火をつけたいときに燃やせませんでした、なんてことは避けるべきだろう。
これからの旅でどんな事が待ち受けているかわからない以上、選択肢は可能な限り多くしておきたい。
ただ、これはあくまでも緊急事態用の道具で、使うのはせいぜい人間達の足止めや追い払い、あるいは……追い詰められてどうしようもなくなったときの自決用だ。
加熱した肉は食べられない以上、人間を焼き殺す目的では使いたくないし、そういった用途を考えれば栄養ドリンクサイズの量で小分けにして持ち歩くのがちょうど良いだろう。
その後、俺はこのガソリン着火剤を作れるだけ作り、阿依ちゃんに用意してもらったビンすべてに詰め終わる頃には日が少し傾きかけていた。ひと仕事を終えて達成感を感じたが、まだ作業は終わりじゃない。
この作ったガソリン着火剤が実際にどれくらい使えるものか確認する作業が残っている。
ガソリンがよく燃えるのは知っているが、いったいどれくらい燃えるものなのか、それを確認するには実際に燃やしてみるのが一番手っ取り早いだろう。
……そして、最初の使い道は既に決めている。
俺はガソリン着火剤を元のビニール袋に入れ、店内へと戻ると一階へと降り、そのままショッピングセンターを出た。
そして、重たい足取りで建物の反対側へと向かっていく。
この先にあるものは、できれば何度も見たくない光景だが、見てしまえば二度とは忘れられないもの……ここに来て最初の衝撃を受けた、あの動けなくなったゾンビ達の山だ。
文字通り山のようにゾンビ達が積み重なっていたが、それらに加えて、戦いの中で殺されていったゾンビ達の遺体も俺が昨日、ここに集めておいた。
まだ回復の見込みがありそうな奴は除けておいたが、回復の見込みのないゾンビや遺体に戻ったゾンビが朽ち果てるまで野ざらしになるのは酷だ。
人間を狩猟するために協力してくれたゾンビ達へのせめてもの恩返しも兼ねて、このゾンビ達を火葬してやりたいと俺は考えていた。
ガソリン着火剤をビニール袋から取り出して蓋を開け、中身をゾンビ達に撒いていく。独特の臭いが漂い始め、アスファルトの地面にはこぼれたガソリンが虹色に輝いていた。
着火剤をもう一本開けて、今度は地面に少しずつ垂らしながら後ろ歩きで離れて導火線を作っていく。ゾンビ達の山から数メートルほどの距離を取った後、俺はガストーチを使って火を放った。
『ボゥッ!』
火は音を立てながら地面を走ってゾンビ達の山へと向かっていき、そして勢いよく燃え始めた。炎の勢いは想像していたよりも強く、そして激しい。
だが、まだ意識のあるゾンビ達は自らが燃えていても喚き声ひとつ上げず、変わらない表情で俺のことを見つめていた。
今際の際でも何を考えているのか読み取れないが、俺がしてやれるのはここまでだ。ゾンビに対して言うのもなんだが、今度こそ成仏できるようご冥福を祈って手を合わせた。
……そして、ゾンビ達とは違ってもう一人、弔ってやりたい相手がいる。
俺達の食料になってくれたアイツだ。
ゾンビ達が食い散らかしたアイツの骨を可能な限り拾い集め、最後に残っていた右腕も俺が責任もって食べて骨しか残っていない状態だったが、それもゾンビ達と一緒に並べておいた。
火葬してやればアイツに許されるだなんて思っていないが、それでもアイツの血肉をいただいたのは心の底から感謝している。
その感謝の思いを伝える方法はもう無いが、それでも俺なりにアイツへの謝意として葬儀を執り行わさせて欲しい。
……最後に、他のゾンビ達の分も含めて俺が代表して言わせていただこう。
『ごちそうさまでした』




